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2019年09月25日

見える。見えない。

よく雲や太陽や月を撮影して投稿している人がいますよね。

私も広い所で雲を眺めたいがために小学校に朝早く登校していたくらい空を眺めるのが好きでした。車なら寒さを凌げるので、免許取りたての頃は深夜早朝に何時間も一人で星空を眺めに出掛けては警察に職務質問されていました(笑)。

 

物質ではなくて空間を眺めるという行為は、人によって見えたり見えなかったりするものもあります。UFOや幽霊はその典型です。

 

「幽霊ならわかるけどUFOも?」
そう思った人もいるでしょう。

何度も書きますが、生命体とは非物質が基本です。地球人の誰が見ても視覚認識できる宇宙船や宇宙人かいたとしたら、それはウンコをぶら下げて街を歩いている大人がいるのと同じくらい珍しいかマヌケかサービス精神旺盛(笑)といったところ。

 

ですから万人が「UFOをハッキリ見た」とか騒いでいたとしたら地球製だと思ってください。第二次大戦中にヒトラーが試作してから80年も経過しているのだから、地球製でも見えないものが既にあるのかもしれませんが、地球人がそれを使うとしても奪うか殺すかのためだけでしょう。

「宇宙人と宇宙船に同乗して……」というような出版物もありますが、それは幽霊話と同じでその人には認識できた話なのです。地球人はそのことを理解してないから何世紀も「いる・いない」レベルの論争をしていられるのです。

 

私が「人は非物質の知的生命体である」という事を強調しているのは、入り口で立ち往生している地球人類を奥へと導くためなのです。

 

2019年09月24日

人の対処

職場等に苦手な人がいて悩んだり鬱々としている人もいるでしょう。
今日はそんな対処法をお教えします。

 

イヤな人やダメな人を好きになれとは言いません。そういった人を相手にしなくてはならない場合は「自分にそのイヤな要素はないだろうか」「自分がそのダメな事をしてしまう可能性は有りはしないか」等、自己分析の材料としてしまえば良いのです。
特に親しくしなくてもそれくらいはできるでしょう。

 

この世では、あらゆるレベルの人と関わることができます。この世とは、似た者同士が自然と集まってしまうあの世では考えられない学びの宝庫なのです。

 

そう捉えることができれば、この世には気付きを与えてくれる感謝すべき人しかいなくなるのです。

 

2019年09月23日

探究心

幼少時の思い出で印象深い事が誰にでもあるでしょう。

私は小学校に上がってすぐプラモデルというものの存在を知って何日も母に猛烈にねだり、小遣いをもらって喜び勇んで出掛けたことがありました。当時の500円札を「失くしてはいけないから」とボロいバスクリンの空き箱に入れて抱えて走って行ったのです。凄い勢いで腕を振っていたのでお店の近くで空き箱をどこかに投げ飛ばしてしまい、もう暗くなっていたので見つけることもできずに泣いて帰ったのでした。

 翌朝、1キロほど離れた自宅前の側溝を覗くとバスクリンの箱が流れてきました。途中に地下道もあるので店の近くからいわゆるドブを流れてくることは考えにくく、中身には湿った500円札が!
その頃の私には妖精という概念がまだなかったので「人の思いを察して働いてくれる何かが存在するのだな」と強く思ったのです。母の演出かとも思ったので確認したのですが、母もかなり不思議そうにしていました。

その後にも大人に話せばバカにされそうな経験を幾つか重ねたので「世の中には人では理解できない物事が沢山あるんだな」と幼心にも確信しました。

 

子供の頃に「大人でも理解できない事はいくらでもある」という事に気付けたことは、探究心の芽を摘まなくて済んだ大きな要因ですね。

 

2019年09月23日

未成年者の育成

高校時のある日、体育館で全生徒を集めて集会を開いたことがありました。教員の話のあまりのつまらなさに私が袖をまくったりしてモソモソしていると、とある若い男性教員が私の頭を凄く音が響くような叩き方をしました。それが格好イイとでも考えていたのでしょう。血の気が多くて空手をしていた私は反射的に飛び蹴りでも喰らわせて昇天させてやろうかとも思いましたが、踏み止まって黙していました。

 

後年になって思うと彼は、私が(おそらく他の誰だとしても)間違って従業員にでもしたのなら即クビにするような人でした。県立高校でしたから、そんな人でも子供相手なら偉そうにして地方公務員の職に就けていたのです。多感な子供の思春期に接する大人はせめて人間性が要でしょう。

 

カネ儲けのためなら接客態度にも厳しく従業員を調教しますが、カネを持っていない子供相手ならどうでもよいといった哲学でもあるのでしょうか。そもそも未成年者の相手とは柔軟性や忍耐性がなければまともに務まるはずもないのです。子供の育成を疎かにしていてはその地域の将来展望も暗くなってしまうということに、大人たちは気付いていないのでしょうか。

 

2019年09月22日

日本に生まれたということ

私の使っているメールサーバーには毎日10件以上の英語の迷惑メールがきます。

人間以外を使っての自動送信が多いでしょうから対策のしようはあるのですが、地球人の営みを観察するのが面白くてわざと放置しています。もちろん開いたりはせず手動で削除します。

 

日本も振り込め詐欺のニュースで賑やかですが、地球人はどうしてこんなに騙し取ったりすることに熱心なのでしょう。

 

終戦後の日本でも、ドサクサに紛れて近所海外からの移民が家畜や物を盗んで売ることで計らずも活気を帯びたという事実があります。国民の人のよさにつけこんで一世紀近くも日本人から搾取し続けたのはいかがなものかとは思いますが(笑)。

 

地球のあらゆる民族は同じ大陸で勢力争いをしてきた歴史があるため、他民族の襲来から身を守って生き残ることが最大の課題でした。それで騙したり奪ったり殺したりという能力を磨いてきた者だけが生き残っているのです。だから人間の形状をしていても中身はほぼ動物。

 

それに対して日本は原則単一民族の島国。地理的条件の他にも鎖国政策を採ってきたことが手伝って撲滅される心配もなく、知的生命体らしい営みが可能な国でした。明治以前に日本にきた外国人は皆、自国と比べて日本庶民の文化的な平均レベルの高さに驚いたのです。明治以降は妙なところも国際化が進んでしまい、今では日本でも詐欺で生業を立てる人が存在するという有様。

 

それでも鍵をかけない家が地方では未だにあるし、日本の治安の良さは世界でもトップレベル。その日本に生まれたという事は、生き延びるためだけに生きている他の国の人々とは生まれてきた意味が異なるのだという事を自覚しましょう。

 

人とは知的生命体であるということを
地球中に知らしめる役目があるのです。

 

2019年09月21日

何を想うのか

想念が現実を創出するという話を書いたことろ、「ネガティヴなことを思って創出してしまう。どうしたらポジティヴな思いを実現できるのか?」のような質問を頂いたので、それに関する話です。

 

まず、何が「ポジティヴ」で何が「ネガティヴ」なのかは、時代や地域や状況によって異なります。ただ言える事は、「ポジティヴ」に意識を向けようとすると「ネガティヴの反対」と考えて結果「ネガティヴな何か」に意識を向けることとなってしまいます。そもそも宇宙には「ポジティヴ」も「ネガティヴ」もありません。

 

結論は、ポジ・ネガではなくて「興味が湧く事」「心ときめく事」に意識を向けて実践すれば良いだけのこと。
それこそ、それが何であるかは千差万別です。権力を有していて心が病んでいるとかでなければ、殺したり騙したり盗んだりに心ときめく人はいないでしょう(笑)。

 

ポイントは、今の世の中は発信者のカネ欲しさからテレビ・新聞・雑誌等で消費者の興味を惹かせる技法が氾濫しているということ。それに騙されて「私はこれに興味がある」「心がときめく」と思わされているだけではないのか?ということ。

 

だからこそ
瞑想等の内観が重要なのです。

 

2019年09月20日

病気の多くは想念の具現化

物質は想念によって創出される。今の地球物質次元でそれを行う人は魔術師的な扱いを受けてしまいますが、既に多くの誰もがそれを行っています。それが病気の具現化です。

 

特に「がん細胞」を増殖させて肉体死を呼び寄せている人が急増しています。

 

医療や製薬が一大産業になってからというもの、いかに需要を創出するのかが大きな課題です。早い話、「がん」を国民に意識させる機会を増やしてそれを継続できれば患者を量産できるのです。結果的に「がん」にまつわる商売をしている人たちが大勢潤っているのです。

 

昔は結婚式と葬式の双方を扱っていた業者が多かったのですが、近頃では結婚式を盛大に挙げる人が減っているため、人の死が貴重なビジネスチャンスとなっています。

 

誰でも、病気や肉体死を怖れることで継続的にそこに意識が向くため、具現化させる人も増えてくるわけです。

 

人の非物質的なパワーはこの地球でも既に充分活用されているのです。
変なところで!笑

 

2019年09月18日

審美眼 2

審美眼が重要だとは言っても、本質的に美しい生き方をしている人がそんなにはいないため「モデルとなる目指す人物像がない」ということが今の社会の最大の難点でしょう。

 

農業・漁業・林業などを営んでいる目立たない人の中には現在でも結構な比率で存在していますが、それを目指す若者は稀でしょう。都会であれば、ドロップアウトして浮浪者、もしくはそれ同然となっている人の中に醜い生き方を受け容れられなかった人も存在しますが、それを美しいと感じて自分が志す人はいません(笑)。

 人前に出るような立場の人が長年こぞって唯物主義であったことが暗い影を落としているのですね。

「人間とは…」とか言っている人は決まってマイナーな存在、もしくは宗教関連だったのは残念なこと。

 

これからは、旧地球ならば「科学的ではない」と不当に扱われていた人が地球人類を牽引する時代。
科学の概念そのものが刷新されるのですからね。

2019年09月17日

急ぐことなど何もない

この世で不幸になれる法則を
お教えしましょう。

それは「こうあるべき」「あんな事は許されない」等のこだわりを沢山持つことです。

 

「何事にも無関心になれ」ということとは違います。「自分はこうである」「あの人はああである」等々の観察をすることは結構なのですが、それをコントロールしようとすることが軋轢を生むのです。戦争とは、そこが全てとなってしまうことで起きます。

 

価値観、宗教観、人生観、死生観などは同じ地球人であっても人によって異なるし、同じ人であっても時期によって異なります。肉体死を迎えてから変わる人もいます。

 

皆がそれらを経験から学ぶためにこの世に出てきたのです。それを否定していては、この世を否定することになってしまうのです。気づきのペースは人それぞれでよいのです。

よって悟りを焦ることはマヌケなこと。それは死んでからでも別の人生でも、その人の自由なのです。

 

2019年09月16日

情報の選別

テレビとは、一億総白痴化を目的としたコントロールツールであり、昭和中にはそれが成功したかに思われました。政治家だろうが企業経営陣だろうが、カネや権力を手にするためにはバカな国民を大量生産することが必須でしたから、学校ではカネのことをはじめとして大切な事は一切教育しないように努めてきました。そしてテレビや新聞というツールを駆使して、嘘やくだらない事ばかりを徹底して視聴者や読者に浸透させてきました。

 

ところがここ数十年は、ネットを使えば誰でも能動的に情報を得ることができます。テレビを見ない人も増えましたし、見ても偽情報を信じ込まない人が増えています。一部の人の操作だけではバカな国民を大量生産できなくなってきているのです。結果として白痴は減っているでしょう。

 

ネットであってもデタラメ情報が出回っているのは同じこと。内容の真偽や重要度を自ら選別できることが益々求められてくるでしょう。

 

2019年09月15日

敬われる老人

敬老の日に関するお話です。

 いわゆる未開の地とされている地域ほど老人は敬われています。それはなぜかと言いますと「知恵」があるからです。身体は老化することで機能低下をしても、非物質能力は歳を重ねるほどに向上するということを、自然と共存している人達は皆が知っているのです。

 

人を動物であると考えていれば、スマホやゲーム機器を操作できるだけの若者からしても肉体機能が劣っているだけの老人は「ウザイ」や「早く死ね」となってしまうわけです。先進国にありがちな傾向ですね。どちらの方が進んでいるのでしょう。

 

裏を返すと、歳をとっても新聞やテレビの情報を鵜呑みにして、身体だけではなく頭も弱っていて生活の知恵もないのでは邪険に扱われても順当かもしれません。

 

皆さんも身体はともかく非物質知性を生涯にわたって磨き続けましょうね。

 

2019年09月14日

能力の発揮

やっと少し涼しくなりましたね。
私にとって熱すぎると難関となるのは横断歩道です。

車椅子なしでなんとか歩いてはいますが、限界スピードでもノロノロなため、信号が変わってすぐに渡り始めないと渡りきれない場所が多いのです。猛暑だと途中でバテて歩けなくなりそうで断念(笑)となるのです。手スリがしっかりしている横断歩道はもちろんありません。

 

それで思い出したのですが、3年前に意識不明の重体となった時、部屋の中の私の上に荷物が一杯に積まれて身動きができないという映像を何種類か体験しました。部屋は地上だったり地下だったりで色々でしたが、とにかく身体が動かない程の荷物に囲まれていました。例えるならテトリスの下の部分みたいな(笑)それを興味深く見ていたギャラリーも複数人いました。

 

私は医師でもないし勉強もしたことはないので「脳幹出血」という自分が襲われた症状を後日になってから聞いて初めて軽く調べた程度です。
頭の中心の密度が高い部分が出血することで脳幹や小脳が押し潰されてしまい、死に至るか重度の後遺症が残るのです。

 

そんなことは何も知らないはずの私が、意識不明の状態でそれを示唆するような夢らしきものを見ていたのは偶然ではないでしょう。
実際に死に向かっていたこの肉体は、どうする事もできない医師等複数人に見守られていたようです。その他のあらゆる夢のシーンでも、動かしたくても身体が動かない場面が多々ありました。

 

激しい痛みを感じたり、この肉体がほとんど動かないと自覚したのは意識が戻ったもっと後日のことです。大脳は損傷を受けずに済んだので、考えることは早めからできて手を動かす訓練が進むにつれてPC入力はできるようになったのです。

 

死にかけると健常時にはない能力が発揮できることはどうやら事実です。
ところが健常時でもそんな状態にすることはできます。
それが瞑想や夢見の状態。

人の能力を、この世にいながらあの世に近付ける手法があるのです。
中でも安易なのが麻薬。
しかし弊害も大きいので、ほとんどが違法ですよ!

 

2019年09月13日

興味・関心

現代人の風潮として「自分には関係ない」「興味もないし自分ではどうしようもない」といった、この世界への諦めのようなものが強くあるように思います。

 

戦争も飢餓も全く知らない世代が国民のほとんどを占めている今だからこそ必然的に起きている現象ですね。
良い事だとは思いませんが、周りの人がポロポロと死んでいたならば「自分の人生とか国や惑星が今どうであるか」に関心を持たざるを得ないでしょう。

 

干渉をしないことは結構なのですが「地球環境や自分の住む国がどのようになっているのか」は皆にとって自分が大きく関わっている案件です。つまりは自分のことでさえも、どうでもよくなっているということだと私は感じます。

 

何事も、関心を持たない事に対してどうこうしようとも思わないのは当然のことです。
それでも人や星ついてぐらいは、皆がもっと関心を持つことで実はどうこうできるのだと私は思うのです。

 

物質としてではなく
非物質としてですよ!

 

2019年09月12日

強さとは?

野生の生き物が捕食のために獲物を追っている姿や映像を見て「可哀そう」とか「厳しい」とか思う人がいるとします。きっと「自分が追われて食われたら嫌だなぁ」とイメージしているからですね。

 

貨幣経済が発達している人間社会では、捕食のために直接的に人を殺して食べることはあまりしませんが、権力者はカネ欲しさに人を騙したり殺したりしているので、あまり変わりがありませんね。
食されなくとも、
若くして心が病んで亡くなる方は常に多数。

 

反面、不具合のある個体でも守ったり保護したりする特性を多くの人間は有しています。野生の生き物では、弱い個体が優先的に捕食されます。

 

私は弟が生まれた時からの知的障害者でしたし、今では私自身も死にそびれの不自由な身体となってまだ生きています。
人とは「知的生命体」であって、弱肉強食である他の生き物とは異なるということを学ぶサンプルは、誰の周りにもあることでしょう。

 

物質的な強さをだけを誇るのであれば、人じゃなくても他の生き物を観察していれば充分です。だから私は「非物質的な強み」が人類にとって大切な要素であることを前面に押し出しているのです。

これまでの地球文明を見ていると、人間も他人を騙したり殺したりできることが「強さの証」だと考えている人が力を有していることが悲しくなりますね。

 

しかし、地球人類の皆が知的生命体となる時が間もなく訪れるのです。

 

2019年09月11日

洗脳から抜ける

宇宙とは広大で、一人の人間なんぞはちっぽけな存在である。

 

小学生、遅くとも高校生くらいには皆さんそう感じていたことでしょう。

それもそのはず、学校の教育では物質の大きさとか重さとかを絶対的なものとして子供に教え込んでいるからです。

宇宙空間からしてみたら惑星地球はハナクソも同然、それでは人間などハナクソを構成している埃の欠片にも満たない矮小な存在かと思えてしまうのです。

 

ところが時間も物質空間も重さも相対的なものであるというのが真実です。時間があっという間に感じたり退屈な長さに感じたり、大きいものばかり扱っているとそうでないものが小さく感じたり、小さいものばかり扱っていればそうでないものが巨大に感じたり、「火事場の馬鹿力」とも言われるように同じものでも軽く感じたり凄く重たく感じたり…

このような経験は誰にでもあるでしょう。

 

俗に「気のせい」とは言いますが、その「気のせい」とは何なのかを解明できない今の地球人が作成した教育プログラムですから、そのようになってしまっているのです。脳や神経がどうのこうのと言い出すのは、解明できない人間のあがきでしかありません。

 

人間も動物(物質)として生きて朽ちて行くだけの存在として扱われているので「肉体死とはどういうことか」などはテーマにすらならず、ほぼ皆がただただ肉体死を怖れて避けて逃げ惑う動物と成り下がっているのが現状です。

長いこと、この世では皆が基本的なことを何も知らぬまま彷徨ってきたのです。

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2019年09月10日

この世の兆候

ここ数十年流行っている「引き寄せ」とか「想念の具現化」みたいなものは、率直に言って「あの世」の法則を「この世」でお披露目しているだけなのです。

 

その成果あってか、実際に企業や役所の言いなりに長年労働して肉体死だけを恐れてこの世で生きている家畜のような人は減り、長生きの保証はなくてもある程度は自由に生きる人が増えています。

 

平和な世の中だとはいっても、いわゆる堅い生き方をしたからって必ず幸せで長生きをするわけでもないので、それに気付いた人から生き方を変え始めているのでしょう。

 

いずれにせよ「この世」が「あの世」に近付いていることは事実ですね。

 

2019年09月09日

この世を去ったら

この物質肉体の世界を去ったら、どんな風になるの?

参考までに、3年前に私が経験したこの肉体を去った世界では「あらゆる時と場所を訪問してきた」といった感じです。時と場がこの世とは異なるので説明が難しいのですが、訪問順序があったわけでもありません。直線時間にムリヤリ換算すると「自分の人生の過去と未来、何千年分か何万年分かの複数を同時に経験してきた」となるでしょう。

 

簡略な言い方ですと「自分が創作した場所と時間で過ごしてきた」ともなります。ですから冒頭の答は「自分がクリエイトした世界の住人になる」ということです。

 

宗教的価値観で、生きている間に例えば天国地獄を想定していたとすれば、そのままその世界に向かうのです。例えば仏や菩薩、キリストや天使をイメージしていたならば、そんな姿をした者が迎えに来るでしょう。間違いも正解もありません。ひとまずは物質世界と比べても極端に違和感のない世界へと移行します。

 

ただ、今のこの世ではあの世の情報を得られたとしてもあやふやだったり、話す人書く人によって内容が異なったりしすぎるので、世界を創るにしても創作イメージの材料に乏しい状況と言えます。その人その人によって移行する世界が異なるというのが事実なのですから当然、起きてしまう現象なのです。

 

ですから、この世で生きている間に自分があの世をどのように創作するのかを意識して肉体死を迎える事が重要となります。
意識や想念が自分の世界を創るという法則は、この世に生きている皆にも多少は共通しているルールですからね。この世は益々そのようになって行きます。

 

「何から何まで誰かが決めたルールに従って生きるだけ」という部分が「この世」の長年の特徴ではありましたが、それでは人間が家畜と同じになってしまうため徐々にルール改正がなされているのです。

 

私が「この世があの世に近付く」と話しているのはこのことです。自分で創出する部分が大きいからこそ「知的生命体」となるのです。

 

2019年09月08日

インセプション

7年ほど前の映画、ディカプリオ主演の「インセプション」を皆さんご覧になられてますでしょうか。私は何度も観たのですが、今日数年ぶりに鑑賞して改めて感心しました。

 

 「夢か現実か」「生と死」「時間や空間とは意識が創り出している相対的な概念」「想念と創作」等々の「この世・あの世」双方に通ずる重要テーマが見事に盛り込まれている映画で、この21世紀初頭にせっかく先進国で生を受けたのならば必見!

私にはそのように思える作品です。

 

 「インセプション」、100円レンタルもされていますので、まだご覧になっていない方、是非ともご鑑賞ください。

 

2019年09月07日

新たに加えられる基本能力

小学生の頃からの考えとして、私は「人の視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚のいわゆる五感がどんなものなのかは、その人自身になってみなければわからない」というテーマがあります。

 

赤い色を見せれば誰もが「赤」と言いますが、その赤色とはどんな色として視覚認識されているのか。小さな頃からその色が赤だとは皆が認識しているのですが、自分の赤とその人が見ている赤とではまるで異なる視覚認識をしているのではないかと思ったわけです。私は幼稚園入園前から鍵盤楽器を演奏していたので、音というものに関してそんなことを思ったことがきっかけでしたが、嗅覚味覚触覚に至ってはもっと個人差があることが後々わかってきました。

 

成人すると更に個人差が大きい感覚が存在することに気付きました。それは霊感です。

距離や時間を超越して何らかを認識できる能力なのですが、その認識対象や能力差にあまりにも個人差が大きいため、誰もに備わっていて当然とされている五感には含まれていません。

 

霊力が地球人類にとって当たり前の能力となるのか、一部の例外的な能力として社会から排除され続けるのか。それによって地球人類の未来も大きく異なってくるでしょう。今がまさにその分岐点かと思われるのです。

2019年09月06日

空間と記憶や感情との関係

脳幹出血で倒れてから半年後から2年後くらいまで、私は再び歩けるようになる訓練のため毎日公園の散歩コースを通っていました。ところが昨年末頃から歩くことが難しくなってしまいタクシーやバスを使っていましたが、ついに再び歩けなくなって医師に「命が危険だ」とか脅されて(笑)入院をしました。

 

脳幹損傷による内蔵の機能不全で血液とかがマズイことになっていると判ったので、できる対策を採って半年ほどでボチボチ歩けるようになってきました。それで本日は半年以上ぶりで多めに公園散歩コースを歩いてみたのですが、頭がパンクしそうでした。

 

死に損なってからというもの、まだ生きるのならば、かつてのようなまともな肉体に少しでも戻そうと懸命に身体を動かす訓練を日々重ねていたのですが、頭脳は割と早く健康に戻っていたため、あらゆる事を考えながらノソノソ歩いていたのでした。今日、歩きながらその頃の記憶や感情が生々しく甦ってきたのです。

 

これは私の元々の持論なのですが、場所と記憶(感情)はリンクしているのです。

 

特定の場所で思い出す記憶、感情、曲は誰にでもあるでしょう。人の脳をハードディスクみたいに考えている現代人は誰もが見逃しがちなのですが、記憶・感情・音楽などの非物質は場所(位置)とも深い関わりがあるのです。

 

空間そのものが非物質なのですから、当たり前だと言ってしまえば当たり前のことです。だから気分転換とかアイデアひらめきを求めたりとかの場合は皆、旅行したりするのです。

 

睡眠や夢も非物質世界ですから、アイデアひらめきを求めるのならば旅行と同じように有効な手段となりますね。

 

2019年09月05日

叶わなくても良い

私は小学生の頃から「人の本質は非物質だ」とか言っていたわけではありません。(笑)

 

人並に車やロボットのオモチャを欲しがっていたし、楽器やスポーツ用品を親にねだったりしていた普通に物欲のある子供でした。しかし小学生では小遣いもしれているしバイトもできませんから、自然とカネを必要としない遊びに特化していったように思います。

 

十代後半からは、バイトをしたりどこかの従業員になったり起業や経営をしたりで、カネを稼ぐという行為に時間やエネルギーを費やしたし、色んな欲求を順次叶えてきました。子供ではどうすることもできなかった事を、大人になってから実現させたのです。

金持ちに憧れたり羨ましがったことはありません。「特別なことでもないし、時期が来たら自分も多少は稼ごう」と、子供心に思ったまでです。

 

カネ儲けでも恋愛や結婚でも何でも、憧れたり羨ましがったりしている時点で「自分にはその能力が無い」と定義しているようなものです。逆の言い方ですと「自分が実現させないような事に憧れたり羨ましく感じる」のですね。

 

芸術関連等では「自分は一定の能力にどうしても届かせることができない」という場面も多々あるでしょう。

しかし他の大凡のことならば、そんな特別な能力を要するものではありません。自分自身でハードルを上げて自己評価を低く見積もることで努力や工夫を放棄しているのです。

 

人の性質として「望み」は叶ってしまうとそれはどうでもよくなって別の目的や他に興味を持たざるを得なくなるものです。

 

ですから言いにくい事ですが、多くの人が夢や希望を持ち続けていたいが故に、何かと叶わせないように工夫している部分があるのだと私は思っています。

 

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2019年09月04日

ヒトを解明する

東京ディズニーランドでも「ホーンテッドマンション」というお化け屋敷みたいなアトラクションに入ったことのある人は多いでしょう。あれはホログラムという技術を活用しているのですが、立体の物質に見えるものでも実はそこに何の物質も存在していないということを気軽に体験できます。

 

人も宇宙も本質は非物質存在なのですから、物質の部分だけにフォーカスしていても本質的なことが解らないのは当然のことです。土をほじくって物質を持ち帰って「宇宙の解明」とか騒いでいるのでは、まさに幼稚園児の遊びです。肉体をいじくって「命の探究」とか言っているのと同じことですね。

 

恒星や惑星や衛星、それらの運行等の諸々が地球に影響を及ぼしていることは確実なのですが、現代人は肝心な非物質的な影響力を解明しようともしていないのですから、地球人が周りの星から乳幼児のような扱いを受けていることは妥当なのです。

 

星のことは後に続くこととなれば良しとして、まずは生物「ヒト」の非物質側面を理解することが急務なのです!

 

2019年09月03日

あの世からこの世を乱さない

現代人は肉体で生きていることを重要視しすぎています。

逆に言いますと、肉体を有しない非物質の人を軽視しすぎています。

俗に「霊」と呼ばれている存在のことです。

 

政治家でも企業創業者でも、他界後に生前以上の影響力を持つ方は大勢います。

手足を動かしたり口を使って話したりしなくても人を操れるとしたら、そして肉体のような寿命がない事を考慮したならば、それはもう絶大な威力を発揮できることはこの世の誰もがちょっと考えればわかることですよね。

 

実際にそれが要因で、長年この世は掻き乱されてきました。それではあんまりですから、皆が正しい「この世・あの世」認識を持ち、肉体で生きているうちに非物質の特性を活かすようにし、他界(非物質化)後はこの世に干渉しない方向に持って行きましょう~

 

そんな運動に私も参画していると思っていただければ、私の投稿は解り易い話かと思いますよ!(笑)

 

2019年09月02日

炭素から?へ

地球の生体や諸々は「炭素」がベースになっていることは皆さんご存知でしょう。元素記号から憶測して、「次は珪素だ」と言っている人も出始めています。

 

それにしても幼稚な地球人の憶測なわけですし、物質的に何がベースであろうとも大した問題ではないと私は考えます。それこそ「幽霊は何の物質でできているのか」というようなテーマに近いバカバカしさを感じます。

 

ただ、人体に限ってはこれまでとは基本的な構成物質なり構造なりが変わり始める時期だと思います。非物質に向かっている人類が物質としてどう変わるのか?では、旧地球文明の価値観を引きずっているだけになりますよね!

 

私は、昨晩の早い時間帯から急激な眠気に襲われてしまい、15時間くらい横になっていました。深い睡眠でもありませんし、どこも痛がったり苦しんだりはしていません。ただ静かな時を過ごしていました。身体の新陳代謝もほとんど止まっていたらしく、ほぼ汗もかかずトイレにも行きませんでした。この世界に意識シフトするのに数十分かかりました。

 

ここ数週間、「この物質肉体が」ではないのですが、全身をレーザー照射されているような感覚が継続しています。「誰に」でもなく無人の雰囲気です。同じような淡い記憶に包まれている方はいらっしゃいませんか?

 

人体の変貌を私は自ら感じています。

2019年09月01日

自然の生き物から学ぶ

私は魚だけを飼育してきたわけではありません。土地のある田舎に生まれ育ったため、小学生の頃には犬も猫も鶏も鳥も昆虫も爬虫類も両生類も諸々の生き物を飼育していました。その頃は人間よりも自然の生物から多くを学んでいました。

 

都会の大人ですと飼育していても犬か猫が大部分ですから、その2種に限ったお話をしましょう。

 

猫は人よりもずっと霊的な生物です。餌をくれたり世話をしてくれる人に媚びることも原則ありませんよね。それに対して犬は隷属する傾向があります。主人には基本的に忠実で、犬を子分のように可愛がっている人が多いことは皆さんもご存知でしょう。

 

警察犬はいますが警察猫はいません。それは能力の優劣ではなく、犬は人の指示を受けて働く事を好みますが、猫は人の指図を受けて人に貢献することには興味関心がないという気質の問題です。
個人的に私は猫の方が身体能力をはじめとしてあらゆる能力で勝っていると感じますが、皆さんはいかがお感じでしょう。

 

猫は肉体を有していながらも非物質的な価値観がメインです。餌をくれる人に気に入られようと努力することはありません。私は野良猫に勝手に餌をあげてペットのようにしていたのですが、ある日車に轢かれて即死しました。あれだけの身体能力を持っていながらハイスピードでもない車に轢かれて死んだようなので、小学生の私でも「好んで死んだのだ」と捉えました。犬や人とは死生観が異なるようです。

 

猫は起きている時でもあの世にいるようなものですしね(笑)

その頃から「猫から学ぶことは途轍もなく大きい」と私は感じていました。

 

2019年08月31日

原子力の真相

日本の広島と長崎に投下された原爆というものは、ハッキリ言うと非物質化の公開実験でした。殺戮兵器はこの地球にいくらでもありますが、必ず遺体が残ります。丸焦げだったり粉々に分散していたとしても、破片はどこかに散在するのです。

 

ところが原爆の爆心地でもろに被爆した場合、陰のようなものが残ったりしても遺体は瞬時に消えてしまうのです。爆心地から離れた場所で被爆した方は、よくある殺戮兵器で殺傷された場合と似たような被害を受けたケースもありましたが、原子力爆弾はその他の兵器とは原理が全く異なるのです。

 

この世の物質の構造自体に手を入れる、しかもその威力や影響力を知らずに子供のいたずらのように公開実験されたのでは周りの星々の存在にとっても脅威なのです。

ですからそれ以降は地球外知的生命体も地球に干渉せざるを得なくなったのです。地球人には理解できない方法で80年ちかくも阻止されてきました。

 

原子力発電がどうのこうのと長年地球のテーマとなっているのには、そんな背景があるのです。低知性な政治家や学者たちはそれを解っていないのです。

 

せめて地球外を含めた宇宙の破壊を遠慮するくらいの知性を、地球人が有してもよい時期なのですね。

 

 

2019年08月30日

非物質化、物質化は現実テーマ

物質の非物質化と再物質化の実験は第二次世界大戦中に既に行われていました。やはり軍事機密実験だったので公にはされていません。

 

予想していた、軍艦と乗組員が丸ごと消滅して瞬時に遠隔地に出現したまではよいが、肉体が戦艦と融合した状態で物質化されてしまったり、肉体が発火したり凍結したり、生きていても精神狂乱状態になってしまったりで、実験は失敗したものとして尚さら隠蔽されてしまったのです。

 

わかり易く言うと、肉体死と同じで非物質化は簡単なのだけれど、その時点(約80年前)では物質化には難があったわけです。私も一定期間をほぼ死体で過ごしていたのでわかるのですが、3年経った今でも健康な物質身体へと近付ける施術みたいなものがこの世とは異なる世界で続いています。

 

実験から80年も経ったのですから、公にはされなくとも研究開発はかなり進んでいるでしょう。

 

ですから、私が普段お話していることはもう絵空事ではないのです。

 

 

2019年08月29日

非物質面での進化

昨日の「移動」ではなくて「位置の転換」という話。基本概念を変えるということですね。 

子供時代から慣れ親しんできた概念を変えることに抵抗を示す人のなんと多いことか。

江戸時代の人がトラックや飛行機やヘリコプターや新幹線やPCやテレビやスマホを見たらどんな反応をするでしょう。たった数百年の変化でさえこんなに大きかったのです。

 

これからの数十年、いや数年後にどんな既成概念を覆すような事があっても驚きには値しません。そんな時代に皆が生きているのです。

 

これまでは主に物質面だけの進化でしたが、これからは過去に疎かにされていた地球人類非物質側面の著しい進化を遂げる時です。物質面での進化以上に思考の柔軟さが求められます。

 

非物質側面の探究は今の地球人類にとってまだまだ未熟な分野なのですから、逆に言うと「あり得ない」「不可能だ」と決め付けられるものは何も無いのです。

 

これまで「トンデモ話」として扱われていたことが次々と脚光を浴びるようになるでしょう。

 

2019年08月28日

この世の障害

よく「死後の世界」という言葉が使われます。肉体で死亡したら何もかもがなくなる前提で、もしもそれがあるなら…ということで特別なレジャーランドにでも行くようなファンタジーを想像している人がいるようです。それをネガティヴに想定していると「地獄」という話になるのでしょう。

 

この世に肉体で存在していても、誰もが多かれ少なかれ非物質としての性質も有しています。ですから、非物質世界では「物質世界特有の現象が無くなる」と考えてください。この世に特有の現象として主に挙げられることは「時間」と「空間」です。

 

「あの世では思った所に瞬時で行ける」「あの世では思ったことが瞬時に叶う」ということは、皆さんどこかで聞いたり読んだりしたことがあるでしょう。

 

原則、この世では時間と空間が絶対的な障害となっています。現在の地球テクノロジーでも地球の裏側へは行けますが、時間と空間移動とお金を要するわけで、それらが皆の世界旅行を簡単には実現させないわけです。
それらをクリアするのなら「あの世」的なアプローチが必須です。

 

「移動」ではなくて「位置の転換」的な発想ですね。「時」についてもそれは言えます。

肉体の死亡をしなくても、地球人類がこの世に生きながらそんな新しい概念を受け容れられるかどうかが鍵なのです。

 

 

2019年08月27日

この世に出てくるということ

この世での子供の誕生ということについて、現文明では生理学的な説明だけがなされていて、皆が「それで全てである」と信じてしまっている部分があるため、少しでも誤解を修復できればと思います。

いわゆる性交とは、確かに物理的な妊娠を促す契機ではあります。しかしそれは複数の要素の一つでしかないのです。

 

非物質存在をこの世に出現させる妊娠出産という現象は、昔からどこでも神聖な現象として崇拝されていました。日本でも様々な逸話があったり、性器をモデルにした祭りやイベントが各地に残っています。でも性行為だけが神聖視されていたわけではありません。

 

私が妻と知り合って間もない頃、自分が新築した家のすぐ近所に神社と「龍女菩薩」とやらの木彫りの像を発見してからというもの、神社仏閣には無関心だったはずの私が妙に気になってしまい、霊能者であった彼女に診てもらおうと数分だけ一緒にそこへ訪れたことがありました。

すると、彼女は龍女菩薩の前に立ちすくんで大粒の涙をポロポロ流し「今、透明の珠を授かった」と私に告げたのです。私は「非物質存在がこの女性を通じてこの世に出てくる告知をしてきた」と直感しました。その数年後に実際に妊娠出産したのです。

 

さすがは告知があって誕生しただけのことはあって、誕生日当日に私が脳幹出血であの世に向かうという入れ替わりまで画策してきたのでした。しばらく私はあの世を探索していたのですが結局この世に戻ってきて寝たきりからの再スタートを切り、息子と共に歩いたり話したりの訓練を重ねて今があります。
最近の息子の話を聞いていると、どうやら3歳になったばかりの息子にはその辺りの経緯認識や記憶もちゃんとある模様です。

 

昔と比べたら現代人はあの世との交信が希薄になっているため、少子化や不妊も自然の流れなのです。あの世にいる非物質存在がこの世に出てくる打ち合わせの機会も滅多に持てなくなったのですからね!笑

 

 

2019年08月27日

栄枯盛衰

添付の写真は風呂から出る際の息子から「写真撮って~」とのリクエストがあったため応じたものです。今月に3歳を迎えたのですが、これまで指を2本までしか立てたことがなかったので3本立てられように教えたら「この指の形気に入った」とかなんとかで撮影を求めてきたのです。

 

私が小学生低学年の頃に「まことちゃん」というマンガが連載されていて、そこに出てくる指のポーズ「グワシ!」ができる、できないと周りと遊んでいた記憶が蘇ってきました。そこから今派生した色々な思いを題材とします。

 

栄枯盛衰という熟語は誰もが知っていますよね。人は生まれたら成長し、老いて行く途上で病や事故で死ぬ。文明は栄えたら必ず廃れて滅びを迎える。果物は実ったら熟れて食される。それらを目的に育てて収穫しているのが農業なわけです。

 

ところが現代人はその地球自然の法則を受け容れられずにあがいているのです。老いや病や死を悪いこととして捉えています。毛虫が蛹になることを嘆いたり避けたりしていたらどう感じますか?果実が熟れないように成長を留める努力をしているマヌケな人がいたらどうでしょう。

 

ところが実際に今は文明社会人類全体がとってもマヌケな状態に陥っています。これまでもこれからも、地球にいる限り地震や津波や火災や火山噴火や暑さ寒さで死亡をすることも自然の理です。地球にいるのだから、地球の自然の循環に抗うことは無駄なことです。
だから子供を設けて育てることには時間と労力がかかるからと言って避けて通ることは自然の理に反しています。今では種無し果物とか野菜とかまで流通しています。

 

そんなことをしなくても誰もが確実に老いて死んで行きます。なのに未来のための種は撒かない方向性。つまりは地球人類自らが潜在的に滅びを望んでいるのですね。

 

ただし、これらは物質世界に限った傾向です。

ですから私は非物質文明に向けての準備を進めています。

 

2019年08月26日

「ある」のか「ない」のか

今日はこの世(物質世界)の話です。

 

ヒトとは「ある」と認識しているものしか見つけられません。「ない」と認識しているものは仮に目の前にあっても「ない、ない!」となってしまうのです。

 

素粒子や量子力学とかのミクロの話を持ち出しても、ものが「ある」のか「ない」のかは観察者が決定しているということがわかっています。物理学も極めると長年オカルトと呼ばれた霊魂の追求と似たようなものなのですね。

 

アナタが「ない」と認識しているものは、アナタによって実際になくなっているのです。

逆にアナタが「ある」と信じているものは発生しているとも言えるわけです。

 

アナタは何が「ない」と認識しているのでしょう。お金ですか?愛ですか?友人ですか?家族ですか?健康ですか?時間ですか?・・・

 

まずは「ある」と認識することが物理的にも先決なのです。

 

これらのことも、これからの時代は科学の一環となるのです。

 

2019年08月26日

これからの世代の皆さんへ

私が乳児から大人となるまでの人間社会環境の変化は、今のそれとは比べ物にならないスローペースでした。そしてその変化はこれからも加速度を増し続けるのか、停滞や退化をするのか、いずれにしてもこれから20年もすれば自分の子供時代とは全く異なる環境下にて今の子供たちは大人として存在しているのです。

 

ここ数百年を振り返ってみても、現在ほど後の世代を蔑ろにして大人が自分の都合や肉体生存維持のためだけに生きていた時代も地域もなかったかと思われます。経済の事は除外して、計りしれない膨大な負の遺産を築き上げて文明を終焉させるとは何たる皮肉でしょう!

 

今の政治経済で張り切っている世代と比べれば「別種」と言ってもよいほど価値観が異なる世代がこの世に誕生しはじめていることも事実です。私が倒れた日に生まれた息子はもう3歳になりましたが、1歳からタッチパネルを検索して歌や映像を楽しんできたのですから、それはもう言う事や要求することが私の感覚では中学生ぐらいなのです。

 

現文明は既に物質的には絶望的ですが、非物質文明に向かう方向性は担保されているようにも感じられます。皆さんはその辺り、いかがお感じですか?


2019年08月23日

自覚を促す理由

私が連日皆さんに「非物質知的生命体」であることの自覚を促す発信をしているのには理由があります。

 

物質万能主義であった現文明が解体されて新地球文明を構築するということは、肉体生存のためだけに搾取と殺戮を常とする「人間」と呼ばれる低次元の動物だけでは成し得ません。

地球オリジナルのその他あらゆる種は充分に賢くて美しいのですが、押しなべて現在最も醜くて愚劣な種である「人間」だけでの地球文明刷新は難しいのです。

 

しかし、良くも悪くも期は熟したのです。惑星地球物質領域内に、知的生命体としての本領を発揮できる存在がもっと求められる時期に入ったのです。

 

だから、私はそれが成就する可能性の高いこの世の日本という地で、日本語にて発信しているのです!

 

2019年08月22日

非物質基本講座「その9」

易しく説いてきた「非物質基本講座」シリーズも、これで一旦は最終回とさせていただきます。

 

人が非物質知的生命体であるということ、それらの認識がこれからの地球文明にも不可欠であるということが解っていただけたのなら幸いです。

 

つまり人は基本が非物質生命体なので、他殺や自殺にも現代人の皆が考えるほどの大した意味がないのです。事故や災害に巻き込まれたり病気でこの世を去る状況が訪れても、肉体死が全ての終りではないということです。

 

自分の身にそれらが降りかかっても、肉体死とは自分の存在形態が変化するきっかけでしかないということをしっかり認識しておいてください。遅かれ早かれこの世の万人に該当することなのですからね。

 

 

2019年08月21日

非物質基本講座「その8」

人は食物や飲料を摂取して糞尿を排泄することで生きている。

そんな風に皆さん小学校でも習ったでしょう。でもそれは物質に限定してだけの話です。

呼吸も酸素吸入と二酸化炭素排出の話だけではなかったでしょうか。

 

なぜ人はほぼ毎日睡眠をとるのでしょう。答は非物質生命体には非物質のエネルギーチャージが不可欠だからです。起きている間にもそれをしているのが呼吸です。そんな事すら知らない人が教員という職業に就いているのが今の地球文明の実態です。

 

私は子供の頃からフルカラーで脚本のしっかりしている夢を毎晩観ていました。それが何であるのかの説明を人に求めることを幼稚園頃には諦めていました。近頃でも睡眠中に体験している非物質世界での出来事が連日濃厚なのですが、この世で3歳になったばかりの息子を保育園に送り出す準備を手伝うために私は一度必ず起床します。ところがここ数日、超煩雑なあの世の体験を一旦切り上げてでも息子を送り出そうとこの世界の身体を起こすと「起きちゃダメ!まだ寝てて~」などと無理矢理にでも息子が私を押さえ込んでくることが何度かありました。

 

息子は私の睡眠中にしている非物質行為の重要性を理解しているようなのです。地球にも非物質世界を認識している世代が出始めてきているのですね。この子が大人となる頃には地球も半霊半物質の知的生命体で溢れてくるのでしょう。異星との交流や、かつてピラミッドがそうであったように重力を制御しての建築物が再び現れるのかもしれません。

 

その前に、今の低レベル文明の解体作業や地球新文明構築作業があるのです。そんな事まで今とこれからの子供に任せっぱなしで上の世代は死ぬことだけを楽しみに過ごす、というわけにもいかないですからね!笑

 

2019年08月20日

非物質基本講座「その7」

「ワンダラー」「ウォークイン」との言葉を聞いたり目にしたりしたことがある方も多いでしょう。人は本来が非物質知的生命体ですから、どの物質肉体にどんな非物質存在が宿っているのかは、誰を採ってみても謎の部分が多いわけです。「ワンダラー・ウォークイン」とは生まれつき、もしくは事故や病気で肉体を離れる機会をきっかけに、それまでの肉体の主とは別の非物質生命体が宿る現象の総称みたいなものですね。

 

私は、3年前に脳幹出血で意識不明の重体となったことがきっかけでそれを経験しました。意識が戻って「一命を取り留めた、奇跡だ!」と医師には思われたのですが、戻って来た肉体の中身がこれまでの自分とは別の存在だったのです。しぐさや喋り方まで生前のその方にそっくりだったらしく、後に自然とその方の娘さんと一緒にお会いして話をしたり食事をしたりの機会を得ました。そしてこの世に娘を遺して逝った父としての想いを代わってお伝えすることもできました。

 

幼稚な今の地球の科学とやらでは説明がつかない現象ですよね。自分が体験できたからこそ見えてきたものもありました。その方は徐々に私の肉体から離れて行き、今では非物質として少しグレードアップした元の自分に中身も戻っています。

 

ですから、現在の地球人のあまりにも低レベルな「人」という存在に対する認識を、なんとかまともなレベルに引き上げねばならない!という衝動に私は駆られてしまうのです。(笑)

 

2019年08月19日

非物質基本講座「その6」

日本では昔、この世の人・動物・魚・鳥・昆虫はじめ植物や鉱物等も非物質エネルギーに満ちた存在が物質化した形態を採っているということを認識していました。教科書でも「万物に神が宿っているとする考えのアニミズム文化」的な表現があったのを憶えている方も多いでしょう。

 

物質科学万能の価値観に染まっている文明に浸った現代人は「原始的な習慣であった」くらいに考えていますが、実は昔の人のほうが余程科学的だったわけです。科学が物質を対象にしている限り地球文明は幼稚なままです。星間交流を例にとってみても、高校生や大学生の仲間に幼稚園児が混じって交わることはありえませんよね。ごく稀に「幼稚園児でもいいよ」と言ってバカにはせず遊んでくれたとしても、幼稚園児に合わせたことしかできません。それが今の地球の状態です。

 

霊魂や時や空間といった非物質を科学しないことには何もはじまりません。幼稚園児を大学生に飛び級させるような大胆な計画が開始されています。日本人ならばそれが出来得る素地があるのです。私も物質世界に出てくるにあたって敢えて今の日本の地を選びました。

 

ここが唯一の原爆実験会場国となったことも、近年では阪神や東北の災害で大量の死者が出たことも偶然ではないのです。新しい地球文明はこの地を中心に発信されて行くのです。

私は今は地球人ですが、ナショナリストではありませんよ~

地球の国家とか民族とかには無関心です(笑)

 

2019年08月17日

非物質基本講座「その5」

人が非物質生命体であることは実は誰もがどこかで認識しています。そのことを追及したことがないというだけです。

 

一見、優しくて思いやりがあるようなことを言ったりやったりしている人を「なんか嘘っぽいな」とか「本心じゃないな」とか感じてしまうことは誰にでも多々あるでしょう。逆に手厳しいことを言ったりやったりしているのに「愛があるな」「本当は心優しい人なんだろうな」とか思ってしまう相手も存在するわけです。

 

人を非物質エネルギーとして見て感じることは子供でもしていることです。「これが非物質エネルギーです」と物質として証明できるものではないので、「それがある」とは断言できないでいるのです。

 

人が非物質エネルギーであることを考慮すれば、「誰が実験しても同じ結果が出る」というような理科の授業的なことのナンセンスさに気付くはずです。今のこの世では、醜悪な殺人犯でも「証拠がない」との理由で無罪になり、「動かぬ証拠がある」との演出があれば誰でも犯罪人に仕立て上げることができてしまいます。

 

人の念が物理的な作用を及ぼすことは、とうの昔からわかっていることなのに「人も物質である」との現代の社会風潮ではそれに説明をつけることができないでいるのです。料理もモノづくりも政治も何もかも、それを扱う人によって結果が異なることは確実なのですね。

 

2019年08月16日

非物質基本講座「その4」

非物質生命体と交信ができる人は、この世では「特殊能力者」というレッテルを長年貼られてきました。皆が能力的に劣っている中でまともな能力を有しているだけで権力者の脅威となってしまうわけです。

 

ここ数千年、民が能力的に劣っているのをよいことに、この世では権力者が民を欺いて騙して搾取して利用することばかりが行われてきました。そんな世の中で非物質知的生命体としての本質的な能力を理解し、その能力を駆使されたのでは、権力者にとってたまったものではないのです。

 

魔女狩りというものが実施された背景にはそんな権力者の事情があるのです。家畜ならば去勢して基本的な能力を削除する事は当たり前なのです。民が非物質知的生命体の能力を認識してその能力を活用しだしたら、この世に「権力」というものは存在し得なくなるのです。

 

皆が動物のように肉体死を回避するためにはどんな労役や理不尽にも耐えているからこそ、権力者は存在していられたのです。

 

長年続いたそんなこの世の社会の仕組みも
終焉を迎える時が訪れました。

 

2019年08月15日

非物質基本講座「その3」

人にとっての大切なものとは昔から、挙げてみれば「愛・智慧・勇気・思いやり」等の非物質生命の特徴でした。ところが日本でも欧米化が進んだ今では「カネ・健康長寿・名誉」等になってしまっています。

 

そんなものは物質肉体に限られたこの世だけの限定価値観です。物質的に貧しかろうが健康に難があろうが短命だろうが、それらをクリアできたかと思えようが、それが人にとっての全てであると勘違いをしているからスムーズに他界できなくなるのです。人を家畜として扱って「奪う・殺す・侵略する・利用する」しか能が無い人達が作った文明価値観に、日本の皆が染まる必要はないのです。

 

日本が国際競争力に乏しい一国になったということは、原点回帰のよき兆候なのです。目に余るおぞましき今の地球文明を変革する新しい文明価値観を、地球の全世界に発信することが日本の役割となってきているのです。

 

自分が他界する場面で後悔なきよう、この世の人生を充実させましょう。
特定の誰かの犠牲になることをお勧めしているわけではありませんよ!

 

2019年08月14日

非物質基本講座「その2」

せっかくのお盆ですから続けて「その2」です。

 

相手が他界してそんなに経っていなければ、自分が物質次元に存在していた時にあの世に対してどんなイメージを持っていたのかをまだ憶えているので、多少勘違いをしている肉体人にも寛容になれるのです。だからこそ「相手もしたくない」とかではなくて、何に関してでも「そうか、そうか…」といった具合で好意的に受け容れてくれたりもするのです。ですから他界した両親、祖父母くらいの近親者には日本の世間全般で次元を超えて挨拶をする習慣があるのだと思ってください。

 

日本では昔の皆は次元を超えた交流を一般的に図っていたのです。したがって今でも「人とは非物質である」という概念を欧米人よりは受け容れやすい素地が日本人にはあるのです。

ちなみに、俗で言う宇宙人との接触といったものも存在形態が異なる種との交流ですから、基本的にはそのような問題なのですね。

 

2019年08月14日

非物質の基本講座その1

人が非物質とはどういうことでしょうか?

 

皆さんは動物と同じ物質の肉体という形状をとって人生経験をするという選択をしましたが、元々は非物質の存在なのです。昔の日本人の呼称ならば霊魂とでも言いましょうか。

 

ただ、肉体の誕生と肉体死という区切りでこの世のステージが一旦終わることから、多くの人がそれこそが全てであるという錯覚に陥っているのが現在の主流文明国でのこの世の社会風潮なのです。

 

それで勘違いをしたまま肉体死を迎える人で溢れかえってしまうことが問題となり、肉体を有したままで非物質生命体としての特性を発揮する人がこの世に出始めているのです。

そのことが、ざっと言うと「アセンション」と呼ばれているものだと思ってください。

 

この世でも非物質形態で人々がコミュニティを作っていた時代はあります。ただ、それを物質的な遺跡等だけから発見しようとすることに無理があるのです。そもそも非物質となると、時や空間の概念がこの世とは異なるので、余計に解らなくなってしまうわけです。

 

2019年08月12日

生まれてきた理由

人間の子供は生まれてから数年は実に手がかかります。大抵の父親は働きざかりですから、妻なり誰かに世話をまかせて「気付けば○歳にもなっていた」といったケースが多いでしょう。

 

ところが私の場合は息子の誕生直前に自分が脳幹出血で倒れ、一緒になって立ったり歩いたりの訓練をしていたくらいですから、かなり多くの時間を共に過ごせたわけです。昨日でその記念日から3年が経過したのですが、指の感覚を多少取り戻せてからはオムツ交換などもできるようになって育児を多少手伝えるようになりました。

 

倒れて半年くらいは自分が赤ちゃんみたいなもので、妻には負荷をかけていました。今、区切りがついて改めて思うことを記してみます。

 

自分がどんな目的でこの世に出てきたのかを、じっくり考えることすらなくこの世を去って行く人は多いでしょう。ところが、もうすぐ50歳という年齢だからこそしみじみと感じることができる事なのかもしれませんが、誰もが自分の子育てをしながらそれを意識しているはずなのです。

 

私もこれまで子供がいなくても大半の時期は「自分は何故この世に出てきたのか?」という自問自答を積み重ねてきて、おぼろげながらにも人生の指針を固めてきました。その事すらしないで惰性だけで人生を送っている人が今の文明社会では多いようですね。

 

ところが50年近く前の自分の姿にそっくりな息子と日々接していて、自分がこの世に肉体を有して出てきた経緯を明確に掴めたのです。この世で自分が生きる方向性に確信が持てるようになったということですね。

 

それが「人とは本質的に非物質の知的生命体である」ということを、この世の皆に認識してもらうことなのです。

 

この世が真の意味で知的な存在で構成されるように!

 

2019年08月12日

知性の履き違え

人とは、知らないことに恐怖を抱いたり回避を試みようとします。そして現代人のほとんどは肉体死について知らず、死を怖がって死を迎えることを考えずに老いを迎えます。

 

考えることさえしなければ肉体死がなくなるわけではありません。2~3歳まではそれでも良いでしょうが40~50代になってもそれでは、いくらなんでもお粗末すぎて呆れてしまいます。でも実際に皆がそのように混乱して肉体死を迎えているのが現代社会です。

 

肉体死とはどういうものなのかを隠すでも無いことにするのでもなく、理解していれば怖がることも避けることもないのです。この世の生物にとって誕生や死は自然現象です。死をタブー視しているような社会ではまともに生きることも出来なくて当然。それは文明社会と呼ぶことすら憚られる実態です。

 

知的生命体が築く社会なのでしたら、もっと基礎的な知性を養うことが重要。ほとんど知性のない愚かな人達だけが寄り集まっているのが今の文明社会なのです。知的な人も少しは存在していますが「未開人」「原始人」として邪険に扱われているのです。

 

今は自分が文明人であると錯覚している愚かで低知性な人たちが一気に目覚めて、地球にまともな文明を築くタイミングなのですね。

 

2019年08月11日

規制緩和

今日は息子の3歳の誕生日であると同時に、私が意識不明の重体となってあの世に行ってきた3周年記念日です。
日帰りではなくて、この肉体を植物状態にしての長期旅行でした(笑)

 

この世の人の参考になるであろう経験を沢山してきましたが、その後も私が肉体でこの世を生き続けられるかどうかが微妙なので遠慮していました。どういうことかと言うと、私があの世情報を発信しはじめるとそれを不都合に思うらしいあの世の存在が私の肉体生命を絶とうとするからです。

私としては物質世界の肉体を去ることも歓迎なのですが、わざわざあの世に行って還ってきてまで情報収集してきた成果を出せなければ、苦労してこの世に還ってきた甲斐もないわけです!笑

 

この世にあの世情報を降ろす事については近年、規制緩和がなされているようです。ところが一部の特異な人ならまだしも、一般の人が見ても怪しくない人がそれを堂々とできるような緩さが残念ながらあの世にもまだないようなのです。(それでも私は充分怪しい人であると見なされているとは自覚していますが…)

 

寝たきりで意識が戻ってからというもの、懸命なリハビリを続けた甲斐あって歩けるようにまでなったものの、半年前に肉体生命が怪しくなって入院しました。これは脳幹損傷の後遺症として心臓や腎臓を中心に内蔵機能異常が発覚しただけでして、あの世の規制緩和とは無関係なこの世の事情かと思われます。

 

以後も、この世から抹消されない程度に様子を見ながら情報発信をして行くつもりです(笑)

 

皆さん、共にあの世についてもっと学んで行きましょう!

 

2019年08月10日

盆休み

お盆で連休となっている方も多いでしょう。「大人になってからの夏休み」といったニュアンスで捉えている人が現状ではほとんどでしょうが、「先祖の霊を祀る」ということが本来の目的となっているお休みです。

 

宗教には無関心だとしても、他界した先祖はまだこの世にいるアナタの挙動に興味関心を抱いているのです。日常的に通信している人は少ないでしょうから、年に一度のこの時期くらいは思いを馳せてみる事も悪くはないですね。俗に言う守護霊・指導霊との交信に当たっているケースもあります。

 

初詣みたいにこの世的なお願い事をする機会でもないのです。感謝と報告の念を送ってあげるだけで充分でしょう。そのことで向こうもサポートしやすくなることかと思いますよ!

 

2019年08月08日

不平不満はゆとり?

今日は一月半ぶりに病院で検査をしてきました。半年前に歩けなくなって入院した時は血液検査と尿検査をして「これでよくも生きていますねぇ」と即入院となったのですが、今はだいぶ健康な人の血液と尿に近付いているようです。

 

脳幹と小脳を血管の破裂で損傷して死ぬであろうと思われたものが、生き延びたのはよいが二年半でピンチが訪れたのでした。心臓も肺も全ての臓器が作動するよう指示を出しているのが脳幹なのですが、心肺機能が止まらなかっただけでも奇跡であるとの扱いで、その他の臓器の機能がデタラメになっていたことが再び歩けなくなったことで発覚したのです。

 

死んで元々の事態から派生していることなので、考えたり話したり読んだりワープロを打ったり、ヨレヨレでも歩けるだけで充分良しとしているのです。後は他界できる日を楽しみに、今の身体で出来る事をコツコツ進めるだけです!笑

 

私が倒れた日に誕生した息子も来週で3歳を迎えます。ここまでコイツの成長を見届けることができたことも感慨深いものがあります。正直、私の三年間は不足を嘆いているヒマもなかったのです。

 

不平不満がこぼれているうちは
贅沢すぎる環境であるというだけのことなのかもしれません。

 

 

2019年08月07日

失うことで得られるありがたみ

添付写真は事務所の水槽です。中身は小魚だけで地震に備えて水も半分以下しか張っていません(笑)。重たくした方が倒れにくいのですが、賃貸物件のフローリングをこぼれた水でビチョビチョにしてしまうのも後々厄介なので…

 

三年前、一度は視力や聴力や全身の触覚をほぼ失ってしまったので、水槽の小魚を眺めながら小音量で音楽を鑑賞するだけで充分な贅沢を感じられます。

 

50年近く生きてきて、多くのものを失う経験ができたからこそ味わえる感覚。実際に健康だった若い頃にはカネと時間をどんなに費やしてもこんな至福感は得られなかったのだから、皮肉なものですね。

 

何でも一度失うとありがたみが増すことは、いくら聞いたり読んだりしても実体験を伴っていなければ解らないことだと思います。それによって人生の面白みが増すのです。

 

ですから何かを失った場面では「よし、これで人生の楽しみが増えるぞ!」くらいに解釈すれば、どんな人生でも面白みが出てくるわけですね~笑

 

2019年08月06日

旅発ち

あの世に旅発つとはどういうことでしょう。

 

皆さんは例外なく非物質の生命体だったのですが「密度の荒い物質の生命体を体験する」との要望により非物質のエネルギー体から三次元の肉体という物質次元に降下する選択をしました。ところが今のこの世の社会のしくみや価値観の影響を受けて、多くの人が「肉体物質から出たくない」というカルト宗教信者のようになってしまうのです。

 

私の父は自動車販売業をしていたありがちな唯物主義の人でしたが、母が他界する頃から10年以上も長男である私が傍で暮らしていて、私は事あるごとに人の生死について父に語ってきました。大病の手術の影響で不便な身体になっていながらも晩年まで元気で、まさに最期はピンピンコロリでした。午前は友人らと語らっていて、別れた直後に老人娯楽施設の風呂で寛いでいて急死したのです。何も患うことなく何の予兆も無く急死するなんて、なんと健全な他界の仕方でしょう。

 

母は知的障碍者の子(私の弟)を産んで育てたこともあって、「今生この世に出てきた目的は果たせたから死ぬことが楽しみだ」というような事を晩年には話していました。ご他聞に漏れず医療業界のカモにされたのですがが、検診を受けてしまって脅かされて何度も手術を受けて薬を飲まされて次々と病院にカネを落とし、見る見る衰弱して逝ってしまいました。
同じ病室に入院している、いかにも病人の老人を見て「私はあんな風になりたくない」とこぼしていたのですが、短期で他界できたのでその心配は無用でした。もう話せなくなった頃に「弟のことは俺が見るから大丈夫」と言ってあげられたことが最期の親孝行でした。

 

そんな妻の死を目の当たりにした後では唯物主義の父でも人の死後について考えるようになった模様です。霊魂をバカにしていたタイプだったのに晩年は非物質の母の存在を感知できたようでしたから、自分も潔くあちら側にダイブしたのでしょう。じっくり時間をかけて非物質のあり方に馴染めたのです。その後私も脳幹出血でダイブしたのですが、連れ戻されてしまってまだこの世にもいます(笑)。

 

どんなに頑固な唯物主義者でも非物質の理解者へと変わることができる、ということが身近で実証されました。でも事故や天災での突然死は心の準備をしている時間がないので厄介なのですね。
皆さん、せめて事が起こってからでもこのことを思い出してくださいね~

 

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