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2019年 12月
2019年12月26日

自分は自分

中学生以上なら誰でも知っていることですが、多数の細胞が集まって機能することで各種臓器や肉体の部位を形成しています。

 

個々の細胞が自己主張ばかりしていたり特定の機能を担うように強制していては、肉体のあらゆる部位が機能しなくなって肉体死を迎えてしまうのです。

これは人間社会にも該当すること。

人体でいえば心臓や脳だけが重要なわけではありません。切って捨てるだけのために伸びてくるようにも見える爪や毛だって必要があって生えているのです。

それぞれの細胞に優劣があるわけではありません。
ムダ毛処理に苦労している人もいれば髪の毛がなくて取り繕っている人もいます。ムダ毛があってはダメだとか禿は犯罪だとかの法律があるわけでもありません。
どんなに食べてもガリガリで肥れない人もいれば大食漢でもないのに全身シモフリ肉の人だっています。

 

どんな身体的特徴があっても「それが自分だ」と受容できればよい話です。「これではいけない・ああならねば…」それは誰の基準でしょう。

 

「心臓だったらよかったのに」「私は脳になりたい」
はたしてそんな細胞があるでしょうか(笑)
他の細胞がそんなことでしたら機能不全に陥るだけ。人間でしたら自分がなぜそのように考えてしまうのかを見つめてみましょう。

 

 

2019年12月23日

ヌーソロジーを知っていますか?

昨日はヌーソロジーレクチャーに参加してきました。

半田広宣氏が発信する情報を吟味するようになって早くも20年以上が経ちました。半田氏の著作の初版が発刊された数年後に上映された映画「マトリックス」を観た、まだ20代であった私は「ほどなく地球文明が大きく変貌する時期が訪れる」としみじみ感じました。

 

何年か前、私は「『マトリックス』とかの映画を引用してヌーソロジーの説明を試みたらどうか?」などと偉そうに提案したことがありましたが、今年に入ってそのような新刊を出してレクチャーまで開いてくれたのです。

 

私が大いに価値を認めてきた半田広宣氏の発信する情報が、より一層多くの人々に受け入れられるよう工夫をこらしてくれたことに、私は沸々とした喜びを感じます。

 

人間や宇宙の捉え方が大きく変わるであろう半田広宣氏の発信するヌーソロジー、その概念には本当に多くの人に触れていただきたいのです。

人間が肉体に閉じ込められた動物の一種であるという概念のままでは「地球人は知的生命体である」とは言えないのです。進学や就職や資格取得や金儲けのためのくだらない勉強はほどほどに、人間であるならば真に知的であってほしいと私は強く願うのです。

 

 

 

2019年12月21日

活力の元

「儚い」という言葉。皆さんそう頻繁には使わないでしょう。

 

名声を得た後・愛する人と結ばれた後・大金を手にした後・間もなくご臨終となりそうな時・そんな場面で使われる言葉ではないでしょうか。

 

逆に言うと、名声を得られない・愛する人と一緒になれない・カネが手に入らない・健康でまだまだ死にそうもない(笑)とかだったら出てくる言葉ではないのです。

 

善し悪しの問題ではなく、実に深い言葉だと私は考えるのです。まだ成就していない物事が多いほど使われることのない言葉だとも言えるでしょう。まだそうなってはいないけれど成就させたい何かがあればあるほど夢や希望を持って生きるモチベーションが保てるということにもなります。

 

皮肉なことに、環境に恵まれていない人ほど活力のある人生を送っている場合が多いことは事実ではないでしょうか。ただし心の持って行きようによっては鬱状態や自殺を招くことだってあります。

 

鬱っぽかったり生きる意義を見出せないとしたら、それは元々が恵まれすぎているサインなのかもしれません。

敢えて今より厳しい環境に思い切って飛び込んでみれば、案外治ってしまうのかも?

 

 

2019年12月19日

「時間はない」と説明する理由

過去生とか今生とか未来生とか・・・
時とは直線的に流れているものだと認識している人に、スピリットなり霊魂なりの本質を説明するためには必要とされる単語です。

 

楽曲というものを説明するときに、アルバムCDが手元にあったとして「2曲前の構成は…」「3分先の展開は…」等と説明する他はないのと同じですね。CDを手にして「これが全てだよ」と言ったところで、時間というものを経て音楽を再生しなければ何のことだか判らない(笑)。

 

ですから誕生・成長・老い・病・肉体死といった時間経過を前提にしなければ、物質としてのこの世の人生は説明のしようがないのです。ただ問題は、霊魂やスピリットは物質ではないので本当は時の経過というものを前提に説明できる性質のものではないということ。

 

だから「今しかない」みたいなわかったようなわからないような説明になってしまうのがこれまででした。かといっていつになっても霊魂が肉体のような物質としての性質を帯びるわけでもありません(笑)。

 

物質を超越した非物質の性質が人の本質であるということを、物質でもある肉体人間がどこまで理解できるのか… 
宇宙時代に突入できるかどうかはそこにかかっています。

 

 

2019年12月15日

何が陰謀?

俗に言う「陰謀論」ってあれこれありますよね。

 

 

学校では教えない様々な意図や手法を暴くみたいなものが多いわけですが、例えば人を害することでカネや名声を得ることの何が陰謀なのでしょう。

 

そのことについて少し書きます。

 

地球文明を振り返ってみると、カネや名声欲しさから呆れるほど多種の営みを試みているのが地球の人間という生き物の特性です。

 

労働者だろうが経営者だろうがそこに変わりはありませんし、それらの人々から搾取することで生活を成り立たせたい人は、官僚とか政治屋とかの職業に就こうとするわけです。

 

ちょっと勉強すれば解ることです。一部の人を潤わせるために大多数の人が利用されているのが地球という星での人間の営みの特性です。

 

人を殺そうが騙そうが、合法であるかどうかだけの問題なのです。

 

それが地球のスタンダードなのであって、陰謀でも何でもないと私には思えます。

 

ただ、人間という生き物の在りようとして、それはいかがなものか? そこが論点ではないでしょうか。

 

カネのためとはいえ、こんなにくだらない事を日々繰り返しているだけなんて、地球人はおかしいのでは? そう考えて何らかの行動を起こす個人がどれだけ出てくるのか。

 

いつの時代でもそこにかかっているのでしょうし、今はそれに関する何らかを穏やかに実践する人が増えつつあるように感じます。そのことによってのみ地球は変貌して行くのですし、そんな兆しを私は感じています。

皆さんはいかがお感じで?

 

 

 

2019年12月08日

視えているものは何?

眼で視えているものとは何でしょう。

 

元々そのようなことを考える傾向が私にはありましたが、3年前に脳幹出血で寝たきりになって左右の眼のピントを合わすこともできなくなり、改めてしみじみその事を考えるようになりました。

 

生まれつき盲目ならば霊眼が発達するとか、その分聴力の優秀な盲目のミュージシャンも実在していることは解ります。

 

でも視えていた期間があった場合、肉眼で視ていた物質世界だけが現実であると認識しているわけで、触覚や嗅覚や人から聞かされた話でかつては視えていた世界をイメージする、ということが当たり前となるでしょう。

 

しかし生まれつき盲目だった場合「現実世界とは何か」との認識が、視覚のある人のそれとは全く異なっているわけです。

 

ヴァーチャルの視覚を体験できるテクノロジーが既に現存する今となっては、「はたして肉眼が捉えているものとはいったい何なのか」という事は、誰にとっても重大なテーマです。

 

手足も動かない上に肉眼でほとんど何も識別できないという体験を経た私は、あまりの不便さから「なんとか克服しよう」と眼球をあれこれ動かしてピントを合わせる訓練を重ねた結果、3年経った今ではほぼ倒れる前と同じくらいの視力をとり戻しました。

 

だからといって「これが現実世界である」との確信は得られないまま。

 

実際に意識不明状態中の私は、肉眼を使わずにあの世で様々なものを見てきたのですから。

 

皆さんは、視えている世界が何であると考えていますか?

2019年12月05日

性的欲求を超越

性欲とは動物の本能欲求ですから、種の保存のために異性との性的結合を求める行為。

その時期には個人差があるものの、求め出すのは生殖機能が発達し始めた小中学生頃からということになりますね。

 

思い返してみると、幼稚園児だった頃に自分が好きだった相手は男女年齢問わず複数人いました。

 

果たしたい性的欲求があったわけでもなく単に人に好意を抱いていたのです。

同性以上に異性を選別し、同時に自分が異性から選ばれることによって子孫を残そうとしている。 

 

他の動物と同じ原理が人であるはずの自分にもあるということに複雑な心境を覚えました。

 


よって思春期ともなると、自分が異性からもてよう努力することにバカらしさや嫌悪感を抱くようになってしまいました。

若い頃ならスポーツでも音楽でも勉強でも仕事でも、恋愛や結婚に有利にはたらかせたいことが大きな動機。


多くの人にとって最大の生きる動機が私にははたらかず、子供の頃から「人間とは何か・生死とは何か・宇宙とは何か」といった事に最大の興味関心を抱き続けてきたのです。

そんな人なら当然……(笑)



でも社会をよりよく観察する中で、異性との結合欲求があらゆる人間行為の動機ともなっている社会の仕組みを理解できました。

 

私は3年前に脳幹出血で倒れて一度はほぼ全ての肉体機能を失ったため、幼児期以来の「性的欲求とは全く無関係に人と関わる」ということが再び可能となりました。しかも大人の教養があるのだから新鮮!笑

 

何事でも禁欲は返って執着となりますから、欲そのものが湧かないことが究極の理想なのです。

 

2019年12月02日

時間概念の変容

またもや寒い雨。室内で雨や寒さを凌げることがありがたい日ですね。

今年も今月で最終月となるわけですが、多くの人があっという間だったと感じているはずです。

 

本来は直線時間などないということを語っている私ですが、それでも表向きは直線時間があるかのごとき人間社会がこの世で成り立っているのは集合意識での合意があるからに他なりません。

その合意が崩れかけているのです。

 

これからは、時間が均一に直線で流れていると考える人にとってはそれが凝縮されて驚きの展開となるでしょう。

中学高校などの教科書に載っている歴史とやらが、いかにデタラメなのかも証明されるでしょう。

今オフィシャルな歴史となっているものはカルト宗教信者の言説みたいなもの(笑)。

多くの人がそれに騙されて信者とさせられているのです。

直線時間で言うならこの世に来る前やこの世を去った後、この世にいながらも夢を見るという行為を探求しないでいたことの大きな代償ですね。

 

今しかない・今がすべて、といった言葉の意味が誰にも解るということ。

 

併せて金融・保険などの直線時間概念から成り立っている合法詐欺的な商売が成り立たなくなってくることを意味します。

 

AIの影響だけではなくて、人間という存在のあり方自体が変わって人間社会は変容するのです。

 

 

 

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