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2016年 7月
2016年07月28日

いろんな人が存在する意義

「一般的な社会」の枠には収まらない人々と、その捉え方について考えさせられる事件が大々的に報道されています。

 

知的障碍者として生まれてきた二歳下の弟を持つ兄として、私もこのテーマについては小学生の頃から考えざるを得ない環境でした。

 

かく言う私自身も、現在の地球の中の日本という国における多数派の常識や慣習には必ずしも従わない、お上からしたら学校教育洗脳に失敗した規格外の人であり続けています(笑)。

 

自分が成人して母の話をよく聞けるようになってから、私は弟の存在意義の大きさに改めて気付かされました。

 

予想だにしないまさかの次男の誕生に当惑した母は、最初の数年間「この子を殺して私も一緒に死のう…」と何度も真剣に考えたそう。

 

それでもその都度思い留まり、訪れた現実をありのままに受け入れて肯定的に振舞うことで母は更に大きな愛情や寛容性とユーモアを培ったのだと思います。

 

そのような子供を人目につかせぬようコソコソすることも一切なく、常に堂々と連れて外出。

 

「手をつなぐ親の会」とやらの相談員などにも積極的に参画していました。

親がそんな具合ですから、私にとっても全く恥ずかしいことではなく何の躊躇もなしに弟と共に外出し、そんな弟の話をどこでも平気でしてきました。

 

同時に、怖いモノを見るような目で見たり、見ても見ないフリをする人達の存在にも気付きました。

 

経済的な事を含め物理的な負荷があるのは事実ですが、愛・勇気・受容・忍耐…等々の金銭には代えられない宝を与えてくれた家庭環境に、今の私はとても感謝しています。

 

この社会の在りように絶望した若い頃から私に定期的に襲い掛かる強烈な自殺願望を抑止してくれたのも、弟の創造してくれたこの家庭環境でした。

母は60歳を過ぎてから「もう充分に人生を堪能できたから、いつ死んでもいい」などとこぼすようになり、実際に病死という形で66歳で他界しました。母子家庭で生まれ育った母は、自分が母となってからも学びが濃縮された人生でしたから、卒業も少し早かったみたいです。

さて、ここで視野を広げて心身の機能がどうであるかに関わらず、広義でのタイトル「いろんな人が存在する意義」ですが、これはもう「接する人、関わる人に気付きを与えるのが目的」で間違いない! 私はそう結論づけています。

 

人が非物質の意識状態だけで存在する場合には波長共鳴の法則が徹底しているため、自分と異なる性質を有する存在との接触は原則叶わない。

 

しかし誰もが肉体に宿って物質世界に視座を置くことで、本来の非物質世界ではありえないような波長に相違のある存在とも関わる事ができ、それが貴重な経験や学びとなるわけです。

 

これを宗教的に表現するならば「神は、そのままでは神であることを自覚すらできない。

 

例えば人間という物質次元に宿って諸々の相対的な体験を経ることで、はじめて絶対的な神性を認識できるようになる」とでも言ったらよいのでしょうか…

 

弟は何歳になっても純粋そのもの。

 

貨幣経済での取引や損得勘定の概念などを理解できるはずもなく、ただただ、スピリットとして純粋に存在し続けることで「人とは、社会とは、幸せとは、豊かさとは何なのか?」とのテーマを周りに投げかける大きな役割を果たしてくれていたのです。

 

母に遅れて他界した父が生前、弟についてポツリと語った一言がありました。

「アイツは神様だ」・・・  今でも私の心の奥深くに刻まれています。

私の目には、戦後の貧困から高度経済成長をひたすら駆け抜けてきた唯物主義者として映っていた父の言葉だけに、妙に印象深いのです。

 

あなたにとって一見不都合だったり迷惑だったりで「存在しない方がよい」と感じる人物、それにまつわる事象は何ですか?
そこにこそ「神のメッセージ」が込められているのかもしれませんね。

2016年07月21日

今更ながら、三島由紀夫の凄さを知りました。

三島由紀夫といえば、その名を知らない人はいないでしょう。

しかし、これほどまでに読書離れの進んだ21世紀となっては、読んだことのない人も多いのでは。

かくいう私も日本文学には皆目興味がなかったため、まともに読んだのはこれが初めてでした。

 

そのタイトルは「豊饒の海」四部作です。

きっかけは…

近頃よく通っている、40年以上現役で熱帯魚店を経営されている尊敬すべき人生の大先輩に、私が監修した「非物質ガイドとの探索」を読んでもらったのです。

 

すると、「読んでいて興味津々ながらも読み進めるのを躊躇してしまうようなところがあり、昔、三島由紀夫の【豊饒の海・四部作】に手を付けた時のことを思い出す」と言われたのです! 

 

気になって調べると、自分が幼少期頃の作品です。どんな関連性があるのかを確かめたい衝動から、この大作を10時間以上かけて読み込んだというわけです。

すると・・・2004年の小説を元に2012に映画化され、私が大いに感銘を受けて繰り返し鑑賞した「クラウドアトラス」は、この三島作品からヒントを得ているのでは?と思えるほど、感慨深くさせらされる素晴らしい内容でした。

 

直線時間軸に「肉体」を持って生きる人間と、その本質である非物質側面の「霊魂」との関係を描いているのです。

 

ベタな表現では「輪廻転生」ということになりますが、時代で変遷する社会風潮、それらに翻弄される時空に縛られた「三次元肉体人生」と「時空を超えたスピリット」とが、一見別物であるようで綿密にリンクしている様を、日本語という抽象表現に長けた言語を駆使した描写で、その理解度を読み手に委ねながらも見事に表現されているのです。

 

当時にも「映画」はあったにせよ、この壮大な世界観はまず表現できなかったでしょうし、宗教やそれまがいの団体の他には今のようなネット環境もスピリチュアルジャンルの確立もされてないわけで、小説という形で遺されているのですね。発表した時代も早すぎて、正当な評価を得るのはまだまだこれからなのではないでしょうか。

 

魂に刺激を与える作品であることは間違いなし! 霊的覚醒に繋がる刺激がお好きな方にはオススメです。

 

2016年07月02日

多彩なセンスや価値観を養うコツ

2016年も後半に突入! 

その経過スピードに驚かれている方も多いことでしょう。

 

長年、「宗教」「トンデモ話」として邪険に扱われがちであった【意識世界】に重きを置くことで、直線時間軸とは絶対的なものではなく相対的に伸縮して感じられる…つまり、直線時間とは三次元特有の「物質世界観が創出している」という最先端科学の仮説を実感しはじめている人が増えているのでは?

 

『過去も未来も同時進行している』『本来は「今」しか存在しない』等の言葉を聞いたり目にしても、大人になってからではなかなか受け容れられないものです。

 

幼少期にはそれが当たり前だったにもかかわらず、です。

 

そこで今回は、どうしてそうなってしまうのかの説明を試みます。

一般的に、中年以降ともなると皆が「近頃の若者は…」と感じる傾向になるのはナゼなのか?の解説にもなります(笑)

 

人の感性は若い時ほどフラットです。

閉じた物質世界に「赤ちゃん」として生まれてきた直後は、誕生前にいた時空を越えた意識世界での開いた感覚が残っています。

ですから乳児は皆、大人には見えないものや聴こえないものを見て聴いて、笑ったり泣いたり反応しているものです。

話が通じる頃になると大人に不都合な事は否定されはじめ、大人に好都合な事を教え込まれはじめます。

 

そんな刷り込みは「教育」の名の下での進学や、親や教師等の社会人観察を通して加速し、皆さんが成人する頃には既に洗脳がほぼ完了しています。

 

時代や地域によってまちまちですが、家庭環境や学校教育を中心に刷り込まれてきた価値観やセンスを「善し」とし、そうでないモノは「誤り・おかしい・悪」として捉えることが普通になってしまいます。

 

つまり、自分が洗脳されてきた以外の価値観を排除すべく見事な努力を継続するのです。

 

そのくせ洗脳慣れはしているため、大人になってからでも所属組織やマスコミから大量の情報シャワーを継続的に浴びると、すっかりその術中に嵌ってしまいます。

 

良くも悪くも近年の社会システムがこんなに歪んだままでもそれなりに続いてきた最大要因です。

 

それでも、たまには洗脳されない人が出てきます。

「何らかの障がいがある」「貧困で教育を受けられない」「落ちこぼれた」等の理由で規格外と見なされた人達です。

 

そんな人は本来の柔軟性を維持できるため、人生後年で大きな充実を得たり、社会変革の引き金となったりする可能性が高いのです。

 

どうでしょう。お気付きになりましたか?

常識的な大人の多くは、宇宙には無数にある美や悦びの中から、敢えて比較的醜悪な一側面だけを人生の信条とし、究極の閉じた世界観で暮らしているのです。

 

それ以外の価値を否定するためには途轍もない犠牲すら払う…その集大成が戦争です。

 

これらの愚行が肉体死後も永続する意識体を混乱に導き、更なる地上世界の混乱に寄与するという悪循環を成立させてきたのです。

 

でも、結論は至ってシンプルです。「幼心に還ることの大切さ」ですね。

 

直線時間の錯覚における多くの過去生や地球に来る前の星の記憶を思い出し…ではハードルが高すぎるかもしれませんが(笑)、今生の幼い頃の感覚を取り戻すだけでも、だいぶ世界が美しく見えるようになります。

 

誰もが、幼児期には小さな生物や植物を目にするだけでも宇宙の美や神秘を感じていたはずです。

 

常に好奇心いっぱいで一瞬一瞬が魅力に溢れ輝いていた。過去の後悔や将来への不安とは無縁、損得勘定で行動していたはずもありません。

誰かを貶めるなんて、発想すらなかったでしょう。

 

たまたま刷り込まれてしまった今の自分の価値観を否定しなくてもよいのです。

 

もっともっと多様な価値観・世界観・宇宙観、多彩な美的センスが存在することを知り、そしてそれもまた否定しないことです。そんな寛容な姿勢で生活していれば、これまでよりもしっくりくる思考や生き方が自然と見えてくるのではないでしょうか。宇宙や人の意識とは実に精妙で奥深いもの。

 

故に「そうだ、これこそが絶対唯一の真実だ!」と早合点して、短絡的に急旋回しないことも大切なのです。

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