原始人
みなさんは「原始人」と聞いて何をイメージしますか?
誰でも、10歳頃までにすり込まれてしまったイメージを未だに持ち続けているのが普通でしょう。
先生、親、大人たちの話や作品や資料などから仕入れる情報を逐一疑うような子供がいたのなら、それはそれで大変ですね(笑)。みなさんは素直に信じられる子供でしたでしょうか。
おそらく、一般的には「原始人=まだ物質的に不便な暮らしを強いられている未開の人々」的なイメージが抱かれているのでしょう。「物が溢れて便利になること」が文明の進化だと定義している現代人ならば、当然の考えですよね。
歴史についてでも、宇宙に関してでも、私たちは教えてもらったのではなく「すり込まれてしまった」という表現を使うのが妥当なのです。
なぜなら「原始時代の記憶を明確に有している」とか「今回の人生で、その時代に行って確認してきた」という人の情報が元になっているわけではなく、現在は権威あるとされている(後年には悪く言われているであろう)有名人の憶測だったり、遺された物的証拠からの推測に依存しているだけだからです。
このサイトの読者なら、もう「物的証拠」という言葉にヒントがあることにお気付きでしょう。
そうなのです。非物質的に発達していれば当然、物質的にはシンプルとなるのです。
完全な非物質生命体ならば、恣意的に何かを残さないかぎり物的証拠はゼロとなります。
その場合は、昨年も説明した通り「時代・場所」といった概念すらないので、このような話自体が成立しない世界なのですが…
近年、常に戦争のために開発されてきた諸々の最先端テクノロジー。
仮に我々現代人の誰もが瞬間移動や重力制御ができ、テレパシーや遠隔念動力が当たり前だとしたら、今あるコンピューターやマシン類のインフラ全てが無用の長物です。
そもそも、大量生産大量消費を促すための金儲けを目的に破壊的愚行を繰り返すこともないでしょう。
物質肉体があっても希薄、もしくは完全非物質の生命体からしてみれば、波動の粗雑な「物質」ばかりを探求している現在主流の人々こそが「原始人」なのです!(笑)。
しかしその反動なのか、電子データという名の非物質が今の社会に凄い勢いで台頭してきているのです。
みなさん自覚のないまま…なのかもしれませんが、ここ10年程で社会がかなり非物質化しているのです。
これが投稿されているしくみが、まさにそれなんですよね。物質主義を謳歌したまま変化できない人間は化石となってしまう時代に突入したのでしょうか!?