人生ゲーム
何度もお伝えしていますが、人の本質が肉体ではなく意識体であると確信したのは今年の夏に私が意識不明の重体であった期間中に自分の人生、それも複数人分が全部自分であるという摩訶不思議な長期の生活記憶を鮮明にもって還ってきたからです。
これまでも、私は数十年に亘って睡眠中の夢や各種の瞑想、芸術鑑賞、創作活動などを通じて異次元を探究してきました。
しかし、常に身体が健康に機能する状態であった割には記憶に欠落部分があったりしたのです。
ところが今回は、五感の全てが機能しなくなった上に内臓諸器官も著しく衰弱し、痰の吸引までされている危機的肉体状況下で起きた意識体験であるにもかかわらず、鮮明な記憶を大量に保持できたのです。
ただ、それを言語という制限だらけのツールで表現することに難儀しています。
懐疑的な唯物論者に何を思われようが気にしないのは以前からのことですが、何より自分自身での確信の度合いや納得度において段違いの経験だったのです。
ですから一日も早く記録や発信ができる身体に戻すぞ!という欲求が、痛くてしびれて動かないほぼ寝たきりだった全身を自宅でPCに向かえるぐらいには回復させるという具体目標にもなり、リハビリ病院にとっても前例のない驚きの回復となったようでした。
今も残る手足のしびれや滑舌の悪さ、視覚の錯乱などの症状は完治しないにせよ、私に突然襲いかかった脳幹出血という事態は、それくらい厳しいものだというのが世間では通説のようです。
個人的な話はさておき、「人間の本質が肉体じゃなくて意識体だとわかったところで、それが何になるの?」と思う人に朗報です(笑)。
この世の人が苦しんだり悩んだりする原因のほとんどは、意識体でなくて肉体が自分自身の本質であるとの勘違いから生じることなのです。
自分の本質である意識体の特性を理解できれば、これまで苦難と捉えていた物質世界の事象は、全て認識の問題であることに気付きます。
ですから来年は、皆さんの肉体での日常生活を豊かにできるような非物質の智慧を中心にお伝えできればと思っています。
みなさんにとって2016はどんな一年だったでしょうか。
私に負けず劣らずのビッグイベント(笑)があったという方もいらっしゃるかも?
年越しとは「どんな生き方をしようか」を見つめ直すのに絶好の時ですね。
その「暦」とは、そもそも何なのだろう…なんて事を考えていた変な小学生だった頃が懐かしくもあり、ついさっきの事のようでもあります。
私がこんなことを書いているオッサンになったのも、なるべくしてなのか、偶然なのか。
確実に言えるのは、肉体人生は制限があるからこそ面白いゲームなんですよね。
ルールがなければゲームは成立しません。
でもせっかくルールの範囲内なのに知らない技が多すぎたんじゃ、それはそれでゲームが楽しめませんからね!