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2019年 11月
2019年11月29日

下りがあるから上りに価値が出る

本日は寒かったですが久しぶりに穏やかな晴天でした。

 

私は寝たきりから立てるようになってからのここ3年、ほぼ毎日歩く練習をしてきました。

 

ヨチヨチ歩けるようになったはずだと思えた昨年末からまた徐々に歩けなくなり、再び入院となってしまいました。

 

元々の脳幹損傷による内蔵機能の低下で血液等に問題が出ていたようでした。

 

今では傘をさして歩くことは大変な危険を伴うため、一週間以上ほとんど歩けない日々が続きました。

 

それで今日は定番の散歩コースである世田谷公園に行ってきました。

 

青空の広がる中で噴水を眺められるだけで、若い頃なら絶世の美女や大金を手にしたとか(笑)特別な保養地にでも出向いたかのような喜びを感じるのですから、そんな気持ちを湧き出してくれるどんよりした日々に感謝したくもなります。

 

これは天気だけではなく何事においても言えることで、当たり前に続いていた事でもそうでなくなった場合に元の状態へ戻っただけで嬉しく感じるのです。

 

ですから波があるのは結構なこと。落ちることで上がる喜びを感じられるのですから。
例えば預貯金が何千万何億とあっても喜びを感じられずにもっともっと欲しがる人というのは、いくら金銭を手にしたところで不幸であり続けるわけです。

 

2019年11月28日

眠りの意味

睡眠。多忙な現代人にとって睡眠時間の確保とは煩わしい問題です。

 

若くて無理の効く身体のうちは起きてやらねばならないこと、やりたいことを優先して睡眠時間を削っている方も多いことでしょう。

 

他ならぬ私自身も若い頃は寝ている時間が惜しくて、朝まで起きていて仮眠をとってから出勤とかも良くありました。

 

睡眠の重要性を理解している人が多忙な日本の社会人には少なく、授業中とかに眠っていて叱られることはあっても、教えてくれる人はいないからとの理由もあります。

 

私は人生の後半になってから救急車で運ばれて病院のベッドで横になって過ごすしかない日々を幾度か送ることとなってしまったため、もうすっかり無理の効かない身体となってしまいました。

 

試しに完全徹夜をして仮眠だけで活動する日を作ってみましたが、後遺症でただでさえ思い通りに動かない身体が更に使い物にならなくなり、ほんの少しの移動でも大決心(笑)。

 

もうチャレンジできないと覚りました。

 

「人は飲食物や酸素等の物質を摂取することで生命を維持している」と学校では習ったかと思いますが、現代の文明国の大人はそれしか知らないのですから仕方がありません。

 

とりわけ未成年は物質としての肉体を成長させる必要があるため、それが嘘とはならないでしょう。

 

ところが成人後は肉体を成長させる必要がないため、肉体労働者を除いては過度な物質栄養摂取は肥満や病気の促進要因となるだけ(笑)。

 

若い頃にはおろそかにされがちな精神活動がメインの生物になるので、非物質のエネルギーチャージが大切となるのです。そしてそれが睡眠と呼ばれる行為なのです。

深い瞑想でもチャージできますから、チベット辺りでは睡眠を全く摂らない人も実存するのです。不食の人なら日本でも実存します。

 

人も物質でしかないと解釈している現文明、特に先進国では見逃されている重要事項です。

 

だから永眠が近くなると自然と物質・非物質共にチャージも不要となってくるのです。

 

睡眠や休息を軽視して非物質エネルギーチャージを怠ると、結果的に高くつく。

 

人はマシンではないということに、経済活動を主として生活している人が自覚していること。それこそが、かつては実在していた真に人間的でセイジョウな文明。

 

2019年11月26日

時は流れていない?

人には記憶というものがあり、いつどこで何をしたとか、誰と関わったとか、部分的には曖昧でもおおよその事は思い出すことができます。

当然ですが未来はまだ記憶にありません。

だから、自然と過去の記憶から分析して「多分こうなるであろう」との未来予測はつきます。

 

でも不確定ですから心配したり期待に胸を膨らませたり、人によってまちまちですが不安材料ともなるわけですね。

 

過去から現在まで時間は流れてきた、だからこれからも時間は流れて未来もやってくる・・・
多くの人が当たり前のようにそう考えていますが、本当にそうなのでしょうか?

 

記憶にあるからといって時が流れているという事にはならない、私はそう考えるのです。
仮に、パソコンデータのように人の記憶も改竄できるとしたらどうでしょう。

 

実は、肉体死を迎えてすぐは肉体で生きていた感覚が残っているので時間感覚も残りますが、それも次第に薄れて行くのです。「地上時間で何月何日の何時」とか照準を合わせて干渉することは許されればできるのですけどね(笑)。

 

「今に生きる」との言葉を目にすることは多いでしょう。
どうせ過去や未来に生きることはできない(笑)。

「時間に囚われないで生きる」
この方がより的確な表現かと…


皆さん、いかがお感じで?

2019年11月25日

何に興味があるかは幼少期でわかる

自分の住んでいる星がおおよそ球体であると知った時の衝撃の大きさは、幼稚園児ながら凄いものがありました。自分の足元の方向が星の裏側では上空と同じ方向なのですからね。宇宙空間で考えればなおさらですが、上下とか東西南北とかの方位というものが意味を有するのは惑星の表面側に位置していている場合のみです。

 

更に不思議に感じたことは重力。球体がグルグル回転している外側にへばり付いているのだから遠心力で吹き飛ばされるのが普通に感じられるのですが、鉄が磁石に吸い寄せられるように物を持ち上げるのに重さを感じる。バケツに水を入れて縦にグルグル回しても水は底に張り付いて落ちてこないというのに何たる不思議。

 

最も不思議だったのは、数歳の頃におばあちゃんの家に行くと立派な仏壇があったこと。線香を焚いて合掌していた姿を見て「何やってるの?笑」

死者は姿が見えないし声も聞こえないけれど、姿が見えたり声が聞こえる人もこの世にはいるということを後年になってから知りました。

 

約半世紀を経てわかったこと。今でも興味関心を抱いていることは、ズバリ幼少期から不思議さや疑問を抱いていたことなのです。
もしも「何をしたら良いのかなぁ」と思った場合、幼少期の記憶を辿れば間違いないでしょう。そこにあなたの本質的な興味の対象があるのです。

 

 

2019年11月24日

時の経過

皆さんは「時の流れ」というものについて不思議に思ったことはありませんか?

私は中学生の頃に「光の速さで何年かかるという距離の単位を何光年と言う」みたいな理科の授業を受けてからというもの、常に疑問に感じて時というものについて考え続けてきました。

 

それが本当なら仮に10光年の距離にあるとされる星を見ていたとして、今現在見ているその星は10年前の姿であって5年前にはなくなっているのかもしれない。その理由が何らかの事情で爆破したのだとして、爆破した瞬間の姿が自分に見えるのは5年後…釈然としない(笑)。

 

地球上だけでも経度が異なれば昼夜の状況も変わります。夜遅くまで明るい地域もあります。でも、今の人間社会には勤務時間や徴兵期間や服役期間(笑)等がありますから、時刻や暦というものを人間社会の都合上決めておく必要があります。それで国や地域ごとの標準時刻というものを無理矢理定めて運用しているのです。つまり自然生物としては極めて不自然な営みを強いられている。

 

暦にも同じことが言えます。たまたま世界標準となっている今の暦は4年に一日追加して調整をつけるという無理のある暦ですが、私の母は2/29に他界したので命日が少ない!笑
大人になって調べてみれば、世界中には様々な暦が存在しているではありませんか! 日本でもちょっと前までは今とは異なる暦を運用していたのです。

 

私が脳幹出血で植物状態となってあの世を旅した際にも、意識不明期間であったこの世の肉体での経過時間の何千倍もの経験をしてきました。 元々、一晩で見る夢が数週間分はあったなんて事は幾度も経験したので、それほど驚くことでも…笑。

 

だから時間や暦とは、今のこの世の文明社会で暮らす人間が創作したものだと感じるのです。そのうち新たな時間概念が人間社会に普及するのかも?

2019年11月22日

生きることに集中

「人生で初めて」という言葉から、みなさん何を思い浮かべますか?

「数十年そんな事はなかった」という人から「毎日のようにそんな事ばかりだ」という人まで、実に個人差のある言葉でしょう。

 

でも確実に言えることは過去世の記憶がないかぎり「死んだことがある」という人は少ないのです。人とは未知の事を避けようとする習性があるため、何が何でも死を回避しようとしたがるものです。死んでから「肉体死とはこういうものだったよ~」と教えてくれることはあっても原則は幽霊からということになります。幽霊からのメッセージは公文書に載ることもなく、むしろ現代ではオカルトとかトンデモ話のジャンルとなりますから、経験したとしても口外する人も少ないのです。よって教科書に「死ぬとはどういうことか」といった記述もされることがないため、益々皆が肉体死を「未知のもの」としてタブー視するようになってしまうのです。

 

もうひとつ確実に言えることがあります。それは今生きている万人が肉体死を迎えるということです(笑)。明日なのか来週なのか来月なのか来年なのかその時期は人によってまちまちですが、少なくともこれを読んでいる人で来世紀まで今の肉体で生きている人は一人もいないわけです。

 

肉体死を迎えない人がいたのならばタブー視することもありですが、確実に自分も迎える事態を無いことにしたり考えないようにするというのではあまりにも幼稚なのでは?だから気持ちよく生きて気持ち良く死ねる人が現代は少ないのです。

 

私は自殺の勧めをしているわけではありません。肉体死の心配をしろと言っているのでもありません。むしろ充実した人生を推奨しているのです。冒頭に書いた通り、肉体死が未知のこととなり過ぎているからこそ、心配したり不安になったり多くの人が生きることに集中できていないように窺えるのです。

 

肉体死とは何なのかに意識を向けることは

生きることに意識を向けることとセットなのです。

 

 

2019年11月21日

3歳の息子が、深夜早朝に声を上げて泣きながら手足をばたつかせることが稀にあります。覚醒時にはよくしゃべるし笑うしそんな行動をとることもないので、怖いなり悲しいなりの夢を見ているのでしょう。10分もすれば再び眠りに落ちてくれるので助かります。
起床してからの様子は至って普通で「怖い夢でも見ていたの?」と訊ねても記憶にはない模様。生まれてからの3年間にそれほど辛い経験をさせたこともないので、夢とは本当に不思議なものですね。いつでも息子に「どんな夢を見た?」と訊くと「ユーチューブ見てた」と答えるので(笑)、まだ夢を見るという行為が何なのか理解できていないのでしょう。

 

実はいい大人であってもそれは同じで、夢分析とか夢占いとかは多少あっても現代の先進国に暮らしていればほとんど誰もが自分が睡眠中に夢を見るということがいったい何なのかを知らずに一生を過ごしていることでしょう。

身体は横たわっているだけなのに忙しく意識活動をしていたりするのですから、私も幼稚園児の頃から人生ミステリーのひとつであり続けました。後年になって気付いたのですが大人であっても「夢とは何なのか」について明確に答えられる人がいないということが更なるミステリー(笑)。

ですから私は、人間とは物質の肉体で活動している動物ではなくて非物質の意識で活動している生命体である、子供の頃からそう考えるようになったのです。大人になるほどそれは受け入れ難いことですから「夢を見る」ということを曖昧にしたまま考えないようになってくるのだと思うのです。

しまいには、物質世界で実現しないであろうと自分が憶測することを言ったりやったりしている人のことを「夢見ている」と表現する始末。
ところが実態は「夢見ている」人だけが、現実と呼ばれる肉体の世界でも物事を成就したり生き生きと暮らしているのです。

 

夢を見るという行為を
軽視してはいけないのです!

 

2019年11月19日

使い慣れたものからの切り替え

10年は使用してたであろうPCが壊れました。
丁度妻が人に貸していたノートPCが返ってきたとかで、それを使用してこれを入力しています。長年使っていたデスクトップPCに比べると、ノートPCとは画面は見難いしキーボードは打ち難いしで体の悪い今の私には厳しい!笑

元々使っていたデスクトップ用のキーボードやマウス、でかいテレビ用モニターに繋いで何とか凌いでいます。高齢になってから新しい機器を使いこなせるようになることがいかに難しいことなのかというのがよく解ります。70~80歳になってからガラケーをスマホに替えて使いこなせていたのなら、それだけでかなり立派であると言っても過言ではありませんね!

 

 

2019年11月14日

悪霊からの影響を避ける

先週、皇居周辺で新天皇即位のイべントがあり、アイドルクループのコンサートも無料で見られるとのことで全国から大勢の人が集まっていたようでした。丁度その日に妻も自分のイベントで皇居周辺にいたらしく、苦しそうに帰ってきてすぐにとり憑いて来た霊を除去する作業を私も手伝うはめになりました(笑)。

 

妻は霊的能力が強いので敏感に察知できて直ぐに除去することもできるわけですが、そうでなければ憑依霊が体内に居ついてしまい、病院に行っても原因が判明せずに長期に亘って体調不良や精神疾患に悩まされて生きることとなるのです。

 

昭和中期頃までは、天皇という存在を特別視して良くも悪くも思い入れが強いまま他界し、生きている人間にとり憑いている霊も多いのです。全国からそのような人々が集まっている場所に居合わせることになったら、誰だって多かれ少なかれ影響を受けてしまうのです。

 

私も直ぐに影響を受けてしまうため、人間が集まっている欲望の渦にまみれる事を極力避けています。混雑している商業施設や特に初詣なんてもっての他。「ああして欲しい」「こうなって欲しい」といった人の欲望だけではなく、その人にとり憑いている霊の影響が大きくて必ず疲弊してしまうのです。でもそのことに気付いたのは20代になってからのことでした。

 

人からはもちろん、霊からの悪影響を避けることはとても重要です。

 

2019年11月11日

人にとって本質的なこと

興味のある物事が思い浮かばない場合、物事ではなくて興味のある人物がいないということです。また、物事自体に興味があると自分では思っていてもその物事を行っている人に興味があるとか、そんなきっかけを有している事がほとんど。「私がこれに興味があるのは他人からの影響ではない」と考えていても、他ならぬ自分の過去生からの影響だったりするのです。

 

今生とは時と場が異なるのですから自分とはいえ人物の影響であることに変わりありません。
人間とは、特に生まれた直後は周りの影響を受けて真似をすることだけでしか成長できない生物です。狼に育てられた子供の話を出すまでもなく、それは必然。だからそれを総合すると「どんな考え方で何を行っていた人に影響を受けたのか」という内容次第で自分の生き方も決まっているということ。

 

昭和時代ならば「世の中カネと物こそが全て」であり、「人間とは生きているうちだけが華」といった生き方をしている人が多く、そんな影響を受けた人々がその後も趨勢に乗じてこの世の中を牛耳ってきたのです。

 

なぜこのような事を話しているのかというと、「人間とは何なのか」「肉体生死とは何か」といった事に興味を持つ人が長年あまりにも少なく、そのような事をタブー視してカネのことばかり考えている人が圧倒的多数だなんていう人間社会は、とても不健全だと私には感じられるのです。

 

もっと本質的な事をオープンに
語り合う社会を築く時代です!

 

2019年11月11日

幸せとは心の状態

「何かや誰かが自分を幸せにしてくれる」子供はそう考えがちです。ところが実際、大人になってみるとそうではない事に気が付きます。子供の頃から夢見てきたそれらが中年になっても何ひとつ実現しないのならば(笑)そのような幻想を持ち続けたまま肉体死を迎えることがあるのかもしれません。

 

「恋人ができる」「結婚する」「子供が生まれる」「カネが手に入る」「車や家、その他諸々を購入する」等々、子供の頃なら「それさえ叶えば幸せになれる」と思っていたことが叶ったところで「これで幸せだ~」となることは少なく、むしろ新たな悩みの種になったりするのです(笑)。

 

もう解りましたよね。自分を幸せにすることができるのは自分の心の状態だけ。
普段口にする飲み物や食べ物、日常目にすることができる景色、毎日のようにしている作業、ただ座ったり寝たりできるだけでも「幸せだな~」と感じるかどうかは心の状態次第です。行為の内容を少し変更するだけでより幸せに感じやすいのならばそうする価値は大いにあります。

 

そんな心の状態をつくる工夫が万人にとっての人生テーマだとも言えるでしょう。

 

2019年11月09日

低失業社会

小学生くらいから、親からも先生からも歯磨きの重要性を随分と口うるさく指摘されてきました。丁寧に歯磨きをしていたのですがそれでも虫歯になり、痛がっては仕方なく歯科医に幾度も通っていた記憶があります。ところが高校の頃、同級生で虫歯に一回もなったことがないという友人の存在を知りました。彼には深い考えやこだわりがあったわけでもないのですが、なんとほとんど歯を磨いたことがないと言うではありませんか!

 

確かに世界には歯磨きなんてしない民族だっているのです。食生活も異なるのですから、私も真似をして歯磨き厳禁とするまでの勇気はありませんでしたが(笑)就寝前に毎日一度だけ歯磨きをするようにしました。すると以後、虫歯になって歯科医に行ったことは本当に0回なのです。

 

大人になってから気付いたことですが、歯科医の大学は凄い数あるのですね。時間とカネをかけて大学を出たからには歯科医になろうとするに決まっています。それは歯科医だけの問題ではありませんが、いろんな専門の勉強とやらをした人達皆がその道での就職を望むのです。そのことが当てはまるのは医療業界だけではないということです。

需要と供給のバランスを考えたら、医師ばかりが増えても患者が増えないことには成り立ちません。ですから社会全般を考慮したら「病人をいかに増やすか」が大きなテーマであり、既にそのような仕組みが社会常識の中にも巧に組み込まれているのです。病気が増えるわけです、だってそれを誰かがクリエイトしているのですから。病気にならないようなことを進言する人は単なる営業妨害者(笑)

 

実際にそのような国もありますが失業者で溢れかえっている社会というのも厳しいものがありますからね。世界中の旅行者から「日本は最も治安が良い」とされていることも、日本人全員が負荷をシェアしているという背景あってこそのことです。

 

2019年11月07日

人生のテーマ

自分が日々体験している不愉快を、機会あらば他人にも味あわせようとしている人っていますよね(笑)。

 

自分が単体でどうであるかよりも、他人と比べて自分がどうであるかを問題としている人が多いのです。その考え方ですと、自分よりも他人が更に辛くて苦しいことが多ければ自分は比較的楽。自分が快適でも周りが更に快適だったら自分のささやかな快適さはむしろ不愉快になってしまうわけです。

 

金持ちかビンボーかというのも、ほぼそのような問題ですよね。食事にありつけないとか寝床が確保できないといった人は少ない世の中でも金持ちビンボーが話題となるのですから、ほとんど豊かさの話ではないのです。自分と他人の懐具合を常に気にして比較しているのなら、それだけで「豊かな人生じゃない」ということは言えるのかもしれません。

 

金銭の有無を気にかけないで生きて行けたのなら、それこそが豊かな人生だとは思いませんか?

そのためには、経済が些細な課題であると感じられるくらい、金銭よりも大きな人生テーマを掲げていることが必須です。
逆に言うと、それがないから預貯金の残高が最大の人生テーマとなってしまうのです(笑)。

 

2019年11月06日

大人を教育

私は「ありのままで良い」みたいな言葉を目にすると心に少し引っ掛かります。極端な話、例えば「一日100万の盗み」「毎日一名の殺人」を目標に掲げている人に言える言葉ではないですよね(笑)。

 

現代日本では平均的に小学生から「ねばならない」事に埋没したまま、病死か事故死をするまでそれが続いている人が多いのは事実です。そんな生活に耐えられなくて義務教育中から不登校となってしまったり、若くして自殺をする人が多いのは皆さん周知のこと。そんな人間社会から開放してあげたいと考える人の言葉なのかもしれません。

 

ただ、私は思うのです。「このままで良い」と安易に思い続けた結果が人生の破綻を招くのではないでしょうか。ですから逆に、子供の頃から「このままで良いのか」と定期的に立ち止まって見つめる習慣を身に付けることほうが大事だと考えます。それができれば、親や教員に何を言われても「自分はこう考えてあれをしたいから」等はっきり断るなり自分の意見を言えるようになり、操り人形のような人生を送らずに済むのではないでしょうか。

 

大人である親や教員や上司は、残念ながら自分の都合だけで子供や若者にあれこれ指図してくるのが普通です。

だから大人の教育こそが肝心ということですね。
とても難しいのですが・・・

 

2019年11月05日

他人は実在するのか

突然ですが、自分以外の人とは存在するのでしょうか?
何を言い出すのか!と思う人が多いであろうことは承知の上での投げかけです。

 

私は子供の頃から、自分以外の人をゲームの中に組み込まれたキャラクターみたいな感覚で観ていました。幼稚園に上がるかどうかの頃、よく夢で見た記憶が鮮明にあるのですが、私は形の無い存在に家から連れ出されてパパ・ママ(当時はそう呼んでいた)と一緒に住む家から遠ざかって行くのです。そして「あの人達はパパ・ママという役割を演じているだけの存在なのだ」みたいなことを言語ではなく、でも明確にテレパシー的なもので私に伝えてくるのです。

 

「じゃ僕は誰の子なの?」的な疑問が大きかったのも手伝って、誰にもその事を話さずに成人しました。成人した頃から感じ始めたことは「あれは『実は別の父母がいる』という意味ではなく、この世に人間という種の動物で出てくるためには物理的に両親というものが必要であってその役割を担ってくれた人達であり、非物質的には親でも何でもないよ、という意味だったのだ!」

その後も会社勤め等を経験しましたが「上司とかサラリーマンにそんな話をするのもなぁ」と躊躇し続け、自分がコンサルタントとして独立開業してからも、お客様の経営者等にはそんな話を切り出せないまま今に至っています。

 

30歳頃に映画「マトリックス」を観たとき、「やっぱりそうか、そのように感じているのは私だけではないのだ!」ってな安堵感を得たものです。興行成績も無視できませんから娯楽作品として受け容れられるようにアクションや制作手法が話題になっていました。しかし着目すべきはストーリー・脚本です。

現実だと思わされている世界とは実はコンピューターで創作されている世界で、それに気付いてしまった人達だけで現実を取り戻そうとしている・・・

人間社会を操作しているのがコンピューターだったり、それと闘うという構図はエンターテイメント作品ですから仕方がないとして、「これが現実だ」と思っていることが実はそうではないという核心部分は的を得ている作品だと感じます。

 

私は3年前の脳幹出血によって、この世の肉体は仮死状態のままいろんな世界を体験してきました。それぞれの時空間で関わった人々はその場では確実に存在していたように思われましたが、この世界での意識が戻ってみればそれらの人々はこの世界には存在していません。何が現実なのかという問いを掲げ続けて約50年この世を生きてきて、「全部が現実だとも、どこにも現実などないとも言える」そんな体験を味わったのです。

 

ですから強いて言葉にするのなら、自分が現実であると感じている世界が現実なのですね。

あなたにとって他人は存在していますか? 

あなたにとっての現実とはどんなものですか?

皆さんはいかがお感じで??

2019年11月02日

人生は楽しく!

中高生の頃も社会人になってからも、私は地球人の愚かさやマヌケさにほぼ常時憤慨していました。常に「地球のこの世なんて、無くなればいいのだ」と思い続けて30代を迎えました。

 

しかし、自分の一存で地球のこの世を無にするわけにもいきません(笑)。自分が死んだところで「この世」では地球人の愚かな営みが繰り広げられ続けることを思うと、居ても立ってもいられません。このままでは史上最強のテロリストになってしまう(笑)。何よりも、自分の自由意志で地球のこの世にやってきたことが見えてきたのだから、「この世に出てきた本意を遂げよう」と方向転換したのです。

 

自ら望んでこの世に出てきたという経緯に立脚するならば、人間という生き物の愚かさや醜さは百も承知の上で自分がその愚かで醜い存在になろうと決めて人間をやっているのです。だから人間の愚かさや醜さを嫌悪していたのならば当然、死ぬまで憤慨を続けているだけ(笑)。

そこで自分までが積極的に誠に愚かで醜い存在となる必要もなく、周りの人間の愚かさや醜さを楽しめるセンスを磨こうと30代から努力し始めたのです。その甲斐あって、それまで「よくもくだらない!」と思っていたようなものにまで笑える人に自分が成れたのです。

 

よくよく振り返ってみると、小学生低学年頃までを楽しく過ごせたのは「8時だよ全員集合」みたいなテレビ番組をバカにせず楽しんで見ていたからだ、ということに気付いたのです。それが小学校高学年になると「くだらない!」とかカッコつけたことを言い始め、中学生頃には見ることもなくなった。と同時に人間社会へも憤慨するようになったのです。

 

マヌケさを楽しめるセンス
この世では大切なのです(笑)

2019年11月02日

非物質として人を認識する

首里城の火災映像を観た時、私は阪神淡路大震災のニュース映像を思い出しました。自分も生まれ育った街を離れ上京して間もない頃だったので、色々な思いが巡った記憶があります。関係が薄い場所でさえもそうなのですから、自分に馴染みのある場所が焼失したらどれだけ心が影響を受けることでしょう。

 

ここからが本題です。繰り返し書いている通り、人とは本質が非物質の知的生命体です。物質の動物でしたら自分自身の肉体が燃えなければ難無しとして片付く話であっても、自分の思い出に染み付いている建物や場所が焼失した場合でも自分自身の一部が被害を受けたかのように傷つくのです。それもそのはず、焼失したものが非物質として自分の一部に組み込まれていたからです。

 

この世でも想念が物質化しているようなものですね。だから仮に肉体の健康状態に問題があったとしても、非物質である内面の心が健常ならば肉体も健康に戻りやすいですし、物質の肉体だけ健康だったとしても、心や精神が病んでいれば身体も同調して病気となるのです。継続して心配していれば物質の身体も心配していた通りになるということですね。

 

肉体を物質機能としてしか捉えていない西洋医学には欠落している観点ですが、千年単位の昔から東洋医学では非物質エネルギー(気)の流れを重視して人間の身体を診ていたため、現代人も改めてそこに着目し始めているのです。

 

人間という存在への認識の非物質化は、こんな唯物主義文明下でも着実に進んでいます。

 

健康問題も経済問題も、非物質の問題として扱うことが妥当なのです。

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