2020年02月21日
生きる目的
私が今回の肉体人生で遂行したい事についての説明です。
葬儀(フューネラル)とは本来、人が肉体という制約だらけの物質から解放されて自由になったことを祝う儀式だったはず。それがいつからか「肉体死」という最悪の事態が起きてしまったことの象徴的儀式となってしまったのです。
どうして肉体死が最悪の事だという価値観が生じたのでしょう。誰もが肉体死を極度に怖れて回避しようとしています。
食事や排泄や睡眠や性交を極度に怖れていたとしたら、生きることが苦痛になります。生きるからにはどうせ必要となる行為なのですから、それらを楽しんだ方が人生も楽しくなるのは当然です。
肉体で生きているからには誰もが必ず肉体死を迎えます。肉体で生きている間中肉体死を怖れていたのでは人生を楽しめるはずもありません。
「肉体死を楽しみに生きろ」とまでは言いませんが、その時が来ても「いい人生だったなぁ」と思えるくらいは正常なことですし、昔は多くの人が実際にそうでした。
現代人のように「肉体死」という不可避の事態を考えたくもないということは、「生きる」ということも深く考えずに生きているわけです。
これほど歪んだ人間社会はない。そのように私は子供の頃から感じていました。
ですから「意識的に生きる」ということと、肉体死とは無関係な「霊的価値観」を現代社会に普及させることが急務だと考えます。
この世にその価値観を普及させるために肉体人生を費やそうと決めているのです。
皆が「死にたくない」と思いながらも、戦争のような殺し合いを常に繰り広げてきた地球文明は愚かとしか言いようがありません。
私はおかしなことを感じているのでしょうか?そうは思いません。
皆さんはいかがお感じでしょう。
そんな地球の人間社会を変えてみようとは思いませんか?