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2020年 2月
2020年02月29日

皆さんが騒いでいる観点は?

コロナウィルスの話題で大勢が振り回されている現状を、私は冷めた視線で眺めています。自殺者数や交通事故死者数を考慮すれば、そんなに騒ぐ事でもないと思うのですが皆さんいかがお感じでしょう。

 

日々多数が自主的に絶命しているという事実を前にして、そんな国の在り様がテーマにならないことの方が不思議です。自殺じゃなくても元々がいつ死んでもおかしくない環境で大勢が暮らしている、それが現実なのです。

生きている人間が死亡することは当たり前のことですが、ちょっとしたことでパニックみたいになってしまう、そんな社会の在り様を変容させるきっかけ作りになることは確実だと感じます。

 

2020年02月21日

生きる目的

私が今回の肉体人生で遂行したい事についての説明です。

 

葬儀(フューネラル)とは本来、人が肉体という制約だらけの物質から解放されて自由になったことを祝う儀式だったはず。それがいつからか「肉体死」という最悪の事態が起きてしまったことの象徴的儀式となってしまったのです。

 

どうして肉体死が最悪の事だという価値観が生じたのでしょう。誰もが肉体死を極度に怖れて回避しようとしています。

 

食事や排泄や睡眠や性交を極度に怖れていたとしたら、生きることが苦痛になります。生きるからにはどうせ必要となる行為なのですから、それらを楽しんだ方が人生も楽しくなるのは当然です。

 

肉体で生きているからには誰もが必ず肉体死を迎えます。肉体で生きている間中肉体死を怖れていたのでは人生を楽しめるはずもありません。

「肉体死を楽しみに生きろ」とまでは言いませんが、その時が来ても「いい人生だったなぁ」と思えるくらいは正常なことですし、昔は多くの人が実際にそうでした。

 

現代人のように「肉体死」という不可避の事態を考えたくもないということは、「生きる」ということも深く考えずに生きているわけです。

これほど歪んだ人間社会はない。そのように私は子供の頃から感じていました。

 

ですから「意識的に生きる」ということと、肉体死とは無関係な「霊的価値観」を現代社会に普及させることが急務だと考えます。

この世にその価値観を普及させるために肉体人生を費やそうと決めているのです。

 

皆が「死にたくない」と思いながらも、戦争のような殺し合いを常に繰り広げてきた地球文明は愚かとしか言いようがありません。

 

私はおかしなことを感じているのでしょうか?そうは思いません。

皆さんはいかがお感じでしょう。

そんな地球の人間社会を変えてみようとは思いませんか?

 

2020年02月20日

再度死に損なって

年末に倒れて救急搬送され入院して判明したこと。

それは近年腎臓があまり機能していないため、健康ならば尿で排出されるはずの毒素が体内に蓄積するので意識が朦朧として外出中に倒れてしまったという事実。

 

私は3年半前、息子の誕生と同日に脳幹出血で倒れたのですが、内蔵が無意識で機能するよう指示を出している脳幹が故障すると、心拍や呼吸が止まって死亡する場合が多い。

医師も私の頭部MRI画像を見て「これで生きているなんて奇跡だ!」と驚いていました。

心肺停止はしなかったが、起き上がることも視ることも飲み込むことも喋ることもできないほぼ植物状態からのリハビリに苦労し、健常者に少し近付いてきた3年後になって「腎臓が機能していない」と言われても「あっ、そう」ってな感じです(笑)

良くも悪くも、死ぬはずの人がまだ生きているだけです。

 

毒物を体内から排出する腎臓の機能をマシンで代替する「血液透析」という煩わしい時間が、今後も生きるのならば必要となります。
肉体で生きるのならば食事や排泄や睡眠も元々必要なわけですから、生きるということが更に面倒な行為となってしまったわけです。

 

それでも生きようと思えるのは、わざわざ肉体でこの世に出てきたミッションを遂行したいから。

未遂のまま他界して、またもや別の肉体でこの世に出てくるのは阻止したい思いもあります。

 

肉体という物質に宿った人が存在する時代はもう終わりではないかという意味です。

今は物質の肉体に宿っていて当然の「人」という存在形態。その次元が異次元に移行するという意味。

それはこれまで「霊」とか「魂」とか呼ばれていた存在形態。非物質次元のことなのです。

 

2020年02月12日

改造手術した腕に針を刺しての血液透析が無事に成功しました。
 
年末に意識を失って倒れてから一月半入院した甲斐がありました。
 
残すは首に刺しっぱなしの針を外して透析クリニックを決めたら退院です。
 
機能しなくなった腎臓をマシンに肩代わりしてもらう人生がこれから始まるわけですが、本来なら死ぬはずの自分がそうまでして生きのびるからには「生きる意義」というものを更に重視せざるを得ないわけです。
 
無駄な長生きとならないよう、益々自戒して余生を送る覚悟はできています!
写真の説明はありません。
2020年02月06日

富士山と沈む夕陽です。
 
美しく感じるのは何故?
 
昇る朝陽と違って沈む夕陽には哀愁があるからです。
 
もうすぐ終わってしまうという儚さが美を引き出している…何事にも言える事ではないでしょうか!
写真の説明はありません。
2020年02月06日

腕に太い血管を作る手術を先週しましたが、経過は順調で、数日後には太い針をぶっ刺しても大丈夫となりそう。
 
動脈と静脈を引っ張り出してきて縫合するのですが、そんな不自然な事をして身体に適応するとは限らないので、順応できずに失敗に終わる率も高いわけです。
 
成功しても、改造した片腕を庇って新たな人生を送ることとなるわけですが、首に刺しっぱなしの針が外れて通院できるから退院してシャワーも浴びることができる。
 
それだけでもありがたいこと。
 
このように、歳を重ねて何かある毎に諦める事が増えて多くを求めなくなり、益々謙虚にならざるを得なくなるのですね。
 
だからこそ、生きる楽しみや喜びを発掘する価値が高まるのでしょう。
写真の説明はありません。
 
2020年02月05日

病院で時間を持て余している日々ではテレビも立派な娯楽となり得るという事が良くわかります。
 
自分の父も他界前はテレビを見るために起床しているようなものでした。
 
言葉は悪いですが、無駄に長生きをしても「テレビを見るために生きているの?」となりがちです。
 
常に多忙で「テレビを見ている時間なんてない」くらいのうちが人生華なのかもしれません。
 
自分の人生の充実度を測る大きなバロメーターである事は確実です。
 
 
振り返ってみる価値は誰にでもあるでしょう!
写真の説明はありません。
 
2020年02月01日

病棟のラウンジから見える綺麗な富士山。
 
この景観をもたらしているのは実は活火山で、次はいつ活動を始めて多くの人命を奪うのか…
 
それがわかっているから美しく感じるのかもしれないですね。
 
昨夜の地震で起こされて、益々「はかない基盤の上に人生は成り立っているのだなぁ」そう思わされました。
 
だからこそ美しくも生きられるのです!
写真の説明はありません。

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