馴染みある夢の世界を体験している人は案外大勢存在しています。厳密には特定の異次元世界を明確に認識しているのですが、それを言葉で巧妙に説明できる人が極めて少ないため、ざっくり「夢の世界」とだけ表現しているのです。
私も、数歳頃から睡眠中に通っている世界が常にいくつかあったのですが、子供の言語力ではどうしようもなかった印象が強く残っています。
言語表現ができる年齢になってくると、今度は自分が精神異常者であると勘ぐられることを怖れて他言しなくなりました。つまるところ、夢での体験の詳細を他人に語ることがないまま一生を終える人がほとんどでしょう。
今世紀からは、一般人を対象に「半覚醒状態」が科学的に普及する時代に入りました。身体はじっとしたままで死人と会ったり宇宙人と交流することも普通になり始めています。
その一方では「そんなの嘘だ!」と言うような旧世紀タイプの人も現存しているのですから、これからしばらくの地球人類はあからさまに別種共存の時代を迎えます。
我々はまさに人類覚醒時代の真っ只中の地球を生きているのです!
40年前頃には飛び込み訪問の営業がよくありました。
その際に知的障がい者の弟が家に居合わせていた場合、10歳くらいの私にとって笑いと困惑を常にもたらしていました。
それは、まったく嘘をつけないという特性によるものです。
例えば「出っ歯」の営業担当者が訪問してきたとすると、おもむろに口の部分に指をさして驚くのです!
弟は話せないので奇声を発するだけでしたが、それに対する訪問者の反応がただならぬ笑いを誘うのです。私は子供ながらにも「失礼だから笑ってしまってはいけない」と堪えながら涙を流して腹を震わせたことが何度あったことか。
私自身も7歳頃、隣に越してきたご婦人が茶色い白髪染めをしていたので「おばさん外人なの~?」と正々堂々と質問していたことを思い出します(笑)。
見て見ぬフリ、楽しそうなフリ、悲しそうなフリ……ある意味小さな嘘をつきまくることが「大人になる」という事でもありますから、全く嘘もつけないまま大人になったのなら社会不適合者となることが確実。
誰もが若い頃は努めて嘘つきにならざるを得ないわけですが、熟年は逆に正直になるよう努めなければ「偽りの人生」のまま。
気持ちよく他界できるかどうかはそこにかかっているのです。
父の母親は父を出産直後に死亡したため、父は母親の愛情というものを全く知らずに育ちました。
母の父親は別の家庭を優先したため、母は父親の愛情を感じずに育ちました。
私の弟は生まれつきの知的障害者だったため、私は兄弟で遊ぶということを知らずに育ちました。
すぐには解らないことですが、何らかが欠落する環境で万人が育っており、その要因となる材料が必ずあります。
他人の言動を理解できない場合、腹を立てたり不快に思うよりも「どうしてそのような人になってしまったのか」を根気よく理解する努力が大切です。
その分析結果は必ず自分に活かせるのですから、「ありがたい学習の機会をもらえた」と本気で捉えるようになります。
これまでなら腹を立てていたような人を相手に感謝の思いが湧くのですから、究極の処世術ですよ!
近所を歩いていて、ふと秋を感じました。
私は田畑の多い田舎に生まれ育ったため、今の時期になると地域のお祭りがありました。
「収穫祭とはどんな意味なのだろう?」と気になって調べたのが10歳の頃でした。
秋に収穫を得るためには事前に種まきや田植えをし、継続して育成管理をする必要があります。
収穫そのものはそれほどでなかったとしても、そこに到達するまでには時間と労力と忍耐が要ります。
その大変さを認識することは子供にとって凄く重要です。
「人生で何を収穫するのか?」「そのためにはどのように生きるのか?」を考えるからです。
人生の収穫とは何でしょう。
「金銭」とは、水や肥料と同じく肉体維持には必要な手段ですが、収穫ではありません。
肉体死後も得られたと感じるものだけが収穫です。
手段が目的となってしまっている人があまりにも多いようですね。
「バカなフリとは賢い行為である」という事実があります。
これは小さな子供には気付けないことですね。
逆に「知的なフリはバカがする行為である」とも言えます。
大人になってから社会を見渡す上で「多くの金銭や名声を手にする人はどうして皆が…?」を疑問に感じ、そこを意識することで見抜けた事実です。
ですから「アイツはバカだ」とか「あの人は賢い」といった印象は真実とは逆の場合が多いのです(笑)。
「悪賢い」との言葉もありますからね。
人間のどんな感情であろうとも、幼少期に吹き込まれた価値観を常に再構築して湧き上がるものが感情です。
よって思春期頃にはその感情が湧いてくる素材が確定しているので、感情が湧く原理が完成してしまうと「どうすることもできない」と考えがちです。
特定の場合に湧くその感情が、いわゆる条件反射となってしまっているのですね。
しかし成人してから冷静に考えると、例えば「人間が死んだら悲しむ」とか「テストの成績が良かったら喜ぶ」とか「幽霊が見えたら怖がる」などの反応は、周りの大人から刷り込まれただけのことで、それが人として湧く正常な感情であるとは限らないのです。
ですから、私は20代に幼少期の固定観念を変えてしまうことで、「怒る」という反応をプログラムし直しました。
この世は何事にも怒ることだらけで生きるだけでも疲れてしまうため、苦肉の策(笑)。
怒りレスにしてから生きることがだいぶ楽になりました。
感情とは、実は制御できるものだったのです!
夢の中で夢を見るシーンを経験したことがありますか?
夢から覚めて「夢だったのかぁ…」と感じたシーンが、まだ夢の中だったということです。
私は、あの世に旅に出た際にこれと同じ経験をしました。
「死んだのか…」と感じたシーンそのものが、まだあの世でのワンシーンだったのです!笑
これはまさに、何が現実なのかの判別がつかなくなるのです。
ただ私がこの世の現実世界に戻った時は、全身の激しい痛みと痺れを感じたし、瞳を開けても肉眼の視界がほぼ得られなかったので、「こんなにろくでもない経験ができるということは三次元物質世界に間違いない!」とこの世を自覚できたのです。
この経験からわかることがあります。
「あの世」とは、この世とは対極の世界が一つあるわけではなく、「あの世」にも階層があるらしいということです。
肉体生命を維持したまま「あの世」を経験できる人が前世紀までは少なかったのですが、今世紀になってからは増えてきています。
今の人類が「あの世の科学」をどれだけ進展させることができるのか、とても楽しみですね!
「人」とは、霊的な体験をすることもある人間と言う名の動物ではありません。
事実は、人間と言う名の動物も体験することがある霊的な存在が「人」です。
本末転倒とはまさにこのこと。
既に人の本質が動物であると考え、カネ儲けや肉体死回避に忙しい人々を今更どうこうする必要はありません。
放っておいても、数十年で確実にこの世からはいなくなるのですから(笑)。
まともな知的生命体としての文明を地球に興すのならば、次世代のため「霊教育」の準備を整えてから他界すればよいのです。
暗記や計算は人口知能がしてくれます。せっかく「人」として生まれてきたのならば、マシンにはできない知性をこの世にも構築しましょう!