気分が落ち込む理由
普段から寡黙な人でも、常に元気で明るい印象の人でも、そのそぶりを他人に見せるか見せないかというだけの問題で、生きていれば気分の沈むことはあります。
では「気分が落ち込む」とはどういうことなのでしょう。
毎回繰り返しのメッセージになります。
物質でもある肉体人間ですが、非物質のエネルギー(霊魂)が人の本質です。
それぞれが求める性質についての違いを簡単に述べるならば、肉体は「自我(エゴ)」なのに対して非物質は「慈悲(利他)」というような表現になりますでしょうか。
これが、物質としての種の保存を試みる肉体生物でもありながら非物質エネルギーでもある、地上人間の営みの難しさであり醍醐味でもあるのです。
物質文明に生きる人間には、それが妥当かどうかは別としまして「生き残るためには自分以外の存在から奪う・殺す・騙す・利用する・壊滅させる等の行為はやむを得ない。積極的にではないにせよ、生きて行く限りは万人がそのような事柄と無関係ではいられない」という考えがあります。
一方で、非物質エネルギーとしては「分かち合う・与える・楽しませる・喜ばせる・助ける・美を愛でる・寛大である・醜い生き方を避ける」等の欲求があります。
まずは自分の肉体欲求の満喫なり制御なりを経てからでしょうが、それらが自分の喜びでもあるという感性を、綺麗ごとではなくて本当に皆が心の奥底では持っています。
つまり、現代人は常に二律背反する欲求を抱えているため、社会の在り方や人間の生き方が矛盾に満ちている!というのは誰もが感ずるところであり、仮にどちらかを充たそうとすれば、それが充たされた場合でももう片方の欲求が踏みにじられることになるのです。
よくある例ですと、子供時代に貧乏だったのをバネに、成長にするつれて「アイツは守銭奴だ」などと陰口を言われ続けても、めげずに努力して金銭的には報われたとします。
ところが、表面的には派手な人間関係を築いて物質的にどれだけ豪華な暮らしをしようとも、心は充たされない。そんな虚しさを埋めようと、酒や薬物やセックスに依存するようになる…。
逆パターンでは、若気の至りでカッコイイと思って「俺は金儲けのために魂を売ったりはしない」とか豪語していたのがアダとなり、寝床や食事にどうやってありつけるのか?という日々だけを重ね続け、人生を楽しむどころか心のゆとりのカケラもない毎日を送っている…。
その善し悪しを言いたいのではありません。
どんな選択をするのも各人の自由ですし「それしか選択の余地がなかった」と主張する人もいるでしょう。
私自身も今生はその両極端とまでは言いませんが、かなり振り幅の大きい実験的な人生を送ってきました。
どちらも物質界で肉体を持つが故に起きる現象です。
それらは経験することに意味があるのであって、結論、どちらが正しいのでも間違いでもないのです。
善悪や正誤とされる主流価値観が時代や場所によって変わって行くだけです。
その時代や地域の価値観に迎合しようが反発しようが脱出しようが無視しようが(笑)、全てが肉体を持って生きるバリエーションの中の一つなのです。
大量殺戮に大きく貢献した人が称賛される事もあり、虫一匹殺せない人が冤罪で極刑に処される事もある。
それが人間社会なのです。
こんなゲームは「ヒトや宇宙は物質でしかない」という認識の元に非物質世界を蔑ろにするからこそ成立している…私はそう思うのです。
物質肉体次元を卒業してしまったらとても叶わない、次元のいくつも重なった複雑で濃密なしくみ。
だから謎だらけの壮大なゲームなのですが、ルールは意外とシンプルだったりするのです。