2019年05月21日
リーディング(チャネリング)
約30年ぶりにエドガーケイシーを塾読しました。私が高校生の頃は、まだ「バシャール」をはじめとするチャネリング本は出回っていませんでしたから、ケイシー関連の著作で「リーディング」(後の世ではチャネリングと呼ばれるもの)の様子を読んだ高校生の私は興味津々でした。
エドガーケイシーは1900年前後にアメリカに実在していた人物。
何の教育も訓練も受けていない中卒の労働者なのに、あらゆる医師に診てもらっても原因も治療法も見出せないような難病患者を前にしてトランス状態となって、患者の不具合の原因や治療法を膨大な数の患者に対してアドバイスしていたという人物です。
その魔法のような能力を疑う医師や教育関係者も傍で一緒に記録を取っていたため、医師でもないのに実質膨大なカルテが残っているのです。
久々に読んで改めて思うことは「所詮はサルの仲間である多くの人間に知性を求めること自体にムリがある」ということと、「神でも霊でも宇宙人でも呼び方はまちまちだが、人間以外の非物質知性とつながることができる人ならば喩え相手が人間でも知性を求められる可能性が高い」ということです。
ですから私は10代の頃から、よく言えば神がかった人、俗に言う「変な人」とばかり好んで付き合ってきました。
他ならぬ私自身も普通の人から見れば「変わった人」であるという証拠です(笑)。
妻は霊能者で占い師ですから本人の生まれや環境とはあまり関係なく飛び抜けて個性的です。
霊と自由にアクセスできるということは、人間でありながらも知的な存在たり得るというわけです。
妻との間に息子が誕生しましたが、その出産当日に私は脳幹出血で倒れ、しばらく植物人間みたいになり、意識が戻ってからも数ヶ月間はリハビリ病院に入院して立ったり歩いたり話したりする訓練を受けていました。
そこへも妻は赤子を抱えてよく見舞いにきてくれました。2~3年経った今では喋りや文書作成は少しできるし、一度は寝たきりだったものがノソノソなら歩くこともできます。
普通は息子の出産日に夫が死にそうになったらパニクったりしそうですが、平静に育児をしながら見舞いにきてくれたりしたので、私も少しは元に近付けたのです。
これまで死人の霊とも普通にかかわってきたのですから、身近な人が肉体死を迎えようとも大した問題とはならないのでしょう。助かります。
息子も2歳半を越えたので良く喋ります。人間の営みというものをそこそこ理解できているようで、近頃は感情を込めて「ごめんね」とか「ありがとう」という言葉も発します。誰が教えたわけでもないのに不思議です。夢をよく見るのか深夜に喚いて暴れることもたまにありますが、「大丈夫だよ」とあやすとすぐにまた眠ってくれるのでありがたいです。
せめて自分の子供くらいはサルではなく知的生命体として育ってほしいものです。
エドガーケイシーに限らず、騙して奪う以外のことに興味を持って他人に貢献している人はどこでもいつの時代でもごく一部存在しています。
自分の生きているうちにそれが多数派となって「かつてはサルに似た人間という生物が地球を支配したつもりになっていがみ合ったり殺し合ったりしていた醜い時代があった」と過去形で語られる日が訪れることを楽しみに、人間のあり方を共に探求しようじゃありませんか!