誰も避けられない肉体死
今日、退院後の経緯を検査するために病院に行ってきました。
一週間以上入院する不便さを考えたら月に数日病院で時間が潰れることもそんなに苦になりません。シラフでもフラフラして徐々に歩けなくなった主要因である血液中の健常者には必要不可欠の要素も複数の対策で人並みに回復していることが確認され、ゆっくりでも歩けるように今はなっていて、まだしばらくは生きて行けそうです(笑)。実に絶妙なバランスで生きているのが人間なわけですが、今度また内蔵の暴走で何が不足して何が過剰になるのかも見当がつかないのです。しかし気にしていても仕方ありません。定期的に検査したり突如体調不良に襲われて否応無く発覚するでしょうから、気楽に構えておきます。元々長生きしたくもないのですから!笑
死を怖れることと同じ問題です。どんなに心配しても人は死ぬ時には必ず死にます。それで死なないのなら気にかける価値もありますが、産まれて生きているからには「いつどんな風に」の部分で個人差があるだけで死は確約されているのです。でもそれは動物の肉体としての話です。知的生命体として素晴らしい活躍を遂げる人でずっと自分の死を心配して生きている人は少ないでしょう。
自分の肉体死が大きなテーマになりすぎないことが「充実人生」の鍵である。それが真実だと私は思います。