文化的生活
昨日は「文化の日」という祝日でした。元は「明治天皇誕生日」だったそうですが、それが日本国憲法制定の記念日に変わったようです(制定でなくて施行の日が憲法記念日)。戦争放棄や基本的人権を謳う憲法がそのまま平和や文化を重要視している、という意味から付いた祝日の名称なんですね。
ここで「文化とは何ぞや?」と哲学を論ずる気は毛頭ないのですが(笑)知的なことや美的なことに意識を向けて探究したり発信するなんて、確かに平和だからこそできることなのです。
自分が肉体を持つ人間として飢えや病苦にあえいでいる場合、モラルの低い人から順次なのかもしれませんが、最終的には大半が肉体生存を最優先するためになりふり構わない獣と化してしまう…現代の先進国ではそれが多数派の生命観でしょう。そこには文化も芸術もあったものではありません。
このような話を聞くと、多くの皆さんは国家間の戦争や疫病の蔓延等をイメージするのかもしれません。ところが実際は悲しいかな…そんな大仰な事でなくても簡単に平和を乱して、動物的で利己的な行動を取ってしまう人間性が映画やドラマでの格好の題材となっているわけです。
ごくありふれた家庭内や職場でも、人間関係トラブルに悩んでいたとしたらどうでしょう。知的好奇心を充たす何かに勤しんだり芸術的創作活動に打ち込んだりする気力など湧かない!となってしまうのが普通でしょう。物理的に危害を加えられたり罵声を浴びたりし続けても知的美的な何かに没頭できたのだとしたら、それはもう悟りの境地です(笑)。
現代日本は一見、誰もが文化的な暮らしをしているかのようです。ところが、所有していて当然とされる最先端を行くその文化的ツールが何であれ、特定企業の利益追求の産物なのであり、それが無くては生活に支障が出るようなムードに洗脳された皆が当たり前に利益貢献させられているのです。
家賃や食費や養育費などの生活費をギリギリで工面させられて暮らしている上、更にほぼ全員がローンを組んでまで高額商品を購入させられているのですからこれはもう、庶民のほとんどが心理的には常に戦争状態!
多くの場合は学校を出て気付けば自分が既にその立場となってしまっていたのでしょうが、文化は本来、戦争とは反対の意味なのです。しかし皮肉なことに戦争が現代地球人の文化を象徴しているのです!
「ビジネス」という体の良い単語を使っていても顧客なり契約なり役職なりを獲った!獲られた!勝った!負けた!という毎日を送っている場合、常に静かな経済戦争に参画してるというのが実態です。都会の多くの人々が文化的とはおよそ縁遠い生活をしている…
それが激しくても静かでも、自分が参戦している最中は夢中になっていて何にも気付けず、多くは終わったり抜け出してからはじめて「なんて愚かなことをしていたんだ…」と気付くのが、争いというものなのです。