お知らせ

2018年 12月
2018年12月26日

生死の本質

今年も残すは数日です。思い返せば子供の頃からグレゴリオ暦に侵されて育った今の私たちは、皆がカレンダーに追い立てられて暮らしています。

 

ただ死に向けて忙しく日々を消化していた周りの皆を見て、私は中学生の頃から人間社会に対する底はかのない不安や不自然さを感じるようになりました。何を考えても「みんなどうして生きていたいのか?」という問題に行き着くのです。

 

それが高校生頃には「生きたいのではなく、死ぬのが怖いから避けているだけだ」との確信に変わっていました。

ただ死ぬのが怖いという理由だけで生命維持に努めているとは、何たる下等生物なんだ!笑

 

「少しでも人間を高等生物に近づけることができるはずだ」これを自分が生き続ける動機にして30年程が経過しました。近年は意識不明の重体になったり、大抵の事をするのが難しい身体になったりしても、まだしぶとく生きています。

 

暦で計られる時の謎や、存在するようでしない空間の不思議にも、自分なりにだいぶ理解が進みました。後は平均的な生活を送る皆に伝える術がどれだけあるかどうか?です。

 

とりわけ小脳を潰して全身の感覚を一度は失ってしまったことによる体験は貴重です。
私が倒れた日に生まれて共に乳児期を過ごした息子の存在はとても大きい。意識が戻って数ヶ月は糞尿を漏らしても気付かない私のマヌケさも、「ああ、コイツの今は俺と同じなんだ…」と、汚れたオムツをしたまま喜んで遊んだり飲み食いしている息子に妙に共感したものです!笑

 

死ぬということ、この世に出てくるということを、オッサンになってから再度経験させてもらったわけですからね。それがどういう事なのかを伝える術は多いと自負しています。

ご興味のある方、以降もお楽しみに~

2018年12月16日

幼児期の繊細さ

小さな子供にとって、一瞬でも「自分が受け容れて貰えなかった」という事実は重大事件です。

 

他人の状況や気持ちに察しがつくようになれば学習してクリアできることですが、まだ自分のことだけしか考えていない時期は要注意です。

 

「自分は他人に拒まれた・無視された・関心を持たれなかった」…幼児期のそれ系の印象は、後々かなり引きずります。自己を肯定できるようになれないのです。

 

いい歳をして幼稚なのも厄介者だし実際に多いのですが、幼児期に周りがどう関わっていたのかによって幼稚な大人が養成されてしまいます。

 

写真は、息子が気まぐれで妻のそばに駆け寄ったら事務仕事を突然邪魔された妻の冷たい態度にひどく悲しんでいたので、私が事情を説明しているところです。「オマエのことを嫌っているわけではなくて、突然邪魔をしたオマエの問題なんだよ」ってな具合ですね。

 

良く納得できたようで安堵の表情です!笑

 

2018年12月10日

自分の欲求

誰かが書いたり話したりしたことに対して「素晴らしい」とか「なるほど」と仮に思ったとして、その内容は書いたり話したりしているその人にとってのことです。

 

何をどうしたらよいのかは人によって万別ですし、同じ人でも時期によって異なります。

 

ですからその時に内から湧き出る自分の声じゃなければわかりません。私達夫婦がやっている瞑想セッションでは、その皆さんの隠された欲求を引き出すことから全てが始まります。

 

多くの皆さんは自分の欲求を隠したり誤魔化して生活しているのです。

 

お問い合わせは妻のホームページからでも遠慮なくどうぞ。

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