人は多次元多重構造
ほとんどの人が「生死とは何か?」という最も根源的テーマをゴマカシ続けてカネや権利を追い求めているイジョウな今の社会で、知的生命体としてセイジョウでニュートラルなメッセージの発信を試みる【セイジョウ石井】です。
本名は石井数俊ですが、ペンネーム【セイジョウ石井】としては第一回目のお知らせとなります。
私が書いたり話したり、あるいは誰かのサポートに携わったりで発信している内容の根底に一貫して流れているテーマは「人は多次元多重構造の生物である」というものです。
今の地球に暮らしている多くの人は「肉体という物質だけが生命である」と勘違いしています。先進国と呼ばれる物質主義の国々が武力で次々と侵略した土地で、そのような教育(洗脳)をした成果なのですから当然です。
そうは言っても、日本人でしたら事故死した肉体を「鮮度が落ちないように早く」などと急いで食卓に並べるようなこともないでしょう。あやゆる肉・魚・野菜には日々しているそれができないというのは「物質肉体が機能しなくなっても人間には非物質としての何かがある」ということを心底わかっているからです。
火葬して骨の粉になってからでも丁重に扱うのが普通ですし、他界した存在と何十年経っても心を通わせている人だって少なくありません。
ですからこの国では、実際に霊魂の存在を疑う人はほぼいないのです。ただ、そうであっては不都合な生き方をしているが人が今日では日本でも沢山いて、そんな人たちは「肉体が死んだら全てが終わりだ」と信じたいだけです。
それらが前提ではあるのですが、大事なのは「多重構造」であるということです。「肉体で生きている間も人の本質は霊魂である」ということです。
「死んでからも非物質の何かがこの物質世界に影響を与え続ける」といったニュアンスで漠然と捉えている人はいても、肉体で生きている人にそれら非物質の影響力を当てはめて考える人が少ないのです。
機械のようにすぐに不具合が出ては修理して…そんな肉体が人間の本質ではないのです。そこに「神」とか「仏」とか「光」などの単語や、それらの代弁者とされる固有名詞を使うと宗教になってしまいやすいので私は避けています。ですから、それは「非物質の自分自身」だと言っているのです。
「物質ではないとしたって自分自身が神や光だなんて傲慢不遜だ!」そう感じる人も多いでしょう。でもそれは単なる自己卑下です。対象が肉体で生きる人でも故人でも偶像でも「私なんぞが○○様にお声をかけていただけるとはありがたき光栄…」などと思わず口をついて出てしまうほどに「あなた様の偉大さに比べたら自分は取るに足らないちっぽけな存在」…どれだけそのように信じ込ませることができるのか…そこで貢がせる規模が決まるため(肉体生命の場合も多し)ここ数千年は王道の搾取方法として普及していて、知らず知らずのうちに皆が洗脳されているだけです。
とにかく人間は、肉体を持ちながらでもまるで物理制約がないかのように自由に生きることが本来誰にでもできる存在なのです。ただそのためには自分自身の多次元性を理解して、それらの繋がりをよくする必要がどうしてもあります。
しかし、あなたの本質からしたらほんの一部分だけとはいえ肉体を持って生きているということは物質制約ゲームにも参戦中であることをお忘れなく。物質的制約が緩くなるほど、あなたの一部をわざわざこの物質世界に投入してまで求めた肉体経験の醍醐味は減ってしまいます。
ここまで読んで「何のことだかサッパリ!」と感じた方がいても全く不思議ではありません。皆それぞれにタイミングというものが重要です。何事にもヒントが欲しい時期ってありますよね。解こうとするネタがない時にヒントをもらっても、それはただの迷惑行為ですから(笑)。
これはテレアポでも飛び込み訪問でもありません。無数にあるネット世界での、とある超マイナーなワンサイトです。お気に召さない方がいらっしゃったなら…簡単なことです。どうぞ穏やかにこのサイトを閉じてください。
以後も具体的事例を挙げて人間の多次元性をわかりやすく解説して行きます。ご興味のある方、不定期となりますがお楽しみにお待ちください!
セイジョウ石井