死の実態
今朝の地震で何か吹っ切れたようなエネルギーを感じての投稿です。
私が脳幹出血で意識不明の重体となって倒れていた翌日の、医師から「間もなく心肺停止の可能性が高い」と妻が説明を受けていた頃、私はベッドに横たわったままロープウェイに乗せられたみたいな(臨死)体験をしていました。
看護師(非物質存在)がベッド脇に立って付き添ったまま、私はベッドごと空高くどんどん上がって行きましたが、上がるごとにこの世とは異なる町並みや施設のようなものがあり、倒れる数ヶ月前に自分が監修を担当して出版された本『非物質ガイドとの探索1・2・3(ヒカルランド刊)』についての話題に脇の看護師みたいな人に触れられました。翼もなく足もあって現実的な女性の姿でした。添付はその記憶イメージに近い写真を今検索してみました。
その後ゆっくりとベッドごと再び降りて行き、脇に付いていた看護師も担当が替わりました。途中、数箇所とある非物質施設に寄って面白い体験もしたのですが、肉体の私は相変わらず危険な状態で、物質世界の看護師が痰を吸引しにやって来る時、あまりの苦しさに病院施設をヘリに乗っているみたいに上空から見下ろしている視点になったことも記憶しています。
意識が戻ってから病室に看護師が来て何かをしていても、眼がほとんど見えなくて全身の感覚もなくなっていたので、まだあの世にいるものだと思っていたのですが、そのうち手足を中心に凄い痛みと痺れが襲ってきたので「死に損なった」ことを自覚したのでした。宗教的な解釈をするのなら「天使や天国を見て経験して戻ってきた」ということですね。この世界では飲み込みもできない寝たきりの身体からの壮絶なリハビリが始まるのはこれからです。
明確に解ったことは、人は肉体死を迎えても自意識や非物質世界は継続しているということです。終わるのは物質肉体の機能と物質世界だけです。このことを皆が知れば、個人の生き方も文明のあり方も必ず変わるでしょう。