お知らせ

2019年06月22日

存在の意義

大人になるほど、人は自分の存在意義を問うものです。

会社や自治体や国から賃金をもらうということは、賃金を払う側にとって有用であることの証ですから、多くの人が経済的報酬を喜びます。しかし、それは単純な話ではありません。

 

戦争を起こして大量殺戮を実践するのは決まって国家であることを考えれば解る通り、人を騙したい殺したいという上の欲求を満たす働きをよくしている人が高く評価されている場合も多くあるからです。民間企業でも、金儲けのためだけに社会に害悪を垂れ流している組織は沢山あります。その場合、エリートほど罪深い業を背負っているわけです。

 

自分が属する組織の実情を知ったところで、辞めたり訴えたりする人は長年少なく、大抵が自分も黒く染まって仲間入りをするのです。それを社会適応と呼びます。動物として自分も生きて行くことが最優先されるからです。

 

でも近年は黒く染まりきれない、つまり社会適応できない世代の人たちが増えています。就職しない、してもすぐに退社してしまう、ひきこもる、自殺をする・・・つまり黒い社会に順応できない人が増えています。

 

これはマクロ視野では地球文明の明るい兆しであると私は捉えています。既存の人間社会の愚かさやバカらしさに付いて行けない人が行動に移してしているということです。この勢いが加速すれば、これまで政治や経済で活躍していた「自分だけよければ、カネや権力さえ手に入れば」といった程度の低い人たちも立ち行かなくなってくるでしょう。カネや権力だけを所持していて有名でも「まだこんな低知性な人が幅を利かせているんだ」となる社会風潮なのです。

 

その際に非難や攻撃をしているようでしたら「自分もそうなりたいのに羨ましい」と言っているようなものです。依然動物であり続ける人にかまっていないで、知的な種として自分にできる霊性を陥れないことを実践しましょう。

 

人とは本来、知的生命体なのですから。