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2019年05月01日

半田広宣のヌーソロジーに魅力を感じる理由

現代の時代に生きるほぼ全員が「生きる死ぬとはどういうことか」「いわゆる現実と呼ばれる世界とは別に夢や幻想、今では仮想現実の世界もあるし、何が真実で何をどうすればよいのか」といった戸惑いの中で人生を送っているものかと思われます。

 

他ならぬ私自身もそうでした。子供の頃から抱えていた「生死とは何か」「現実だとされている全てが錯覚なのでは?」「どうして生きているの?」といった人間の「どうして?」「どういうこと?」に答えを見出せないまま30歳近くになっていました。

 

私が子供の頃から特に感じていたことは、本でも映画でも写真でもテレビでもあらゆる景色でも自分の視界は常に平面ヴィジョンを見ているだけ、瞳を閉じても考えたり想像したりいくらでもできるのに、人間も含めて世界や宇宙空間までが立体の物質で出来ているなんて嘘ではないか?」というものでした。

 

どんな本を読み漁ってもその答にあたるものは見出せませんでした。ただバシャールというチャネリング本だけは真相に近いニュアンスを醸し出していたので30年前くらいから愛読していました。
「やっぱりサル同然の地球人に答を求めても無理か…」そんな諦観が多くを占めるようになった20年前くらいに半田コウセン氏の著作に出会ったのです。同じ太陽系内の冥王星のオコツトと
名乗る異星人が情報源のチャネリングという体裁を採った本でしたが、かなり理論的に私がそう感じる理由を説明できていました。
やはり同じ頃に映画マトリックスが上映されました。どちらも私の感覚を上手く表現できていて、私は「ついにその時代が来る!これを解説できる人物が地球上にいないのならば自分がそうなれば良い」と思い直して今に至ります。

 

新しい概念の説明には、既存の用語や概念を引用できないというハンディをいかに克服するのかが鍵だと私は読んでいます。映画マトリックスを見た時に「映像や脚本や音を駆使すれば不可能ではない」と希望を抱きました。しかし予算や時間の都合を考慮して今の私にできることは専門用語を用いずに深い話を優しくすることです。そんな機会を多く創出できるよう以後も努めます。

 

その点、半田コウセン氏の新刊「奥行きの子供たち」では、誰もが知っているであろう映画を引用して会話形式で文明論が展開されているので、多くの方に一読を推奨したいです!