2018年11月12日
誕生日
成人してからの私は自分の誕生日を気にしたことがありません。当日中に気付いた場合には「あぁ、私はまだ肉体で生きているんだ」とは思いました。
当然の話、誰にだって誕生日と命日はあります。「そんな当たり前の事に振り回されていったいどうする!」というのが今でも本音です。
「息子の誕生日、よりによって父親の命日と同日にしてやりたくはない!」意識不明となっても私はそこを意識していたようです。息子の誕生日を2回祝った時、どちらも自分の命日を祝った実感があったのです。
死の床に伏してその瞬間を迎える際に「いい人生だった」と思うか、「もっとああすれば、これをしなければ」との想いが湧くのか… 短命だろうと長寿だろうとつまるところそこに人生が象徴されているのだと私は考えます。
「死にたくない」と強く思う人が多いとして、生きて何をしたいのかにもよりますが、不本意な人生だったと本人が総括していることだけは確実です。
気持ちよく他界するためには一日一日を一生のつもりで、目立つ必要はありませんが悔いの無い人生を送る。それ以外に方法はないのです。
そんな日々を送れているのかどうかに改めて注意を向けられる!それが誕生日の最大の意義である。 私はそう考えます。