賢さとは臨機応変さ
機械化が進む現代社会においても「クローン」や「遺伝子操作」呼ばれるものを、特に人間に当てはめることには抵抗を感じる人が多いみたいですね。その違和感はどこからくるのでしょうか。
平たく言えば、それは「人間というものが(人間が摂取するものが)人間の手によって機械のように製作されたり操作されたりすることは自然の理に反する」と感じるのが人間らしさとも言えるからです。それがどういう事なのかを考察してみましょう。
出産育児等で見られる「増殖」というものは、「人間をはじめとする生物も所詮は機械みたいなものだ」と考えたくもなる要素が多分にあります。「DNA」という単語を知らない人がほとんどいないほど普及している今日です。
生物の設計図とも呼べる遺伝の仕組みを探究すればするほど、今の人間には理解できない奥深さがあるけれど、プログラムが機能しているのは事実なのです。実際に、一歳の息子は自分の幼少期の写真にかなり似てきているのですから(笑)
ところがそれは物質肉体としての話です。非物質の、俗に「霊」「魂」「スピリット」などと呼ばれるものについての解明は現地球文明においては非常に遅れています。物質の複製や操作はいくらできたって、人間の本質である非物質のコントロールができていない現地球人が生き物の操作をできるわけがないのです。
そのことを、多くの皆が潜在的に感じているということです。
生物が「単なる物質」だと誤解している科学者が物質的に操作したところで、できたかのように勘違いしている生物操作には莫大な弊害が潜んでいるのです。それはこれから著しく表出してくるでしょう。
「霊」や「魂」と呼ばれる非物質面を重要視して解明できれば、肉体的な不具合の解消や未然予防がもっと簡単にできますし、そもそも肉体障害や長寿も早死にも大した問題ではなくなります。
人間として生きていながら最も人間を理解していない人が評価されて優遇される傾向のある現文明社会です。それを知っていながら、自分もわかろうとしない人や自分を曲げて生きている人が多いようですね。それを私は「知的」じゃなくて「愚か」なのだと言っているのです。
そんなことばかり語っていたら生活が成り立たない、と思う人もいるようです。「知らないのに知った顔をして」愚かさを重ねるよりも、訓練は要りますが「知っていても知らないように振る舞うことが適宜できる臨機応変さ」の方が賢い行為だと私は思います。
これを応用すれば誰だって、どんな生き方だってできるものだと私は思うのです。
大っぴらに発揮しない事であっても、知っていれば多くを得る …そんなものだと石井は考えます。