お知らせ

2018年04月30日

理想的な人との出逢い

夫婦や恋人になる男女ばかりではありません。この世の中で何かを成し遂げようとしたなら、仕事でも趣味でも特定の誰かに期待したり依存したり邪魔に感じたりといった関係は生じてしまうものです。

 

人間一人きりで成し得ることは原則何もありません。天涯孤独な個人プレーだけを自負している人だとしても、その人物を陰で支えたり持ち上げたり引っ張り上げたりする誰かが存在しなければ、その人物の成し得る何かが世に出て行くことはないのです。

 

そこで重要なのが人間関係の構築です。「自分にぴったりの理想的な人物との出会いが人生成功の大きなカギを握っている」と考え、いつか訪れるその日を待ちわびながら準備に勤しんでいる人も若いうちは多いことでしょう。

 

しかし、自分にぴったりの誰かがあなたとの出逢いをたまたま待っている確率は、いかほどでしょうか? そもそもそのような人物はこの世に存在するのでしょうか?

 

理想的な相手とは、自ら築く人間関係のことであると私は考えています。それは「自分にとって理想的な相手が現れる」のではなくて「相手にとって理想的な自分にどれだけなれるのか」なのです。

 

誰を相手にしていても、自分と似ている部分と異なる部分があることでしょう。その相違部分を理由に「だからアタナとは合わない」と思ってしまうかどうかです。

 

互いが量産マシンでないかぎり何から何までが同じということはあり得ないのですし、その相違を楽しみに感じるのか不快に感じるのかの問題なのだと思います。

「考えや価値観が似ているそっくりな人とこそ一緒に過ごすべきだ」という幻想を抱いているかぎり、仕事でも趣味でもしっくりくる人間関係はずっと構築されないでしょう。

 

気候天候から人間関係まで、快適に思える条件が自分にあてがわれる可能性は誰にとっても常に低めです。でもそれがこの世のゲームなのです。「条件が不利だから遠慮願いたい」と億劫に感じるのか「そこまで難しい条件ならばクリアし甲斐があるじゃないか」と活気付くのか…

 

後者が常にパートナーに恵まれているように見える、というだけのことだとセイジョウ石井は考えています。そしてそのような人柄の相手に対してはついつい貢献したりサポートしたり、尽くす傾向が皆さんにあるのではないでしょうか。

 

出逢うことが叶えば自分の本領が発揮できる…そんな誰かを待ち続けている言い訳だらけの人生は、はっきり言って単なるイジョウな妄想癖だと思います!笑