お知らせ

2017年06月28日

成長の確認

過去を振り返っては「どうしてあれをやってしまったんだ!」「なぜあんな事を言ってしまったのか…」、逆に「なぜ見送ってしまったのか」「どうして黙っていたんだろう」などと思う機会があるのは、いけないことでも何でもなくて自然なことです。数十年前の事をそう思うのか、昨年の事を思うのか、先月の事なのか、先週の事なのか、昨日、いや、それともついさっきの事(笑)なのか?

「しまった!またやらかしてしまった」と思う内容が毎回似通っていたとするなら、それは学習能力なり悪癖なりを見直すべきサインの場合もあるでしょう。しかし「あの時はそれがよかれと思って選択・行動したのだが、今思えばもっと他に採るべき手段があった」と気づくのは、自分が変化しているのだから当たり前のことです。

それが成長なのか劣化なのか、強気なのか弱気なのか、楽しみなのか悲しみなのか、喜びなのか落胆なのか、好奇心なのか無関心なのか、怒りなのか寛容なのか…どう捉えるのかは人によって、同じ人でも時期や状況によって異なるのでしょうが、変化している事だけは確実なわけです。

この物質世界で絶対不変の法則は万物が変化することだけです。
言葉遊びではありません。

生まれた赤ちゃんが50年経過しても乳児のままだとか、500歳でも食欲性欲モリモリなんて人間が実際にいたら困ったものですよね。ところが多くの人間は、不変のものなど何もないとわかっていながら不変を求める愚かさを有しています…例えば「永遠の若さ」ですとか(笑)。

肉体的な美容や健康というテーマが経済を活性化していることぐらいは誰もがご存知でしょうが、それ以外でも、人間が組んだあらゆる社会システムに不変願望が盛り込まれていることが、大きな矛盾として否応なく噴出してくるのです。

ごく一部の仕組みを作る側の「手に入れやすい、そして一度手に入れたらずっとオイシイ」などという、宇宙と自然の理に反した事を実現させようとの考えに基づいた、はじめから理論破綻しているシステムに則って人間社会が運営されているわけです。

そこまでしても、せいぜい100年前後で肉体が分解されるのが物質人間です。寿命がいくら伸びたところで基本は同じです。しかし、スピリットには時間や空間の制約などないのです。

「このことを理解できれば、肉体での一生を虚しいことに費やして死期になって後悔しなくても、もっと変化を楽しむ別の生き方があるんですよ!」ということをお伝えしているのです。そしてそのことは、現代人が「昔の人・原始人・未開人」などと呼んでいる人たち皆が理解して人生を楽しんでいるのです。