お知らせ

2018年09月27日

子供はどこまでわかっているのか

大人は「まだ2歳の子供だからわからないだろう」とか「一週間もすれば忘れるだろう」などと考えがちです。そう考える理由は自分が2歳の頃の記憶がないからです。

 

私は「記憶できるということと感じたり思ったりすることとは別物である」と小学生の時から考えていました。なぜなら同じ授業を受けていたのにそれを記憶していない人もいるし、特に音楽や図工で「これで何も感じないし、思うところも何もないのか?」という不思議な人をたくさん見たからです。

 

「人間とは、外見は似たような生物だけど、中身には随分と個人差があるのだなぁ」と小学生なりに度々思っていたわけです。

 

防犯カメラに犯罪行為が録画されていても、撮影機器は何も思ったり感じたりしないでしょう。ところがたまたま見て見ぬフリをしていた人は、何も語らなくても一生で最も強烈な感情や考えが湧き上がっていたのかもしれません。

 

憶えていない語れないことが認識できていない証拠とはならないのです。証明できないのをいいことに「記憶にございません」と堂々と解答する大人もいるわけですが(笑)記憶は改ざんされますし、いずれにしても事実認識と記憶とは全く無関係なわけです。もっと言えば事実も1つではないのです。

 

だからリハビリを続けながら2歳になるまでの息子を観察していた私は「コイツはいったい今どこまでわかっているのだろう?」という事が最大の関心事でした。それが近日になってにわかに態度に出すようになって「どうやら、かなりわかっているらしい」と私が掌握し始めたのです。

 

何も慌てるような事はありませんが、子供が自分の所有物であるという感覚が私には全くありませんから、これまで以上に一人前の人間として対処することとなりそうです。

 

人間の子供の可能性を潰すことなく拓いて行きたいですね、もちろん自分自身の可能性もです!