お知らせ

2018年07月28日

人生の豊かさ

「取り返したい」という想いを持つ事は愚かである、と私が考える理由を述べてみます。

 

普通の仕事に就いていて、パチンコ・競馬等の公営競技・宝くじなどで百万千万単位を貢いでいる人は驚くほど大勢います。そんな人たちに共通しているのが「取り返したい」との欲を持っていることです。

 

わかりやすく変換して言うと、失っている金銭等を「一時的に預けているだけだ」と自分の行為を勝手に正当化することを継続していると、負けた金額を預金しているような錯覚に本気で陥るのです。

ですから「今日はそろそろ預金総額から3百万くらい下ろせる頃だ」とかの更なる錯覚から益々大きな損失を平気で出すようになります。

 

ギャンブルに限ったことではありません。人間の面白い一面でもありますが、愚かなことを継続すればするほど「これは愚かなことだから止める」とは言えなくなって継続してしまうのです。おそらく自分の過去を自分で否定したくはないからなのでしょう。

そんな人間の性質を利用した金儲けが、この世の中いかに多いことか…

 

この世界では、何でもやってみなければわからないことが基本です、だって誰もが体験をするためにこの物質世界へとやってきているのですから。そこには現代社会で俗に言う成功も失敗もありません。見解によっては金銭を多く得たことで人生が失敗に終わったり、貧乏や病気なんかを散々経験できて早めに殺されたが故に肉体人生チャレンジ大成功だったりもします。

 

そこで私が考えるのは、それなりの期間を試してみた結果「これは違うな」と感じたのなら、体験の結果そう感じたことに充分な意味があると思うのです。何にしっくりくるのかは人によって異なるのも当然でしょうし、ある時期から突然何らかへの興味を失って止めてしまっても、それは全然自己否定ではありません。

 

誰もが日々生まれ変わっているのです。

 

継続しているから興味関心が続いている証拠かというと、そうでもないというのは上述の通りです。だから習慣や行動パターンからだけでは他人の価値観やセンスというものは意外とわからないものなのです。

 

「経験体験が宝」という考えの私からすると「人生経験の種類が少ないことは貧しい人生であり、得る宝も少ない人生」という解釈にもなります。幾度となく借金まみれになったりそのくせしてソコソコの贅沢をしてみたり、元気でヤンチャな子供時代から一変して近年は複数回倒れて臨死体験や植物状態まで経験させてもらった私は「人生の体験レンジが広い」ことは確実です。

 

でもそのような人生を「経験に恵まれた豊かな人生だ」と私が思えるようになったのは、割と最近のことなのです。

「死ぬのが楽しみ」という感覚は30年以上変わらず今でも持っていますが、「間違ってまだ肉体を維持しての人生が続くとしても、それはそれでよいかな?」という気持ちが、脳幹出血で死に損なって凄く不便な身体となってしまった近頃になって芽生えてきたのだから、人間の死生観とは不思議なものです。