お知らせ

2019年07月06日

沈黙

一度は熟読しましたが、改めて遠藤周作著の「沈黙」を読み返しました。私が生まれる前に既にこのような作品があったにもかかわらず、現在でもあらゆる宗教信者が世界中に存在しているという事実は、宗教とは人類にとっていかに重いテーマであり続けているものかを思い知らされる気分です。

 

90年代に他界している著者自身も、幼少の頃から親の事情でキリスト教徒とさせられたため、長年かけて募らせてきた宗教信仰への疑問や謎を作家になってからブチまけた感があり、多くの作品で布教者や信者の葛藤を描いているようです。

 

布教の野望を胸に日本で信者を増やそうとがんばっていても、日本で信者となった者は拷問を受けて殺され続ける姿を見せつけられる宣教師の苦悩を、ほぼ史実に沿って小説にしている作品です。

 

熱心な宣教師の祈りや願いにも神は一切応えることがないから作品名は「沈黙」なわけですが、いろいろと考えさせられる素材でいっぱいです。人は孤児であったとかでもない限り幼少期の親の影響から、いい大人になっても「見守ってくれている」「誰かが助けてくれる、救ってくれる」等の望みを抱きやすいのです。それが宗教ともなると「生きているうちには報われなくとも死後に天国で神(天使)が待っている」という扇動もできるのですから、この世での最強洗脳ツールともなってしまうのです。

 

肉体を脱ぎ捨てればこの世よりも想いが現象化しやすいのは事実ですからまるっきり嘘だとは言いませんが、この世で長生きして金銭や名誉や支配を得たい欲の塊みたいな人たちのツールとなってしまっていることが宗教の問題なのです。