お知らせ

2018年08月31日

誰だって激変します

さっき、いつの間にか妻が撮った一枚ですが、感慨深くてとてもスルーできない画像でしたので投稿します。

 

経緯をご存知ない方にしてみれば「なんのこっちゃ」ですので(笑)説明いたします。

 

2年前、私が意識不明の重体で救急車にて運ばれた時に同乗していた妻のお腹にいたこの息子は、その数時間後に搬送先の病院で産まれました。

 

すぐに死亡するかと思われた私は後日、肉体意識を取り戻してしまいます。何もおめでたい事ではありません。聴力はそれなりにあったようですが肉眼の視界が呆れるほどデタラメ、全身は痛いだけで触覚はほぼなし、飲食はできず、ただ動かない身体を動かそうとして奇声を発するだけのグロテスクな生物… 

 

自殺未遂ではありませんがハッキリ言って死にそびれただけです。

 

ただ、妻が赤子を連れて無事に産まれたことを知らせに来てくれた(それを私が認識できるようになって初めて)時に喋ることのできない肉体の私は嗚咽していたそうです。

 

その時の意識面での私の動きはこうでした。まずは「私の状況はさておき無事に産まれて母子共に元気でよかった」ということ。そしてもう一つは「死に損なったことを悔やんでも何も始まらない。コイツがこの世界を認識できるようになる頃までには自分も見たり話したり歩いたりできる状態になっておこう」と決めたのでした。

 

リハビリは毎日痛いし辛いしで嫌がる方が多いそうですが、私は自分で決意した「見る・話す・歩く」に少しでも近付くためならばちっとも苦になりませんでした。そして2年後の今は「話す」に関しては実際にクリアしています。

 

歩くことは何とかできていますが、私が早歩きさえできないことや、毎日朝のリハビリが終わるまでは歩くことも難しい身体であることを息子なりに理解しているようです。見ることについてもムラはありますが、少なくとも至近距離なら息子の姿を確認できています。

 

指の感覚があまりない割にはマウスやキーボードもそれなりに扱っています。

 

ですから、健康な人が見ても何てことない添付の写真を眺めるだけでも「寝たきりだったはずの自分が座っている」「見えなかったはずがPCモニターを見ている」「全く感覚のなかったはずの手でPCを扱っている」「同じく寝たきりだった赤子が隣で画面を覗き込んで指差して何か言っている」等々のあまりの変化ぶりから言葉にならない感慨に耽ってしまうのです。

 

私は何も特別なことをした自覚はありません。ただ「決めて、その実践を続けている」それだけです。

 

よろしければ、何らかの参考にしてください。