お知らせ

2018年07月05日

本性を隠す生き方

人は皆、ほぼ誰でも隠し事をしているものです。それがばれたら大変な犯罪行為なのでしたら納得ですが、知られたところで別にどうこう問題にされることもないであろう趣味嗜好を、多くの人が隠し持っていたりするのです。私自身も若い頃には特にその傾向がありました。

 

取り柄の趣味や好きな事何かを活かして収入源を作りたいのであれば、「失敗を恐れるな」「恥をたくさんかけ」「嫌われることを避けようとするな」等々のよくある助言が多く当てはまります。しかし生計を既に他の何かで立てているとなると途端に皆さんあまり認知されたがらない場合が多いようです。

 

これらについて、少し一緒に考えてみましょう。

 

私は十代初期でイジメを受けた頃から40歳頃まで、ずっと自殺を検討していました。それは特定の誰かではない人間という生物全般の愚かさや醜さをしみじみと感じてしまい、自分もその人間でいること自体がつくづく嫌だったからです。

しかしどう考えても自分だけが死んだところで、特定人物へのイヤガラセにはなったとしても、それで人類全体が賢く美しくなるわけではありません(笑)。

 

十代の初期から「人間の生死」みたいなものを探究してきた結果、私は心待ちにしていた肉体死に価値を見出せなくなりました。人の本質が非物質存在だということが解ってくると、物質肉体での生死が些細なことに思えてくるからです。つまり非物質的には「死」というものがなく、人間が肉体死を迎えたところで何も解決はしないということです。

 

だから肉体死を無闇に怖れたりすることと同じように、肉体死を特別な楽しみにしていること自体もナンセンスだと感じるようになってしまいました。

 

どんなに死を怖れていても死期は遅れないし、どんなに楽しみにしていても死期が早まることはなく、死んで当然の状態にまで陥っても死なせてもらえない私のような人がいたりするのです(笑)…それらを寿命と呼ぶのでしょう。

 

何故こんな話になってくるのでしょう。それは、現代の日本社会ではごく少数の「スピリットを肉体で生きる人」と、大勢の「できるだけ物質の獣に近く、もしくはマシンとして生きる人」で成り立っているという前提で私は人間社会を捉えているからです。

 

前者は日本を出て生き生きと暮らしているか、日本で長年苦しみ抜くか、だいたいどちらかのケースが多いようでして、何の業界にしても自分の特性を自然に活かして収入を得て、生き生きと暮らしている人ともなると本当に希少かと思われます。

 

私がイジメに遭った理由でもありましたが、組織に属している場合、専門職でない限り「特に何もできない・特に何をしたいでもない」という無個性無能力をアピールすることが重要な時代が長かったのです。そうしておけば、好かれることはあっても嫌われなくて済むのです。どうしてそんな不思議な法則があるのでしょう?

 

悲しい話ですが、今時の人は皆が相対的な比較のなかで一喜一憂して生きています。一般的に子供時代は自分の可能性を信じて何かに打ち込んだりもしますが、思春期頃にもなってくると「現実問題、自分には無理だ」と思うことが増えてくるのです。

 

そこでまだまだ伸びそうな何かを見出していたら、特殊な業界での活躍や個性的な生き方ともなってくるのでしょう。しかし概ね何も思いつかない人が組織に属して生きて行くことを決めるのです。

 

つまりは大きな組織に属して働いている人は、原則自分がそれをやりたくてやっているわけではありません。ただ今ぐらいの暮らしが維持できれば良いと考えていたり、お金がもらえる他の何かが特に思いつかないだけです。組織は大よそ減点制です。変わったことをして目立ってしまっては出世が遠ざかってしまいます。

 

ここで重要な話に入ります。大抵の人は向上心を失ってからでも小さな世界に閉じこもって相対的な比較で生きています。そして寂しいことですが、自分が向上しなくても相対的に優位に立つためには「周りを貶める・利用する」しかなくなってしまうのです。そうでなければ常に自分をヨイショしてくれる人のお世話になるとか…(笑)

 

何歳になっても、向上心がある人は起業したり結婚離婚を繰り返したりで忙しくしていることが多いです。同じ組織に何十年も属していれば、イジメ先を探すのに忙しい人が大勢います。有能な脱落者を増やして何もできない人ばかりで周りを固めることがマジメな生き残り戦術なのです。組織下にいる誰にとっても自分より有能な部下とは扱いにくいものですし、有能な上司も苦手でしょう。

 

「思わぬ特技があった」とか「高尚な趣味を持っていた」とかは、元々が有名人でもなければ誰かの餌食になりやすいだけの話です。「黙っていた方が得をする」それがまさか小中学校の社会にも存在していたとは思いつきもしなかったほど、私は素直で正直で社会性の低いバカな子供でした。

そのままではどうせ社会に出てからでもイジメられていたことでしょうから、イジメに遭ったのはなるべくしてなったことです。

 

大きな組織に属していなくても、自分以外の誰かを悪く言っていたところで何も変わりません。「それが今の人間の主な性質だ」というだけのことです。起業しようが、放浪の旅に出ようが、組織でがむしゃらに働こうが、幸い今の日本国では自由に選べます。

一見は嬉しくない現象として、学生でもないのに働きもしない人の存在も広く認知されています。女性なら「家事手伝い」という言葉が昔からありましたが、男性も… 良くも悪くも凄い社会変化です。

 

正直、平然とした顔をしている大人でも困惑している人が実に多い時代です。新たな展開は誰に依存していても叶いません。

 

すべては自分がどれだけ意識変革できるのかにかかっているのです。私はその意識変革のきっかけづくりや変革サポートを、これからも精力的に進めて参ります。