お知らせ

2018年10月11日

別世界の認識

私は異次元世界での人間の活動の様子をビジョンで見ることがよくありましたが、何故かその世界ではどこにも小さな子供が存在していたことがありません。

 

私は子供の頃に記憶力が強かった故、塾に通ってもいないのに気付いたら高校は進学校に在籍していて(そんな意志はなかったという意味です)前途多難な十代後半を迎えてしまいました。大学には進学したくないし、かといって就きたい職業もなかったからです。

 

そんな調子で「気付いたら大学生になっていた」「気付いたらここの社員になっていた」というような人生を極度に怖れていたというのもあります。

 

しかし記憶力が強いはずの自分に1~2歳頃の記憶が全くないことを不思議に思っていました。若い頃の私は、その事を「乳幼児の存在とは、大人には存在しているように感じられるだけで、大人と同じ世界には存在していない」と結論付けました。脳の発達と記憶とは無関係だと私は考えているからです。

 

実際に自分にも子供ができてそこをじっくり検証できるはずだったのですが、息子の誕生日に自分が意識不明の重体となってしまい、思考や発言が人並みになっているのかが怪しい今では(笑)私なりにじっくり息子を観察してきたつもりでも、世間一般のそれとは大きく隔たりがあるでしょう。

 

だから妄想だと思われても構いませんが、やはり大人と乳幼児が認識している世界は別物であると感じます。

 

ただ子供は、本質ではありませんが、大人の認識している物質世界に物質として存在しているかのようにも見せています。その実、大人とは別の非物質世界にも存在しています。

 

ガチガチの物質世界だけを本質だと思っている大人からしたら「非物質世界」である、という意味です。

あくまでも認識して受け容れている波動世界との相対的な別世界です。ですから、非物質世界を当然の事として認識できている場合でも、相対的な別世界は多層的にずっと存在します。

 

つまり、多層だけど多重でもあるのです。現代の先進国に住む人々には、それぞれの世界に意識をフォーカスする訓練が欠落しているのです。

 

それにしても、自分が認識できなければ「ない」としてしまうのは、あまりにも傲慢で稚拙な態度ですよね!笑

 

体験して認識しましょう。