お知らせ

2019年03月20日

この世とあの世

今日は少し真面目に「この世」と「あの世」の話をします。

 

生身の身体で生活している人は「自分は常にこの世にいる」と自覚して定義しているケースが多いでしょう。なぜなら常に物質の肉体を通して痛いとか痒いとか快適とか不快とか気持ち良いとか感じているからです。では、睡眠に毎日確保して過ごしている時間をどう説明するでしょう。暑くて寒くて痛くて苦しくて起きてしまうことだってありますから、「やはり睡眠時間だって肉体という物質としてこの世に存在している」と考えている人が多いわけです。でも果たしてそうでしょうか?

 

私は脳幹出血で植物状態を経験しましたが、ベットで横たわっている期間は凄く多忙でした。この世ではほぼ横になっているだけの死に損ないですが、大脳は損傷してないので、いろんな時代にいろんな場所でいろんな経験をしてきて記憶にも残っています。ただ、どのヴァージョンの自分もこの世の肉体と同じく身体が動かないので、介護役が常に同行していて自分も半分マシンのような肉体でした。

この肉体に看護師が近付く度(かと思われますが)この世の人間らしい存在が感覚のない私の身体に触れて何かをします。その時だけこの世に意識が少し戻るのです。そしてすぐに元の時代や場所の自分に帰るのです。

 

意識が戻ったという扱いを受けた頃には肉体が少し動いていたようで、勝手に点滴の針を外したりして医師を困らせていたようです。その事を記憶していませんが私は相変わらず夢の中で忙しくしていました(つまり肉体に意識が戻っていなかった)。後日入院することとなった際に別のフロアや通路を覚醒状態で通りましたが、どこも幽体離脱状態で見た認識通りの構造をしていました。

 

植物状態に限らず、ほとんどを寝て過ごしている人は実在するわけですが、自分の経験からもその人たちは「この世には生きていない」というのが私の結論です。元気に働けていても意識状態がシフトする人も実在します。あからさまだと精神病院行きとなってしまう場合も多いですが、うまく調整できている人の場合、学校や会社に普通に通っていながら異なる世界を堪能している人は結構たくさんいると私は踏んでいます。

 

詰まるところは「精神異常」とか「社会適合性」とかのテーマになるかとは思いますが、いずれにしても「人間とは何たるか」が誰もわかっていないということが大問題だと私は捉えています。

 

だから肉体生死を含めた「人間を知る」ということが最重要だと私は考えているのです。