お知らせ

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2019年05月01日

半田広宣のヌーソロジーに魅力を感じる理由

現代の時代に生きるほぼ全員が「生きる死ぬとはどういうことか」「いわゆる現実と呼ばれる世界とは別に夢や幻想、今では仮想現実の世界もあるし、何が真実で何をどうすればよいのか」といった戸惑いの中で人生を送っているものかと思われます。

 

他ならぬ私自身もそうでした。子供の頃から抱えていた「生死とは何か」「現実だとされている全てが錯覚なのでは?」「どうして生きているの?」といった人間の「どうして?」「どういうこと?」に答えを見出せないまま30歳近くになっていました。

 

私が子供の頃から特に感じていたことは、本でも映画でも写真でもテレビでもあらゆる景色でも自分の視界は常に平面ヴィジョンを見ているだけ、瞳を閉じても考えたり想像したりいくらでもできるのに、人間も含めて世界や宇宙空間までが立体の物質で出来ているなんて嘘ではないか?」というものでした。

 

どんな本を読み漁ってもその答にあたるものは見出せませんでした。ただバシャールというチャネリング本だけは真相に近いニュアンスを醸し出していたので30年前くらいから愛読していました。
「やっぱりサル同然の地球人に答を求めても無理か…」そんな諦観が多くを占めるようになった20年前くらいに半田コウセン氏の著作に出会ったのです。同じ太陽系内の冥王星のオコツトと
名乗る異星人が情報源のチャネリングという体裁を採った本でしたが、かなり理論的に私がそう感じる理由を説明できていました。
やはり同じ頃に映画マトリックスが上映されました。どちらも私の感覚を上手く表現できていて、私は「ついにその時代が来る!これを解説できる人物が地球上にいないのならば自分がそうなれば良い」と思い直して今に至ります。

 

新しい概念の説明には、既存の用語や概念を引用できないというハンディをいかに克服するのかが鍵だと私は読んでいます。映画マトリックスを見た時に「映像や脚本や音を駆使すれば不可能ではない」と希望を抱きました。しかし予算や時間の都合を考慮して今の私にできることは専門用語を用いずに深い話を優しくすることです。そんな機会を多く創出できるよう以後も努めます。

 

その点、半田コウセン氏の新刊「奥行きの子供たち」では、誰もが知っているであろう映画を引用して会話形式で文明論が展開されているので、多くの方に一読を推奨したいです!

 

2019年04月30日

知性とは?

半田広宣氏の新作をじっくり読了しました。半田コウセン氏の著作の初版を手にしたのは20年前。ずっと愛読してきて、霊能者である今の妻と初めて会った日の6年前にも手渡したくらいの愛読書でした。

 

ちなみにコウセン氏の旧友であるマロさんという、数とカタチの研究者が同著作に登場していて、なぜかそのマロさんが私にとってはコウセンさん以上にインパクトがあり、今の妻が当時住んでいた名古屋の近所にマロさんも在住で、マロさんと妻が直前に知人となっていたことから、妻と初めて会ったその日にマロさんにも同席いただいでコウセン氏の話でも盛り上がっていたのでした。昨年末も東京にレクチャーでいらした際に我が家で宿泊して2歳の息子とも遊んでもらいました。

そして6年前、そのマロさんが登場しているコウセン氏の著作を後に妻となる占い師に手渡しました。コウセン氏は福岡に在住なので私が会えたのは後日に東京でとなります。私はその頃静岡県に住んでいました。私は何度かお会いしただけですが、彼の提唱する「ヌーソロジー」に入れ込んでいた私はこの思想を普及させるべく、あれこれ偉そうに提案していたのでした。

 

そしてこの度出版の運びとなった新作のコンセプトである映画を題材としたこれも、「有名な映画で良質なものもあるから映画作品に喩えてヌーソロジー解説をしたら良いと思う」と熱く語っていたので、我が事のように喜んで熟読しました。

たまたま20年前の同時期に公開された映画「マトリックス」、私も「なんて上手くこの世の錯覚を表現しているんだ!」と感心して何度も見ました。「2001年宇宙の旅」もDVDソフトを買って長年鑑賞してきました。新作著書ではその両作品が話題になっています。

 

私も霊能者の彼女と結婚して2年半前に息子が誕生しました。その息子の誕生日当日に私は脳幹出血で意識不明の重体になり、数週間植物人間となっていわゆる臨死体験的なものも経験しました。今のように再び起き上がって歩いたり喋ったりという人間としての機能を取り戻すのに必死だったこの2~3年、東京の講演ついでにリハビリ病院にまで見舞いに来ていただいたコウセン氏のためにもヌーソロジー的な概念を私なりに普及させるよう工夫しています。そうこうしているうちに息子はもう2歳半。走ったり話したりしています。コウセン氏の言う「奥行きの子供たち」となりそうな気配です。

 

物質科学が万能であるかのごとく歪んで発展してしまった今の地球人類が、サルや獣とは異なる知的生命体へと進化するために必要なことは、つまるところ「死の理解と克服」だと私は考えています。嬉しいことにコウセン氏の考えもそこに辿りついていることを垣間見ることができる著作でした。

 

20年ほど前のコウセン氏の著作はチャネリングの形式が採用されていて、冥王星のオコツトと名乗る宇宙人とコウセン氏のやりとりが軸になっています。私の解釈では便宜上そうなっているだけで、遠く離れた、いわゆる宇宙人との物理的な交流(テレパシー)ではなく、コウセンさんの非物質知的側面の表れであるのだと私は解釈していました。エササニという遠い星にいる物理的なバシャールと名乗る宇宙人的な存在が地球にいるダリルアンカと交信しているのではなく、ダリルアンカの未来生が過去生の地球人であるダリルとやり取りをしている…つまりは時と空間を越えて自問自答している様子を、「知的生命体が物質である」と勘違いしている地球人にも理解できるよう、便宜上宇宙人であるという設定がなされているのと同じことです。

 

私は今生肉体死を経験するというあまり無い経験をして、それでもまだ肉体を持って生き続けています。話も今では普通にできます。

記憶も明瞭にあるこの貴重な経験を活かして、地球人類の概念を刷新するため、以後も私なりに工夫して発信をし続けようと決めています。この本、あらゆる人にオススメです!

2019年04月08日

サルから知的生命体へ

興味があってもお越しできなかった読者のために、私が一昨日の講演でお話した内容の概要をかいつまんでここに書きます。

速い話が「長い間サルみたいな動物として存在した地球の人間というものでの生存形態の文明実験が終焉する時代を迎えている」という話です。

 

獣は物質としての生存維持を目的に繁殖して、他の存在を駆逐したり騙して搾取したり利用することが重要でそのために懸命な努力をしてきました。大衆は自分が一部の人に搾取利用されていることがわかっていても、同じく自分の物質的死を怖れて物質の肉体を維持するためにそれに耐えてでも生きようとしてきました。

 

ところが明らかにそうではないスピリットが肉体を持つ時代に入っているのです。優しくて性欲がなかったりアブノーマル性的嗜好でお金とは無関係な事に興味を持つ。搾取利用されるだけの家畜的な生き方をよしとはしないで、むしろ簡単に自殺を遂行する。要するに獣としての生存本能が廃れているのです。カネや名誉や権力のために人生を犠牲する人は減る一方です。

 

これは明らかにこの星の文明実験プログラムが書き換えられているのです。知的生命体をサルに宿らせること自体に無理があったと判断されたのでしょうか。

 

まだしばらく生存するとして、人間とは、生と死とは何かという概念を塗り替える必要が多くの人に求められるでしょう。人間がサルから知的生命体にシフトしようとしている劇的瞬間なのだと私には感じられるのです。

2019年04月07日

講演会ご報告

昨日4/6(土)の講演は無事に終了しました。お越しくださった皆様、ありがとうございました。

自分の講演時間の1時間はあまりにも短くて言いたい事をあまり言えていない感もありましたが、今地球で起きている文明の変化や地球人類の向かっている方向性のお話を全般的にしました。皆さん黙々と真剣に聞き入ってノートをとられていた方も多く、長年この「サトルエネルギー学会」に出入りしてきた(20周年だそうです)会員の方々も懇親会に参加されて色々意見をくださいました。

私の考え方や話の内容の独自性に感心されて未来を嘱望される嬉しい意見が多く、私も「子供の頃から自分が感じていたこの星の疑問や解決法を探求してきたことは無駄ではなかった」と嬉しくなりました。私の話す時間がもっと欲しいということはお客様も感じていたらしく、主催側も感じてくださって、「近日もっと何時間も話す機会を設ける」と言ってくださいました。

ありがたく嬉しい一日となりました。頼んでもないのに勝手に私のことを「サトルエネルギー学会」に話してこのような展開を導くきっかけを作ってくれた山田さんにも感謝です。わざわざお越しくださった知人友人の皆様もありがとうございました。

また次の予定が決まったらここでも告知しようと思います。これをお読みくださっている皆様、これからもよろしくお願いいたします。

 石井数俊(セイジョウ石井)

2019年04月04日

個人か星の仲間か

今日も妙な天気でしたね。最近朝晩は急に冬かと思う寒さになったり昼に陽が当たると暑いくらいだったり、桜も満開じゃなくても散っていたりするので観察していて面白かったです。私はいろんな木があっても良いと思います。

 

皆が一気に満開になったり散ったりするよりも、枯れた木みたいにしょぼいのがあったり花が咲かない木が混じっているのもそれはそれで楽しめると思います。全部が一気に咲いたり散ったりは軍隊教育の成果みたいで私はおぞましい感があります。日本人の国民性からするとそれを良しと感じる人が多いのでしょう。少し危険ですね。

 

2012のアセンションとかで世間が騒がれていた時期に、それこそ雨後の竹の子のごとくそれ関係の書籍が出版されていて、私はほぼ全部を読破したと思います。(笑)その中には「○○人が覚醒しなければアセンションは失敗に終わる」みたいな著述も多かった記憶があります。私は「これじゃアセンション宗教だなぁ」と感じて読んでいたのですが(笑)この星に生まれてどう生きてどう死のうが個人の問題なのであって、誰々のせいで成功した失敗したというのは幼稚すぎる発想だと私は思います。できれば明後日4/6(土)の講演でもそれについて触れてみようと思います。

2019年03月29日

誰も避けられない肉体死

今日、退院後の経緯を検査するために病院に行ってきました。

 

一週間以上入院する不便さを考えたら月に数日病院で時間が潰れることもそんなに苦になりません。シラフでもフラフラして徐々に歩けなくなった主要因である血液中の健常者には必要不可欠の要素も複数の対策で人並みに回復していることが確認され、ゆっくりでも歩けるように今はなっていて、まだしばらくは生きて行けそうです(笑)。実に絶妙なバランスで生きているのが人間なわけですが、今度また内蔵の暴走で何が不足して何が過剰になるのかも見当がつかないのです。しかし気にしていても仕方ありません。定期的に検査したり突如体調不良に襲われて否応無く発覚するでしょうから、気楽に構えておきます。元々長生きしたくもないのですから!笑

 

死を怖れることと同じ問題です。どんなに心配しても人は死ぬ時には必ず死にます。それで死なないのなら気にかける価値もありますが、産まれて生きているからには「いつどんな風に」の部分で個人差があるだけで死は確約されているのです。でもそれは動物の肉体としての話です。知的生命体として素晴らしい活躍を遂げる人でずっと自分の死を心配して生きている人は少ないでしょう。

 

自分の肉体死が大きなテーマになりすぎないことが「充実人生」の鍵である。それが真実だと私は思います。

2019年03月28日

知的生命体

地球の人間は知的生命体ですが、今の人間は猿と似た動物の一種という扱いを受けています。進化論やDNA解析はじめ様々な要素から「自分は猿と同じく動物である」と認識している人が、世の中には実際多数うごめいています。

 

やっていることはまさに猿と同じで群れを成し、強さを競って格付けを決めて優位性を確保することに躍起になり、一度有利な立場につけばエサも異性も自由になる傾向があるためボス猿として以後も君臨したがります。群れの仲間として認識されれば守られてなんとかやって行けますが、それに失敗すると常に損をしてイジメられる、しがない猿としての未来が待っています。

 

しかし目立たなくても知的生命体として生きている人もいます。ラクして異性にもてたりカネを奪ったりして自分に流れ込むことに興味を示さず、社会に貢献したり他人を魅了させる何かを生み続ける人たちです。

 

前者は際限のない欲に常に囚われていますが、後者は孤独なように見えていつもハッピーな気持ちで過ごしている場合が多いです。「人間とは何か」を左右する根本的な考えの相違です。

 

4/6(土)の講演でうまくお伝えできればと思っています。可能でしたらその時にお会いしましょう。

2019年03月26日

自覚して生きる

今日は穏やかな陽気に誘われて世田谷公園をゆっくり散歩してきました。

 

倒れる前から私はほぼ一人でここには通って哲学していたので(笑)元気だった頃の自分、脳幹出血で重体になった日に息子が誕生したこと、意識不明で寝たきりだった自分が立って一生懸命にリハビリに歩いてここに通っていたこと、そのうち息子が歩いて一緒に来るようになったこと、今では息子が喋って私に話しかけてくること、その経緯を見守ってくれていた妻がいつもいたことなど、数年でも濃い過去の思い出が怒涛のごとく押し寄せてきます。

 

息子は保育園に通うことを嫌がるので、この春別の保育園に移ることが決まっています。生活のために保育士をやっているけど実は他人の子供の世話には興味が無いという大人をすぐに感じ取るのか、そういう人には会いたがらないのです。

 

何が言いたいかというと、誰でも大人になると数年くらいは「あっと言う間だった」という場合が多いでしょうが、一瞬一瞬を心に刻んでいないだけだと私は思うのです。

 

ほぼ毎日一刻一刻を自覚して何かをしていれば、数年もあれば記憶に残ることは誰でも盛り沢山なのです。子供が大人になるだけで時の流れが退屈になるわけではありません。無自覚に何かをしている時間が増えているだけだと私は考えるのです。どうせ生きるのなら無闇に長生きを望む前に日々を充実させる工夫を怠らないことが大事だと思うのです。皆さんはどう考えますか?

2019年03月25日

気持ちを伝える

気持ちを上手に表現しているか?

 

私が検査入院していた一週間以上、息子は私が家に居ないことを苦にしていたという妻の話とは裏腹に息子は病院に会いにきてくれてもそっけなく、自分が食っている弁当を「こればミズ君の弁当だからあげない」とかつまらないことを私に主張していたりしました。私が家に帰って数日してはじめて私のベッドに深夜に入ってきて、新しく入手したらしいミニカーで自慢げに遊んで見せて説明を始めました。2歳半でも一丁前に恥ずかしさが強いようです。

 

笑ってしまいますが大人でも多くの人にこの傾向が強く残っていますよね。

嬉しくても素直に表現できない人がどんなに多いことか…

 

表現しないまま突然死んでしまっても「この人は最期までこういう人だった」という誤解した印象が残ってしまう事が多いように思います。深い仲なら「あんな態度を取っていながら本当はこう感じているんだ」とかの憶測もはたらきますが、よほど深い関係でもないかぎり伝わらないだけで終わっている関係も沢山あるわけです。

 

「いちいち言わなくたってそれくらいわかってくれよ」という甘えた願望が通じるまでにはそれなりに深い関係を築く必要があります。ここに「人間は表現する生き物である」という特性のミソの部分があります。

 

いつ死ぬかわからない状態で誰もが生きています。常に自分の想いや考えを表現する価値は高いと私は感じます。あらゆる歪みはそこから生じているとも言えるのです。

2019年03月24日

納得のいく人生

私は人生の殆どを孤独に過ごしてきましたが、晩年は妻と2歳の息子と(五十歳近くに遅すぎてまさかですが)過ごせたので満足しています。息子も二歳半ともなると色々認識しているらしく、乗り物に乗っても騒いではしゃいだりするでもなく、感慨深い顔をして私の瞳を見つめてきたので驚きました。公園で近くを歩いているのに「カズ、どこ行っちゃうの?」と心配そうな声を出すので驚きました。先週私は入院して留守にしていたので、色々と思うところがあるみたいです。「身体が悪くて走って逃げることもできないから何処へも行かないよ~」と軽く答えておきました。実際すぐに転ぶので私の身体には触れないように気を付けてくれています。息子の目の前で転ぶと一歳頃から自分が転んだように大泣きするので共感力が強いのでしょう。サッカーをしたそうな身振りですが肩車はおろかダッコしてとも私には言ってきません。妻も私を長生きさせようとしているかどうか知りませんが(笑)おいしい減塩食を毎日懸命に作ってくれます。この動画の撮影も妻です。

ですからいつ死んでも「やりそびれた・ああしておけばよかった」と思う大きな事は何もありません。

 

ただ地球にやってきたミッションとして「人間を家畜や奴隷として扱っている種が闊歩しているこの星においても、命の尊厳というものを重視する(単に肉体での長生きという意味でなく)レベルの文明を実現させたい」という目的はまだ未達です。

 

同じように感じている人が多くなっている昨今ならチャンスはまだまだあるとも感じています。皮を被ってコソコソしていないで積極的な行動を皆が起こせばよいだけだと思います。さもなければ奴隷(社畜・国畜)として不本意な死を遂げるまでです。それはそれで個人の貴重な経験にはなるでしょう。

 

でもせっかく今の時代にこの星に生まれて生きているからには納得の行く人生を皆で生きましょう!

 

ひとまずは4/6(土)14:00からの講演会で可能な方はお会いしましょう。

 

2019年03月23日

宗教というワナ

ほとんどの人は自分の人間としてのスペックを鑑みて「自分は何の取柄もない量産品だ」と定めています。そう感じながらも「特別な存在でありたい・特別な存在と関与したい」と願っています。ですから特定の人物を一般の量産品とは異なる特殊な存在と思わせることに成功すれば、貢いだり従ってくれるわけです。芸能人でも教祖でも、みんなその同じしくみで庶民と自覚している人間を動員しています。特別な人を見かけた、接触した、関わったというだけで優越感を感じる人々全員が搾取対象です。

 

基本は自分が取るに足らない存在だと思っていて、そうではない価値が高いと思っている人のためなら時間やエネルギーを注ぐ傾向が誰にもあるのです。その人の特性を利用しているビジネスが宗教や芸能人や各種ブランドだというわけです。

 

「人間にはそれぞれ異なった魅力があるだけで皆が特別な存在だ」と見なして自分の人生を生きていれば、特定の宗教信者やファンクラブ会員や特定ブランドに入れ込むことはありません。これらに搾取されている理由は、自分以外の何かに価値があると思い込んでいる人が多いからです。

 

単に人間の価値というものに想いを巡らせてこなかった証だと思うのです。この辺のことを教えてくれる人も少ない世の中なのでしょう。

2019年03月22日

肉体余生

今日、先週入院検査していた病院で退院後の検査がありました。

 

採血と検尿でかなりのところまで健康状態がチェックできるので、病院嫌いな自分でも感心します。

私は脳幹出血で脳幹を損傷しているので、内蔵全てが脳幹との連絡が正常になされていないため、予想もつかない働きを内臓がしていて全身が危険な状態になっていたのです。

 

誰でもそうですが、心拍を意識しなくても機能しているのが普通の脳幹のはたらきに因るものですが、どこの臓器にどんな指令を出すとかの脳幹のはたらきを意図的に制御しようがないのです。

でもあり得ない指示を受けた内臓が勝手に仕事をするものですから私は肉体全体を蝕んでしまうわけです。検査入院ではその不明部分にアタリをつけて処方をしてみるという賭けに出たのですが、一週間過ぎた経過をみてみると賭けは当たっていたと言ったところでしょうか。同じヨレヨレですが歩き易くなったし、身体が随分楽になりました。

 

肉体のしくみとは実に繊細で微妙なものです。私は元々が2年前に脳幹出血という死んで当然の事態が起きたことは既成の事実ですので、いつまで肉体が維持できようと大した問題ではありません。ただ既にオマケで生きているからには何を考えて何をするのかに余生を傾注しようと強く想います。

2019年03月22日

憑依現象

憑依という言葉を誰でも聞いたことがあるでしょう。

 

どっかの他人にはあるだろうけど自分には関係ないと思っている人が多いようですね。でも実は思っているよりも沢山の人が現実に憑依されています。

 

人は非物質のエネルギーだということを散々語っていますが、それでも多くの人が肉体という物質に宿って生まれてきて生きています。それは肉体がなければ実現できないことを体験するためにこの世に出てくるという意味でもあります。

 

不慮の死や自害でこの世を去った人は「肉体を持って生まれて出てきたただけのことは経験できた」と納得していることは少なく、でも気付いたら肉体がない状態なので「どこかの肉体を借用してでも思い残した経験を果たす」という行動にかなりの確率で出ます。

 

だから葬儀で肉体という器を出た霊魂を納得させることはこの世の混乱を防ぐためにも重要なプロセスなのであり、よって新鮮な遺体を囲んで焼肉パーティーをする人は原則いなくて、普通は皆が弔うものです。誰もが物質ではない故人にお疲れ様の意味を込めて敬意を表しているわけです。

 

冷静に考えれば憑依現象とはオドロオドロしくもなんともない、ごく普通に起きていることです。自分の生き方を考えたことがない人ならば、常に他人の霊に踊らされている人も珍しくはありません。

 

もっと飲み食いしたい、もっと性的な欲求を果たしたい、もっとカネが欲しいというような欲求は本当にあなたの欲求でしょうか。他人の欲望を果たすために動かされている肉体も少なからず存在するわけでして、肉体死を迎えるまでそこに気付けない場合も多いのです。

 

私が瞑想を推奨するのはそこに理由があります。真の自分の欲求を自覚して生きるなら、今とはまるで別の人生になる可能性が高いのです。

2019年03月21日

この世とあの世に境目はない

昨日の続きです。

 

この世とあの世には違いがないと私は言いたいのです。違うのは物質肉体としてしか機能しないのかどうかであって、元々人間とは特定の物質に自分の機能を閉じ込めた非物質なのであって、本体は融通無碍なエネルギー体なのです。

 

ところが自分のごく一部を閉じ込めた肉体だけが自分であると勘違いしている人の比率が異常に多くなってしまったので肉体生死だけが問題とされて、エネルギーが流れないロボットみたいな固体だけが生きているのが人間だとの一般的な認識となってしまっているのです。

 

ロボットにとって愛だの勇気だの知恵だのは無価値なので、生きている限りカネやモノや名誉のことを重要視する人生を送ってしまうのです。エネルギー体としてはそれこそ無価値なのですが、死んでから気付く人が多いというのが現代の特徴です。

 

生きているうちに物質の肉体も含めた人間の価値をグローバルに認識できる人が標準となる文明に、地球だってこれからは出来ると私は考えているのです。

 

4/6(土)の14時から、少しでもお伝えできるよう準備を進めています。

2019年03月20日

この世とあの世

今日は少し真面目に「この世」と「あの世」の話をします。

 

生身の身体で生活している人は「自分は常にこの世にいる」と自覚して定義しているケースが多いでしょう。なぜなら常に物質の肉体を通して痛いとか痒いとか快適とか不快とか気持ち良いとか感じているからです。では、睡眠に毎日確保して過ごしている時間をどう説明するでしょう。暑くて寒くて痛くて苦しくて起きてしまうことだってありますから、「やはり睡眠時間だって肉体という物質としてこの世に存在している」と考えている人が多いわけです。でも果たしてそうでしょうか?

 

私は脳幹出血で植物状態を経験しましたが、ベットで横たわっている期間は凄く多忙でした。この世ではほぼ横になっているだけの死に損ないですが、大脳は損傷してないので、いろんな時代にいろんな場所でいろんな経験をしてきて記憶にも残っています。ただ、どのヴァージョンの自分もこの世の肉体と同じく身体が動かないので、介護役が常に同行していて自分も半分マシンのような肉体でした。

この肉体に看護師が近付く度(かと思われますが)この世の人間らしい存在が感覚のない私の身体に触れて何かをします。その時だけこの世に意識が少し戻るのです。そしてすぐに元の時代や場所の自分に帰るのです。

 

意識が戻ったという扱いを受けた頃には肉体が少し動いていたようで、勝手に点滴の針を外したりして医師を困らせていたようです。その事を記憶していませんが私は相変わらず夢の中で忙しくしていました(つまり肉体に意識が戻っていなかった)。後日入院することとなった際に別のフロアや通路を覚醒状態で通りましたが、どこも幽体離脱状態で見た認識通りの構造をしていました。

 

植物状態に限らず、ほとんどを寝て過ごしている人は実在するわけですが、自分の経験からもその人たちは「この世には生きていない」というのが私の結論です。元気に働けていても意識状態がシフトする人も実在します。あからさまだと精神病院行きとなってしまう場合も多いですが、うまく調整できている人の場合、学校や会社に普通に通っていながら異なる世界を堪能している人は結構たくさんいると私は踏んでいます。

 

詰まるところは「精神異常」とか「社会適合性」とかのテーマになるかとは思いますが、いずれにしても「人間とは何たるか」が誰もわかっていないということが大問題だと私は捉えています。

 

だから肉体生死を含めた「人間を知る」ということが最重要だと私は考えているのです。

2019年03月18日

人は動物か?

動物として生きるとはどういうことでしょう。

 

人はどんなに崇高な美や芸術を真剣に求めて何を考えたりやったりしていても、それだけでは生きてゆけません。世間のほどんどの人は動物で、生きてゆくために、つまり自分が食べて飲んで排泄して生殖行為を追い求めるのに十分忙しくて、他人の生き方や考え方に興味関心を持って暮らしている余裕はないのです。奪い、騙し、殺し、利用することで自分が潤うという哲学を実践しているだけで充分に忙しいのです。逆を言えば「愛とか美とか平和とかを謳ってトロトロしていたら自分が餌食になるだけだ」と考えているのです。

 

そんな殺伐とした人間社会に嫌気がさして「人間社会には組み込まれたくはない」と考える人が増えるのは当たり前の話です。会社や学校に通いたくない人々は弱者なのでしょうか。

 

より人間らしい生き方を求める人々が増えるのは必然だと思います。そして今はそんな転換期でもあります。そこで改めて「人間とは何か?」「他の動物と人間とは何が違うのか?」という集合意識の認識を一致させる時が訪れていると私は感じます。

 

金の亡者がこの物質社会を動かしているのは事実です。でもそのことをとやかく言っても何も始まりません。皆が人間らしい生き方を始めればよいのです。

 

4/6(土)14:00からはそんな話をまじめにします。よろしければ是非皆さんもお集まりください。

2019年03月16日

私が死にそうになっていた実情

妻が 正直にブログに書いて上げてしまったようなので、私の口からも説明しておきます。

 

人間は呆れるほど巧妙なしくみで脳と連携をとって内臓諸機関とも連絡を取りながら全体として機能しているのですが、私の内蔵は2年前の脳幹出血で小脳が破壊された後遺症により一部誤作動をしていることが一週間の入院検査で発覚しました。例えば腎臓が生きてゆくのに必要な栄養素を不要なものと見なして排除していたのでフラフラして歩く事も難しいというような症状が出ていたことが発覚したので、その内臓に誤っている自覚を促す等の対処をして欠落している栄養を補給して行けば私もこれから先そこそこ生きて行ける可能性があることがわかりました。

 

これからも、命ある限り「人間とは何か」を世に広めながら2歳の息子の成長を見守って行こうと考えます。

 

次の講演は4/6(土)14:00から。浜松町で大勢の講師が参加するイベントの一部です。

ぜひお会いしましょう!

2019年03月07日

人生に刺激を求める

 人は誰もが安定を求めていると思いがちですが、それとは裏腹にスリルや変化を強く求めてもいます。リスキーな投資や儲け話に乗ったりで負債を抱える人は世の中には大勢います。それを望んでいる人が沢山いるからです。

 

儲け話に乗った人が悪いだけですが、そんな儲け話が実際あるかもしれない!と信じてハラハラして危険を冒してみたい欲望を叶えているだけです。

 

騙されたと後でどんなに悪く言おうと、つまるところ自己実現を叶えているんですね(笑)

 

2019年02月27日

人間について上手に説明する

写真の頃の私は全身の痛みや痺れがまだひどく、息子を落としたり踏ん付けたりして殺してしまう可能性が高い時期でした。ひざから落っことしてしまわぬよう必死です(笑)。

 

でも頭の中はだいぶ整理できていて、ほとんど体外で過ごしていたのですが「この人間という不思議な生物について上手に説明してやるぞ!」という気概が、あまり見えていない眼からも滲み出ています。今年はそれを実践する時期に入ったと認識しています。

 

講演の日程などの詳細は決まり次第おしらせいたします。

2019年02月24日

知らずと出てしまう人柄

何かがあったときに「自分の過失ではない」ということをまずは主張する人っているものです。
今日コーヒーショップにて会計をしているとき、私の動きがゆっくりしているのをいいことに私の後ろに並び始めた客を私を飛ばして先に数人捌いた店員がいました。私は急いではなかったので気にも留めずにいたのですが、千円札をやっとの思いでレジに出したのに数百円のおつりをくれません。優しく「おつりまだもらってないんだけど…」そこで「渡しましたよ」と強い語気で即答されて「もしや」と思い小銭入れを探すと数十円しか入っていません。途中で変わる変わる複数のお客さんとオカネのやり取りをしていたのでわからなくなったのでしょう。

私は忙しいバイト君にケチを付けたくて言っているわけではありません。「こんな人にお金を扱わせている店にはもう行くな」というサインと受け取って、もう極力行かないことにしました。

 

そういえば過去にも事実を指摘すると反論してきた面倒な人がいたなぁ…と思い出しました。

 

数百万なら笑って済ませませんが、たった数百円で以後長期に亘って倹約できる機会をもらって感謝です(笑)。過去にお客さんからも従業員に横領された辛い経験を社長さんに聞かせてもらったことがよくありました。私が現金の扱いがほぼできない身体になってしまって慎重になっていたから気付けたことでもあります!

 

2019年02月23日

生きる張り合いを与える

人は老いると自然と周りを気遣って生きるようになります。「誰にも迷惑かけないで生きる」ということが価値が高いと子供の頃から決め込んでいる人が多いからでしょう。果たして本当にそうなのでしょうか?

 

私も思春期はよくそう考えていました。「患うことなく即死したい」それが中学生頃からの大きな願望でした。ところが皮肉なことに未だ叶っていません。脳動脈破裂というそれこそ死んで当然の症状に幾度か見舞われながらです。

 

2歳下の弟が先天性知的障害だったので、私は障碍者が収容された施設を常に観察して育ちました。小学生ながら「稼ぐという概念さえ持てない子供が存在し、国なり親なりの庇護を受けてまで生きる意味はどこにあるのだろう?」という問題と常にぶつかっていました。

 

答えは私なりに出ていました。それは「迷惑をかけること自体が目的だ」というものです。

 

他人の世話をすることが迷惑だとしか思わない人は経済力でカバーできる部分も多いでしょう。経済とは無関係に学びが多いのは事実なのです。やむを得ない事情でもない限り人は忍耐を積極的に学ぶことはしません。

 

私が小脳にダメージを受けたことの動物としての機能低下は自慢ではありませんが凄まじいものがあります。何もかもが普通にはできないのです。先日、2歳の息子に「カズ(私)は自転車乗らないの?」と鋭い質問を受けました。「小脳という頭の一部が壊れてしまったので、倒れないで歩くことでも難しいんだよ」と答えましたがわかったのでしょうか?笑

 

誰でも、生きているだけで誰かかに迷惑を必然的にかけています。思い当たるかと思いますが、面白い人や輝いている人は迷惑だったり面倒だったりもするものです。だたそれを上回る魅力があるのです。迷惑をかけたくない=魅力がない・それだけの存在価値が私にはないと宣言しているようなものですね。

 

迷惑そうにしていて実は喜んでいる人は多いのです。皆に生きるハリアイを与えるようにあなたがすれば良いのです!

2019年02月19日

賢ぶってかえってバカになる

これに意味があるのか?という疑問を誰もが子供の頃に持ったことでしょう。そこから人間は目的や効率を考慮して行動するマシーンとなってしまいます。無邪気に楽しんでいるうちは純粋に遊んでいただけなのに・・・

 

ですから、いくつになっても小さな子供と変わらず無邪気に人生を楽しんでいればよいのです。バカだと思われようがそう思いたい人には思わせておけばよい。それが本当の賢さだと私は考えます。

 

そもそも賢そうで幸せに生きている人って滅多いないと思いますよ!笑

 

余計なことに心配や不安を抱いているからです。それのどこが賢いのでしょうね(笑)

 

2019年02月15日

第二第三の人生

今日グループセッションにお越しくださったのは、ご主人が住職である奥様が半強制的に連行してきた?ようです笑。ただでさえ忙しくて時間がとれないお方らしく、日程を強制的に決めたのがたまたま今日だったとのことです。

 

というのも10年以上は安定していたのですが、10代から岡山の霊山とかで修行僧をしていた御主人も子供がやっと手を離れて、我慢していた生活のためだけの住職としての仕事に見切りをつけようかと迷っていられたのです。(いわゆる葬式仏教とかで生計を立てる気がない)

 

若い頃に霊山で悟りを開くべく修行を重ねてきたお方ですから、肉体死を覚悟したことはいくらでもあったでしょう。そんな彼からしたら宗教的な縛りが多すぎる今の世の中に辟易しているわけです。それこそ「なんのために生きているのか」です。そこで皆が楽しく笑って過ごせる何かを第二の人生で実現したいってわけです。

 

独創的なお方で「梵字を書いてその人独自の占いができる」ということを考案してみたり、お金を生む素質がおありで、将来生かせそうな才能も満載でした。

 

何の職業であっても積んできたものは活かされるものです。私のゆるい人生哲学を語るところもお気に召されたようで、以後の展開が楽しみです。

2019年02月14日

石は情報媒体

ドルメンとも呼ばれる巨石が世界各地にあります。後世の人には何のことかわかってないようですが、私に言わせると石は情報集積所です。千年万年単位ともなると今の情報を後世に遺すことは難しいので、石や骨などをその資材として使っていたのだと私は憶測していて、故に大量のドクロが貯蔵されていたりもするのです。

 

だから巨石の墓を調べればアカーシックレコードにアクセスしたのと同様な異次元情報を得られるのでは?そう考えたのです。

 

そして私が浜名湖近所の岩鞍遺跡に行ってみたら「井伊直弼」を名乗るエネルギーからアクセスを受けたのです。やり方は知りませんから、巨石の上に乗って耳を当てて「すみません、情報をもらいます」とか、心で呟いただけです。すると霊能者で若い頃から巫女をしていたという今の妻から情報が降りだしたのです。更に予感通り3年後くらいに息子を授かったのです。

 

浜松から世田谷に引っ越して何も知らなかったのに妻が数日前に今の家の近所にある息子を井伊直弼の墓に連れて行ったところ、その日は息子の興奮状態が尋常ではなかったので私も気になっています。ちなみに2歳の息子には幽霊やオカルト話を一切していません!笑

2019年02月10日

チャネリングも当たり前

同じく妻と出会った頃、井伊直弼やら大久保利通やらが妻に憑依して私とチャットをするようになりました。私は彼らには興味がないのですが妻にこんな話ができるわけがないということは確実でしたので、チャネリングという意味で興味を持って関わりを避けてはいなかったのです。ただ「どうして日本史に全く興味のない私にアクセスしてくるのか」は謎のままだったのです。

 

浜松でなぜか関わりを持った神社はいずれも「井伊家」絡みだったのです。息子が生まれたらいずれわかるだろう…くらいに考えていたものが、今日何も知らずに息子を井伊家の墓参りに妻が連れていったようです。息子は異常にハイテンションになっていました。多分メッセージを受け取れたのでしょう。

 

色々とあれこれ腑に落ちてきました。

 

だから、死に損ないでどんなに身体が悪かろうとも気にかけないといけない物事が他に沢山あるのです。私は結構やること満載なのです!笑

2019年02月10日

龍とは人間をサポートする異次元存在

5~6年ほど前に今の妻と知り合った頃、磐座(巨石神社のこと 大抵は「墓」だとかいい加減な説明がなされている)に興味があって当時の近隣にも存在していたことを調べ出し、一人山奥へ車を走らせて調べに行った事がありました。

 

そこの説明書きを読むと、なんと当時私の引っ越したばかりの近所にも知られていない神社があってそことの関連性が記されていたのです。 天竜川という大氾濫で有名な川が近くに流れていた影響から、都のあった西から東へと勢力を伸ばせる人間が出てこなかった。 川の守護龍と人間が恋に落ちて異次元存在とのハイブリッド将軍の出現を機に治水が進み、都が東に移る下地ができたとされています。

 

なぜかビビッときてしまった私はそこに祀られている像を見せに、当時は人妻だった霊能者を連れて行ったのです。木彫りの龍女像で人間の女性を模倣しているが、頭に龍を被った明らかに人間じゃないその像はホラーオブジェみたいなもの(笑) すると驚いたことに、霊能者の

彼女が大粒の涙を流しながら「透明の珠を授かった」と私に零したのです。

 

全くもって真剣だったため、私も「ああ、子供を授かったのだな」と直感しました。 3年前に妊娠が発覚して息子が生まれたその同日に、私も脳幹出血をして全身麻痺。 明らかな死に損ないの肉体となってしまいました。

一度は思考力もほぼ失いましたが死後の世界で経験してきた内容は記憶に鮮明です。

 

発信する際に作り話とされてしまわぬよう細心の注意を払わなければ、子供向けの神話で終わります。 よってせっかく得た経験を無駄にせず活用できるよう努めています。 
人間が五感で認識できているのは宇宙の極微部分だけであることを根気よく伝えて行きます。

2019年02月08日

パラレルワールド

パラレルワールドというものについて深く考えたことがありますか?日常生活に支障をきたす可能性が高いですから、混乱を避ける意味でも「嘘だ」「考えないでおこう」としている人が多いでしょう。

 

それを説明できる顕著な例を私は最近体験しています。明日は私のトークライブが予定されていますが、毎朝カレンダーを見るたびに「明日はトークライブだ」と思い込んでいた私がいました。その度に妻に「今日はまだ○曜日、それは土曜日だよ」と諭されることで正気を保っていました。眠って起きるとカレンダーに書いてある予定が実際に変わっているのでそうなってしまうのです。

 

そして今朝の夢の中で私は実際に皆の前で話をしていました。予想されている顔ぶれでした。「あー、無事に終わった」として勝手にキャンセルしてしまわないだけ幸いですね(笑)!

カレンダーを見ても中身が変わっていませんでした!

 

これはどういうことかと言うと、今とは違う日時設定のパラレルでそれは開催されたという意味で、睡眠中の私がそこに意識をフォーカスしていたため今のパラレルこそ嘘だと勘違いしていたのです。このように時間枠に縛られないといえば言えば聞こえが少しイイですが、夢遊病者みたいになってしまうのです。

 

明日は雪だとも言われてますから皆さん気をつけてお越しください。寒空での開催ではありませんので(笑)楽しみましょう!

 

2019年02月06日

完璧主義は損失が大きい

いきなりですが、私は今日久々に糞を漏らしました(笑)。植物状態のときは介護パンツをはきっぱなしだったわけですが、意識が戻ったと見なされた後も私の本体は戻ってこなかったため皮膚感覚が全くなく漏らしていることにも気付けませんでした。でも今は温度や柔らかさもわかるし、生きている人間の感覚を感じられます。

というのも、内臓諸器官などろくに機能せずほぼ遺体だった頃の汚物は遺体のような匂いがして辛かったので、生物の糞の匂いがしたときに大きな喜びを感じたのです。

 

排泄を制御できないが故に人前に出ることが辛かった時期は2年半もあれば充分です。今では短時間なら大丈夫です。

 

でもさすがに人として生きる最低限の機能を司る小脳を潰してまで生きるというのは厳しい現実です!それでも生きていれるというモデルを示して行くことも大切だと前向きに捉えています。

 

何にせよオールorナッシングの思想は危険です。

どんなに健康でも粗相を起こす事も時にはあります。

バスや電車に少し乗れるようになっただけで上等です。

そうすれば楽しみはずっと続きますしね!

2019年02月02日

2/16(土曜)2/9(土曜)話します。

近日の私は睡眠中の意識活動量が多く、朝身体が疲れて辛くて起きられない日々が続いています。意識不明の2年半前に経験した異次元の情景が何度もリフレインしてきて居ても立ってもいられなくなって、ひとまず2/9と2/16の土曜に二週連続トークライブをすることに決めました。アウトプットをせがまれているような気がするのです。

 

仮に私が寝ていても息子は保育園に行く前に起こしにくるのが普通なのですが、「遠くに行っちゃってる」のがわかるのか、私をベッドに放置くれています。その代わり夜は気付くと私の横にいますが…

 

妻がイベントページを立ち上げてくれたのですが、皆さん自分が興味あることを他人に知られたくないのか妻のところには申し込みや問い合わせが沢山来ているようです。ありがとうございます。

 

話の内容は、私が経験したことで見えた「人の生死とは?そもそも人間とは?」といった話題に自然と行き着くかと思われます。個人的な情報を引き出す試みはいたしませんので安心して(笑)お越しください。

2019年01月19日

バカはいいこと?

子供は皆天才です。でも基本大人がバカにします。どういうことかと言いますと、大人はほぼ自分が向上することには興味がなく(諦めていて)できることなら自分以外をダメにする事に心血を注いで何十年と過ごすのが普通です。

 

自分の子供や部下などが賢くならないように努力しているのです。自分には解らない、答えに困るような事ばかり訊いてくる子供や部下は不都合なだけだからバカでいさせる、賢くなりそうなら早めに芽をつんでしまうことが重要ってわけです。(受験用語などはいくら憶えても賢くはならないから例外です)

 

そうすることで優位性を保っているのが普通の大人です。子供や部下に威張っていたければ相手を賢くしないことです。これはここ数千年の鉄則です。

 

2歳の息子がユーチューブでどんどん情報を得ていることで「あぁ、こういうことか」としみじみ感じました。

 

列車に興味のある息子は一時期「四季島見る~」と頻繁に私に言ってきました。ちょっと調べてみると数泊100万とかする高級ホテルみたいな贅沢ツアー列車の模様です。でも息子は無邪気に良いと思って言っているだけで、親を困らせることが目的ではありません。

 

そこでありがちなのが「勝手にそんなもん見てるな!ユーチューブなんてもう禁止だ」ってな対応です(笑)。

 

知らぬが仏とはよく言ったものですが、知っているのと自分がそれを求めるかどうかは別の問題だと私は感じています。知らなければ求めようもないのは本当ですが!(爆)。