「私は宇宙人」だというあなたへ
『美しい星』。最近映画化された元となった作品のようです。映画はだいぶ脚色された娯楽ものになっているようで興味がないのですが、原作は熟読してみたい!というわけで、私のお盆期間のお楽しみでした。
まずは「今から半世紀以上前の作品なのにスゴイ!」です。今でさえ自称常識人からはコメディの扱いを受けても仕方のない内容なのに、やはり三島由紀夫はかなり先を行っていた真理探究者なのだということだけでなく、それを作品として堂々と発表していた姿勢に感服です。地球人として生まれた複数の宇宙人の苦悩や葛藤を描いた作品ですが、この一点だけで作家人生を棒に振る可能性だって十分にあったでしょうに…
学校教育のおかげで読書なんて大嫌いになっていた私でしたが、これを中学生の頃にでも読んでいたのならどれだけ地球で生きることの参考になっていたことか、と思うと悔しくもあります。まあ、情報入手を模索しながら試行錯誤して不器用に年齢を重ねてきたこと自体に人生ゲームを面白くする要素があったので、読んだのがなるべくして今になったのでしょう。
思春期に陥りやすい、私も一度は通った道「自分は地球人じゃないからこの惑星に馴染めない~」的な感情を下手に刺激するぐらいなら、はっきり言って読まない方が良いです。私がそんな考えを実際どのようにして改めたのかを書いてみます。参考になる方がいらっしゃるかもしれませんから(笑)。
私は海や湖が好きで、身体を悪くする前はよく一人で釣りに出かけていました。独り大自然と向き合っていると、思考の枷が外れてよいアイデアが湧くことが多いからです。
ある時、私に釣られた魚が「自分は普段この海域にはいないんだ。たまたま変な所に迷い込んでわけもわからず泳いでいたら、今釣られてしまった」と言い訳したような気がしました。食材確保が目的ではないのでリリースしたにしても、そんな事情は無関係。釣られたことは釣られた、というのが事実です。
それと同じで、地球人に見える容姿で人間の生活様式を取り入れて暮らしているのなら「私は宇宙人だから」みたいな言い訳をしたところで何の役にも立ちません。明らかに宇宙人であることが地球人にも判る何かを提示すれば特例が生じるのかもしれませんが、ヒラメの大群にカレイが混じっていた事実が判明したところで、それが何?ですよね(笑)。
自分の特性が周りと違うことに早目に気付けたのなら、それはチャンスです。自分にはできても周りの人にはできない何かを磨けばそれが特技や職業となって、皆にも喜ばれるわけです。
でもその反対をやってしまう場合が多いのですよね、学校教育の害です。「皆にはできる何かが自分にはできない」という部分に焦点を当ててしまうのです。そんな事があまりにも重なると「本質的に皆とは種が異なるから」という口実に持って行きたくもなるのです。
何県民でも日本人です。つまり地球人はみんな宇宙人です。何県で働くにしても「私はこことは違う○○県出身だからそれができない」などという言い訳は通じないのです。
特定宇宙人の名誉毀損とならないようにするためにも(笑)、私は「何星人か」を重要視しないように努めて地球人をやっています。