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2022年09月03日

魂の喜び

肉体の人間は、魂の欲求をすぐには実行できません。
例えば登山。
 
肉体が多少はしんどい思いをするから精神的な喜びや達成感も味わえるのです。
 
剣道でも書道でも、どんな道であろうが長期の訓練を経なければ習得できないものだからこそ精神的な達成感を味わえるのです。
 
ところが利便性を求める社会では、階段よりもエスカレーターやエレベーター、徒歩よりも乗り物を使うというような選択をしてしまうのが一般的となってしまい、達成感を味わう機会も奪われているのです。
 
自分も気付けばそうなっていました。
 
それが6年前に一度は歩くこともできない全身麻痺となったおかげで、今では横断歩道が赤になる前に渡り切るだけでも達成感を得られています(笑)
 
 
2年前は僅かな段差でも立ち止まっていたのが、今では手すりのある階段ならば多少は登れます。
 
かなり強制的ではありましたが、肉体がどんなにしんどくてもそこに喜びを見出せるようなったのです。
 
私の動画配信を視聴して、感想文をメールしてくださるありがたいお客様がいらっしゃいます。
 
労働はできない今の私の身体であっても、座って話すだけならできるからそのような活動をしているわけですが、そこに応援の言葉が添えられていると私の魂が喜んでいるのを感じます。
 
金銭報酬を得る目的で仕事をしていれば、報酬額がやりがいとなります。かつての私もそうでした。
 
 
しかし魂が喜ぶことは金銭とは無関係です。
 
肉体が健康で経済的に問題がなくても、心が病んでいれば幸せは感じられないのです。
 
私は、倒れて全身麻痺となるまではギターを弾いていました。
「とてもできない」と感じていたプレイを練習の成果として数年後にできるようになる。
 
仮に途中でギブアップをしても、再挑戦して達成できればそこには精神的な喜びがあったのです。
 
世間的な評価も実は無関係です。
 
スピリットの望みを叶えることが肉体人生です。
 
その望みは、決して誰かから与えられるものではありません。
 
どんなにお金や権力がある人でも、あなたにそれを与えることはできません。
 
だから誰かと自分を比較することは無意味なこと。
望んでいることが全員異なるのですから当然です。
 
 
何かを自分の望みだと思い込まされ、スピリットの欲求に蓋をしていたのがこれまでの人間社会でした。
 
これから個人差はあって当然、むしろよいことです。
 
皆が同じものを求める不自然さを演出するのではなく、異なる人間それぞれが組み合わされてバランスするから融合なのです。
 
政治でも宗教でも、これまでは画一的な価値観で統一させるという手法でした。融合と言うよりは統合ですね。
 
そこに属するか別のところに属するか、さもなければどこにも属さないはぐれ者となるか…
 
よって多くの人が無理をしてどこかに属していたのでしょう。
まとまっていたようで実はそうではない。だから人間社会は常に歪を抱えていたのです。
 
 
これからは皆が素直に自分の求める生き方をする時代でしょう。
 
 
そのためにまずは自分と向き合う必要があります。
 
事故や病気は、その大きなきっかけを作る異次元の自分からの働きかけ。
 
きっかけを与えられたこの世界の私も、そのきっかけを皆に与えるための活動をしています。
 
地球を変えることは、ひとりひとりの意識が変わることでしか成し得ない。
 
なぜなら、強制されても変わったフリをするだけだから(笑)
私の講演やセッションが、皆さんにとってのそんなきっかけとなることが私の魂の喜びです。
 
 
 
 
2022年09月01日

夢の本質

私の夢の中には、この世では知らない人がよく登場します。
あまりにも見慣れた感じがするからテレビや映画に出演している人かと思いきや、その人物は本当にこの世には存在していないのです。
 
それはどういうことか…
 
非物質ガイドとは、誰にしてみても自分の過去生の姿をとっている場合が多いのです。
 
かつては長年付き合った顔ですから、見慣れていて当然です(笑)
 
変性意識状態といって、左脳と右脳がつながった状態でしたら記憶しているのですが、深い眠りに入ってしまうと右脳で体験した異次元の記憶が左脳に残っていないというのが普通です。
だから眠りの浅い起き掛けの夢だけは憶えていたりするのです。
 
誰もが毎日霊体験をしているのに、その自覚がないだけなのです。
 
 
過去の自分が夢では同時に居合わせたりするように、夢では未来の自分視点でも世界を見ています。
 
ただし、パラレルワールドが無数にある上に集合意識の影響で未来は変動しますから、未来とは可能性の一部を見ているだけとなります。
 
よって未来の予言は当たらないのが宿命なのですが、敢えて集合意識に影響を与えたくて予言めいたことをしている人もいるのでしょう。
 
とにかく夢の世界は時間を超越しています。
 
夢の中では移動をしなくてもシーンが変わったりします。
移動すること自体が夢の重大要素である場合もありますが、基本的には距離も超越しています。
 
もうおわかりでしょう。
 
夢の世界とはあの世も同然なのです。
 
異世界からすぐに帰ってくるか、長年帰ってこないかの違いがあるだけです。
 
何よりも今は地球での輪廻転生のシステムも基本的に変わっているようですから、物質だけを科学としていた時代は本当にもう終わるのでしょう。
 
2022年08月30日

自分軸を取り戻す電話セッション

先日、セッション開始前に「どのようなセッションをするのですか?」との質問を受けたため、私の事前の説明不足であることを改めて自覚し、それをセッション名に反映させました。
 
 
子供が明らかに自分軸のある大人に成長した場合、とても扱いにくい人材となって社会適応力に問題が出てきます。
 
人間社会のしくみからして、他人軸に合わせられなければどこに勤務することも難しいでしょう。
 
 
仮に起業をするにしても似たところはあります。
 
裏を返せば、これまでの人間社会では他人軸で生きていれば路頭に迷わず生きてこられたのです。
 
 
マスコミとは、自分軸で生きる人が出ないように制御するためのツールでした。
 
 
マスコミ報道を軸にしている人が、猛暑でもマスクをして現代版ホロコーストであるお注射大会にも参画し続けています。
 
しかし、さすがにそこに気付く人が増えてきているため、他人軸で生きることに疑問を呈しているのでしょう。
 
 
他人軸で生きることで路頭に迷う…
もしかして既にそんな時代へ突入したのかもしれません。
 
他人軸で生きるもその人の自由ですが、自分軸で生きたい人をサポートする自由もあると思うのです。
 
 
わかりやすいよう、それをセッション名にしました。
 
セッション日時は、お客様のご要望に沿えられるよう調整に努めます。
 
 
不特定多数の方を対象にお話をするよりも、一対一ですからより濃い対話ができることは当然のことです。
 
「自分軸で生きる」とか言われても、その自分軸がすぐに解らないのが普通です。
 
 
多くの皆がそのように洗脳されてきたのですから!
 
その自分軸を探る鍵を受け取る。
 
私とのセッションが、そんな位置付けになれるよう願っています。
 
 
詳細はこちら
 
2022年08月30日

今朝の夢

自分は、今回以前に日本に生まれたことがないとずっと感じていました。
なぜならば、日本という国を認識できる記憶が今回の人生以前には何もなかったからです。
 
海外の映像を見て懐かしく感じることはよくあるため、その思いは年を重ねるごとに強くなりました。
 
ところが、今朝の夢は日本の言語に関する遠い記憶でした。
 
自分が日本に関係していなかったならばあり得ない内容です。
「こんな事ってあるの?」という内容だったのですが、起床してからネット検索したらそれは実在していたのです。
 
今の日本は欧米からの影響を強く受けた文化となっていますが、元来はレムリア文明から受け継いだ大自然と見事に融合した独自の文化でした。
 
まだ日本国家がなかったような時代に自分が関わっていたとしても、今の日本国イメージはまるで浮かばなくて当然なのです。
 
私が言いたいことは「夢を見る能力」とは一種の霊能力でもあるし、しかも皆に授けられている能力であるということです。
 
だから「たかが夢の話」で片付けしまうのではなく、その夢が意味するところを深く探求すれば人生が面白くなりますよ~ということをお伝えしたいのです。
 
霊能力や超能力と呼ばれている能力は特殊能力ではなく、本来の人間の能力であったことを私は皆さんに思い出してほしいだけなのです。
 
 
 
 
 
2022年08月24日

龍や蛇とは

子供の頃から、この世の生き物の中でも蛇やライギョなど長くてクネクネする生き物に私はなぜか魅力を感じました。
 
後年に龍魚(アロワナ)という魚を知ってからというもの、その輝きと美しさに魅了され続けました。
 
しかし一度は全身麻痺となり、大きな水槽なんて扱えなくなったのですから仕方ありません(笑)
 
真面目な話、高次元エネルギーが可視化されると三次元の人間には龍や蛇や光に視えるようです。
 
今思えば、自分も求めて身近に置いておきたかった要素はそこだったのです。
 
神社には龍や蛇の絵や造形物がありますし、蛇や龍にまつわる話が昔からこんなに沢山あるのは昔は高次元存在を認識できる人間が多かったのでしょう。
 
それは非物質の宇宙人の場合もあります。
 
生物が三次元形態を採っているとは限らないし、むしろ宇宙では今の地球人には視えない生物がほとんどでしょう。
 
だから私は常々敢えて「非物質」という言葉を使っているのです。
 
 
 
2022年08月22日

両極を共に味わう

ここ数日は日付が変わる頃に異常な眠気に襲われ、連日膨大な量の夢を見ています。
 
今のこの世は恣意的な情報で溢れている社会ですから、異次元からの情報源に頼るしかないと自分が感じている結果起きている現象かと思われます。
 
それら夢の内容の言語化が難しいのは、エゴの無い夢が多いからです。
 
自分が何かを見ている、何かをしている、何かを感じているのならば表現のしようはあります。
 
でもそこに自分がないとすると「全てはただ起こっているだけ」で、自分がどうしようとも思わないのですから言葉にならなくなるのです。
 
おそらく生まれたての子供は誰もがそうだったのだと思うのですが、時の経過で自我が芽生えることで「ああしてほしい」「こうしたい」といった欲求も生じるようになるのです。
 
この世での欲求とは健全なことで、平和で愛に溢れる社会を実現したいことだって欲求なのですから、エゴがなければ何も起きない。
 
三次元とはエゴによる欲求実現のゲーム会場なのです。
 
ワンネスに近付けば、人間ではなくなって三次元ゲームの参加資格も喪失してしまいます。
 
他から搾取してでも自分が優位に立ちたがる人がいるからこそ、この世ゲームは醜くも面白くもなっているのです。
 
「神はなぜこの世を作ったのか」の答えがここにあります。
 
ワンネス状態では、辛さがない代わりに面白さもないのです。
 
そこで、わざわざ皆さんの一部分を地球三次元ゲームに参加させているのです。
 
ところがエゴ(自我)とは無関係に感じられるのが「美しさ」です。
 
例えば、大自然や音楽や言葉や人の生き様に感動するのに、自分の経済状況や肉体健康状態はあまり関係ありません。
 
地球のアセンションとは、人間も他の地球存在と同様にエゴの少ない美しい存在形態に変わること。
 
 
よって、軍も警察も金融も医療も自然と不要になってきます。
エゴを継続したい方は別のゲーム会場に移ることとなるでしょう。
 
それも選択の自由です。
 
宇宙に善悪は無く、全てはそれを経験することに意味があるのです。
 
「生きている意味がない」と感じる経験にすら価値があるのです。
 
今回の人生ではよくそう感じてきた私だから、今でこそ言えることです(笑)
 
楽しい人生を送るように心がけるのは、過去生も含めて楽しくない経験をしたからこそ。
 
その両極の体験が共に人生の意義なのです。
 
2022年08月21日

誤解が普通

何事についても、深く理解するなんてことはかなりの年月を経なければあり得ないことです。
 
特に人間は、すべてを曝け出して生きている人なんて原則いません。
 
 
よって長年に亘って関わらなければ互いの人間性をよく理解できていないのが普通です。
 
もしも自分が誤解されることに敏感ならば、そんな自分も常に誰かを誤解していることや、誤解されるような事を自分が言ったりやったりもしてしまっているという自覚がなければいけないと思うのです。
 
 
これを言ってしまうのも酷ですが、当面は好きも嫌いも誤解で成り立っているのですから…
 
「こんな人であってほしい」と願っていたがそうではなかった場合や「こんな組織だろう」とのつもりで所属したら実態は異なっていた場合、元々そのような理想を投影していたのは自分だったことを人は忘れがちなのです。
 
 
 
相手の人や組織がどうこうではなく、自分がそのように思い込んでいたのというのが大部分なのです。
 
 
かといって「誰に対してもどこにも対しても期待はしない」というような態度となってしまうと、今度は冷たい人だとの印象を与えてしまって支障が出てきます。
 
 
自分を好人物に演出する必要も今の私には全くないのですが、そこのバランスを取ることが難しくて長年行ったり来たりしていました。
 
 
でも今の心境は、不器用でも堂々と正直に生きよう!という気持ちです。
 
初めに好人物と誤解されて後から反発を買うよりも、「最初は変な人かと思ったけどそうでもなかった」となれば上等ですから(笑)
 
 
 
 
 
 
2022年08月20日

辛い時こそ

6年前に脳幹出血で全身麻痺となった際、私は視力までを失いました。
 
手足をまるで使えない身体になってまでも肉体死を迎えられなかったのですから、意識が戻った当初はどんなに前向きに考えようとしても痛みと痺れと痙攣を全身から感じるだけ。
 
 
「それでもこれからこの世で生きるとするならば何をどうすれば…」となってしまう上、意識がまだ半分あの世にあって朦朧としていたことも手伝ってこの世の何にも焦点を合わせられなかったのです。
 
それが「真っ暗闇ではなくても視界が乱雑で何も視えない」という症状となったのです。
 
昨日は精神的ショックを受けることがあり、今朝は再び文字が読めなくなっていたのでこのことに言及しているのです。
 
頭では気分を切り替えようとしても、肉体の機能はごまかせないのです。
 
倒れてからは胃腸や腎臓をはじめ内臓も慢性の機能不全に陥ったのは、肉体で生きようとする意志の欠如でした。
 
まさに病は気から。
 
だからこその【病気】なのです。
 
「文字や言葉で人を鼓舞するような生き方をしよう」と決心してから、一時は横になって呻いていただけの私が今では歩いたり話したりもできるようになっているのです。
 
以後もまだまだ肉体機能を取り戻せるかと思いますが、今世紀になってからの私は病気とはいかに精神的な要因によって導き出されているのかを実体験し、治癒も非物質的に進めています。
 
私はスピリットの話だけではなく、非物質の体が肉体とどのように関連しているのかを自分で実験しているのです。
 
真のホリスティック医療を普及させたい気持ちが私には強いのですが、それは同時に肉体医療業界繁栄の妨害ともなってしまうため簡単ではないのです。
 
最近「医療の闇について石井さんにもっと語ってほしい」とのリクエストがありました。
 
確かに私は多くを敵に回す覚悟ができています。
 
それ以上に喜ぶ人を増やせばよいのですから(笑)
 
不安や心配が病気を誘発します。
 
とにかく自分が明るく楽しくしていなければ、誰を喜ばすこともできません。
 
どんなに辛くて悲しいことがあろうとも、だからこそ更に楽しく過ごすようにすれば肉体不具合も治まるのです。
 
楽しむことがまるで悪い事にように刷り込まれている現代社会ですから、病気を商材にしていれば商売繁盛は固い世の中。
 
皆が楽しく生きて病気知らずの社会… それらを阻止している存在を無視すれば、実は簡単に実現するのです。
 
闘ってはいけません。相手にエネルギーを注ぐことになってしまいますから。
 
 
 
2022年08月18日

偶然はない

キーパーソンとの出逢いは、今回の肉体人生での偶然ではありません。

男女の出逢いの話とも限りません。

今回は仮に男女の出逢いであったとしても、無数の人生の中でその相手とは家族であったり仕事仲間であったり師弟関係だったり…

 

仮に地球では初めての関係発生だったとしても、他の星で関わっていたからこそ地球でも関わることになっているのです。

 

スピリットとは、精子と卵子の確率論的な結合結果ではありません。

肉体だけなら確率論。

他の生き物ならそれだけかもしれませんが、人間の場合は胎児である時期のどこかで肉体にスピリットが宿ります。

クローン技術にはそこの視点が欠落しているため、テクノロジーでの人間増殖には大きな問題が伴うのです。

 

初めて会ったはずなのに親しみを感じる人、それほど関わってはいないのに嫌悪を感じる人などが存在するのは、時空を超えた特定の関係性をスピリットが感じているからです。

 

これくらいは宗教でもなく、もう科学的な話とする時期に地球も入っています。

非物質の科学、それも初級です(笑)

 

 

2022年08月16日

お盆のお話会ご報告

昨晩は私にとって初の試みでした。
 
それはオンラインでのお話会開催です。
 
私が脳幹出血の後遺症でほぼ全身麻痺で指も使えず眼も視えない中を必死で歩く訓練をしていた期間、急に一般社会へと普及したオンライン会議というしくみです。
 
ズームセッションのホスト役を引き受けてくれる方が出てきてくれたおかげで私にも実現したことです。
 
自分にはできないことをやってもらえるありがたさに感謝です。
 
病気や事故で自分にはできない事がこうも増えると、この世で生きていること自体が感謝で溢れます。
 
裏を返せば、自分がまだ生きてしまっている情けなさで圧し潰されないためには、自分にしかできない他の事を皆に与える人生とする他はありません。
 
今の私にできるそれが、人や宇宙ののしくみを語ることです。
最後に皆さんからの質問や意見をうかがったところ、「石井さんはまだまだ遠慮がちに話しているから、もっと踏み込んだ内容で切り込んでも需要があると思う」等の意見を頂いて勇気付けられました。
 
 
よく考えてみれば「変な人だ」と思われないように努力して生きていたのは、自分が普通にも生きることができた時代のこと。
 
学生アルバイトと同じこともできない身体能力である今の自分となっては、思いっきり変な人だと思われても構わないのです(笑)
 
 
だからこれからは、一般常識人からは「変な人だ」と思われることでも、敢えて躊躇しないで語ります。
 
ここ地球においても、宇宙の常識を自分の常識とすることを更に突き進め、地球の常識をひっくり返す覚悟がまだ足りなかったことを自覚しました。
 
この世とあの世を繋げるお話会にご参加くださって貴重なアドバイスまでくださったみなさん、本当にありがとうございました。
 
 
2022年08月14日

変な人

私は会社勤めをした後に自分で起業をしたわけですが、その最大の理由は「変な人」と思われても大丈夫にしたかったからです。
 
 
従業員である間は「変な人」と思われることを慎まなければなりません。
 
 
仮に解雇されなくても、在籍を続けることが困難になってしまうからです。
 
 
肉体死や霊魂や異星人に興味があるわけですから、私には選択肢が他になかったというだけのことです。
 
 
起業してからも金銭獲得に集中できたのは数年だけ。
 
非物質世界について語っていれば、この世の人は見事なまでに離れて行きます。
 
それで躊躇する思いはどうしても断ち切れませんでした。
 
そこで私はクモ膜下出血、その数年後には脳幹出血を起こしてあの世を本格的に体験し、自分がどう思われるかなんて本当に気にしていられなくなったのです。
 
 
変な人だと思われたくなければ、霊魂や異星人について語れるわけがありません。
 
両親とも無事に他界したタイミングで自分のプログラムが発動したということでしょう。
 
親不孝息子にもなり切れなかったのです(笑)
 
そこで明晩は、初めてのリモートお盆お話会を開催します。
肉体死をタブー視していては、アセンションとは無縁となります。
 
肉体は今ならクローンだって作れますが、スピリットとは人間が創ることも消滅させることもできないのです。
 
私はそんな価値観を皆さんと共有したいのです。
 
 
2022年08月13日

肉体死は機種変更

身体がうまく機能している健康な人間の状態は、常に膨大な量の信号が脳を通じて全身をかけめぐっています。
 
それで視覚・聴覚・触覚等の情報を肉体の行動へと反映するのです。
 
 
私は脳幹出血によって一度は全身の情報伝達が滞りました。
 
視界もなくなり排泄は駄々洩れ、手足の感覚が麻痺して熱いか冷たいかも判らず、触覚もないから仮に指が取れても気付かなかったでしょう。
 
私はその経験から「肉体は単なる器である」と断言できるのです。
 
なぜなら、そんな状況下でも非物質の私は視界明瞭で移動もできていたし、それらの経験が今でも記憶されているからです。
 
6年前のその体験によってわかったことが、仮に肉体が機能しなくなっても人の本体は無傷で健全だということです。
 
 
それが、まるで機械が故障をしたみたいに肉体の修理を繰り返すという現代医療の傾向に私は一石を投じたいのです。
 
 
肉体死とは、言うならば料理の器を変えるようなもの。
 
器が異なるだけでその料理はなくならないのです。
 
器を失ってしまった霊魂をもてなすのが「お盆」なのです。
 
15日の20:00~はそんなお話会です。
 
楽しい会にしたいですので、参加者からの面白い質問なども歓迎です。
お待ちしていま~す!
2022年08月13日

そこに触れないのはなぜ?

私は金属とは合わない体質。
アクセサリーや腕時計を原則しないのはもちろんのこと、車のドアノブではいつも静電気ショックを覚悟していました。
 
缶ドリンクも開栓してすぐにグラスに注がないと金属ドリンクに感じますし、スプーンやフォークなんて口に入れるのですから…どんな料理も私には金属の味になってしまうのが嫌で箸が使えるお店以外には行ったことがありませんでした。
 
 
ところが抹茶とフレンチを提供しているという斬新なコンセプトのお店を発見しました。
 
 
フレンチとはいえ箸置がついたお盆の上に料理を出すため、フォークとナイフも出ないのです。
 
 
昔から冗談で「箸で食えるフレンチがあれば行くよ」なんて話していたのですが、なんとそんなお店が実在していたのです。
全く気取ってなくて価格もファミレスくらい。
 
 
というわけで人生初のフレンチレストランに入店しました。
 
お箸で食べれば私なんかでも食材の味をちゃんと感じられる。
まさかの事を普通に起こすのがこれからの時代でしょう。
 
もう既存のルールには縛られないで、それぞれの価値観で生きる時代なのです。
 
「料理を金属で刺して口に運ぶなんておかしい!」
これまでもそう考えるのは私だけではなかったはずだが、それを言葉や態度で示すことが問題視されてきたのです。
 
 
肉体死も全く同じ問題です。
 
私が子供の頃、「死ぬってどういうこと?」と大人に訊くだけで問題発言扱いを受けることが不思議でした。
 
「答えられないことを訊ねるから怒られるのだな…」
これが私の原点です。
 
だから今の私は肉体死をタブー視しないで堂々と語っているのです。
 
 
2022年08月12日

お盆のオンラインお話会は15日の20:00から

皆さん「お盆」という言葉を普通に使っています。
 
実はこれ、多くの現代人がタブー視している“肉体死”を迎えた後の人を家に迎えたり送り返したりする行事なのです。
 
 
お話会のテーマは「肉体死後も人は存在している」という、従来から日本では普通であった感覚で怪談話ではなく普通にお話をしようと思います。
 
私は肉体死に関する講演を行っていますが、まだ各地での講演会は実現していません。
 
場所を問わないオンラインでのこの機会にぜひともご参加ください。
 
オンラインでのお話会は初めてで、ZOOMを使っての開催となります。お気軽にご参加ください。
 
お話会の後半は質疑応答も行い、みなさんと楽しくやりたいと思います。
ご質問などあればぜひこの機会にどうぞ。
 
終了時刻は21:30頃を予定しています。
 
皆さんのご参加をお待ちしています。
2022年08月10日

つながり

最近、それとなく予期していたお客さんとの電話セッションが実現しました。
 
惑星地球にやってくるときの記憶を保持していて、夢でも異星人との交流がある方でしたので、かなり深い魂レベルでの会話が成立したのです。
 
 
私が感じてきていたのと同じく、地球での孤立感が邪魔をして地球での人生をエンジョイし切れていない様子でしたので、私は自分にも言い聞かせるように「これからは宇宙の仲間とも一緒に地球で楽しみましょう!」とワクワクするお話ができました。
 
 
私の「スピリチュアルTV」への出演は、実際にまだ見ぬそんな宇宙仲間にエールを送るのも大きな役割のひとつです。
 
やはりご覧くださっていたようで、半年以上の出演継続でそのような人物と本当に繋がれたことがとても嬉しかったのです。
異星での記憶がなくても異星人との交流が無くてももちろん大歓迎です。
 
たまたま自分もそうだったというだけで、地球外の記憶や交流が特に偉いとか凄いとかの考えも私は有していません。
 
地球での人生について、何なりとお話しくださればきっと突破口が見つかります。
 
 
話すことで半分は解決するというのは真実です。
 
誰にとっても、話す相手がいるかどうかが鍵かと思われます。
疎外感を拭えば必ず人生は好転します。
 
そこに是非とも石井とのセッションをご活用ください。
 
2022年08月07日

あの世に関するお話

私の話を何度か聴いてくださった方から「お盆に際して“あの世”に関連する講演をしてほしい」とオファーがありました。
 
映画監督もされているそのお方が「時代のニーズはそこにある」と考えてくださっての動きのようです。
 
長年私も肉体人生と他界についての関係を模索してきましたから、「そこに関心があるのは自分だけではなかった」と判明したようでとても嬉しいです。
 
というわけでその依頼された講演会とは別に、来週末のお盆シーズン真っ只中のタイミングで“あの世”に関するお気軽なお話会をオンラインで開催します。
 
どちらも詳細が決まったら別途告知をしますが、ご意見ご要望等があれば遠慮なくコメントをください。
 
よろしくお願いします。
 
2022年08月07日

意識世界にも変化が

私は長年、睡眠中に見る夢からもヒントを得てきました。
 
数ヶ月に一度とか数年に一度、そうかと思えば連日夢の続きを見る例にも複数パターンがあり、それぞれの異世界を楽しんでいます。
 
ところがここ数日間、前例のない異世界体験が続いています。
これまでに比べてあまりにも異質、言語化して説明ができない夢の内容です(ただでさえ言語化はほぼ諦めていたのですが…笑)
 
 
ここ数年で三次元物質世界の変貌を自覚している人は多いでしょうが、意識世界(夢の世界)にも急変が訪れているようなのです。
 
アセンションとは物質三次元世界だけの変化だと捉えている人もいるのかもしれません。
 
でも人とは元々が肉体・アストラル体(霊魂)等々の多層多重次元存在ですから、アセンションによって地球人の非物質存在形態も変化を迎えているのでしょう。
 
非物質スピリットの部分は、今は同じ地球人であってもどの星のどの次元からの影響を強く受けているのかが人によって全く異なります。
 
これについては地球人お得意の優劣や順序をつけられる性質のものではないため、言及はここまでにしておきます。
 
これからは、人の波長・波動・周波数で同調したり住みわけが進んだりといったことがより明白に顕現してきます。
 
重ねて言いますが優劣の問題ではないのです。
 
無理に統合や分裂をさせる必要はなく、波長が合う合わないから自然と引き合って分散するのです。
 
「同じ三次元内でも多次元化が進む」とでも言いましょうか。
 
 
 
2022年08月04日

選択肢

事故や病気は天罰が下ったと考える人もいることでしょう。
でも実は、それが自分のプランだったりもします。
 
この世での人間はどうしても肉体の自我を優先してしまいますから、肉体を有していないガイドが敢えてハンディを与えるのです。
 
生れる前の計画(人生の青写真)と言えば肉体自我ではないことが明白になりますからそんな表現もしますが、リアルタイムで予定変更をする場合もあります。
 
器用貧乏とはよく言ったものです。
 
「これしかない」と的を絞って積み重ねれば紆余曲折の末に叶うことであっても、「ああしようか、こうしようか…」なんてぬるい境遇が続けばどれも叶わないまま年を重ねてしまいがち。
 
私は自分自身の経験を語っているだけです。
 
選択肢が多いということは、恵まれているようでいても決してそうではありません。
 
あれもそれも今は無理だが、これだけならできる!と決意して行動することが道を拓くのです。
 
すると拓けた道のその先で、かつては無理だと感じていたものも実現するのでしょう。
 
やっていない事の中から今できる事を選択する
 
シンプルなようでいて、私はこれが深い人生哲学だと感じています。
2022年08月03日

共通認識

小学校の理科の授業で宇宙空間の授業があった時期から思春期まで、私はよく星空を眺めて一定の時間を過ごしていました。
 
 
田舎では星がよく見えたから…ですが、上京してからは不審人物と疑われないようにとの配慮もあって星空観察は止めてしまいました。
 
 
実はもう一つ止めてしまった理由があります。
 
 
地球では、視覚認識できる星の位置や大きさ明るさで星座や物語等が語られるわけですが、宇宙とは物質ではないと私は確信したので波動を感じることに重きを置くようになったのです。
 
視覚認識に惑わされたくはなくなったのです。
 
 
長時間夜空を眺めていると流れ星はもちろん色んなものが見えてくるので、人によって見えているものが異なるということに薄々気付いてきたのです。
 
それを「幻影・幻覚」と見なされれば危険人物扱いをされてしまう可能性も高まります(笑)
 
つまりは誰もが主観で宇宙を見ているのであって、客観的な事実なんてどこにもないのではないかという感覚が強まったのです。
 
しかし、皆が共通して意識している何かは共通して存在している。
 
 
だから人間は誰にでも認識できるが、宇宙人や神様は認識できる人と認識できない人がいるのです。
 
人によって存在の有無が異なっているのですから「いるかいないか」という話にもなってしまうのです。
 
誰もがあると認識しているものは出現してくるという意味でもありますから、数年後には地球で認識されるものが急増するのでしょう。
 
2022年08月03日

分離はなぜ起こる

今の地球人は自分とは分離している誰かがいる、自分とは分離している何かがある、という概念を若い頃から養います。
自分以外の誰かのことも惑星地球のことも全部自分の問題だとして捉えていたら、今の地球は毎日が辛くて悲しいことで溢れてしまい生きて行けなくなりますから、自己防衛のためでもありますね。

決定的なのは、肉体は繋がっていないから別物として扱ってしまうのです。
ところが意識体は非物質ですから実はすべてが自分です。
集合意識とは、肉体は個別のようでも実は誰もが繋がっているという意味です。
地球の悲鳴を感じ取っている人は実際にいるのです。
物にも愛着が湧くのは、物の意識と共鳴しているからです。

とにかく、すべてが非物質の意識であり繋がっているということを皆が認識すれば、人に対しても自然に対しても物に対しても、一切の害する行為は自然と消滅するのです。

だから私は、「宇宙も人も非物質である」と重ね重ね説いているのです。
そして、その繋がっている感覚を「愛」とも呼ぶのです。 

2022年08月02日

この世もすでに四次元

本日のスピリチュアルTVはこんなタイトルで話してみました。
 
時間と空間の制約でがんじがらめにされていたのがこれまでの三次元でしたが、気付けばこの世でも大移動をすることができるようになったし時を越えて視聴体験できるものにも溢れるようになっています。
 
 
本来ならば肉体を離れて自由に活動できるスピリットの状態でしか叶わなかったことが、三次元にいながらも実現し始めているということです。
 
これはこの世とあの世が隣接している証拠でもあるので、改めてこれを話題にしてみました。
 
あの世と聞くと不吉な印象を持つ人がいるかもしれませんが、この世があの世に近付いていることは真実です。
 
次回の生放送は8/16(火)の10:00を予定しています。
 
これを視聴して「肉体死を迎えることは怖れることではない」と感じていただければ私は幸いです。
 

2022年08月01日

都市部からの脱出

都市部への一極集中に無理が生じて分散する傾向というのは、どの星のどの文明でも一度は辿る道程のようです。
 
テレパシーが使えない今の地球三次元では、テクノロジーがそれをサポートしています。
 
長年きまって殺戮・破壊兵器を中心にビジネスのためだけに利用されてきた地球のテクノロジーが、ガイアとのバランスを取り戻す方向で使用され始めているのですから、これは地球文明にとって画期的な転換期となっているのでしょう。
 
これまでは効率的な搾取を実現するために民を一極集中させてきていたものが、今度は民自身が喜びや幸せを求めて分散を始めているのですから意味合いも全く逆なのです。
 
民を利用してきた側が次々と失墜を始めてきたから自然と加速している現象とも言えます。
 
小規模で人を集めて何かをしようと企てても、今すでに「リモートはないのですか?」訊かれるくらいですから、人間社会の在り方の変化を肌で感じざるを得ません。
 
コロナ騒動がきっかけともなり、数年後の地球はかなり異なる文明形態となっているのでしょうね。
 
2022年08月01日

人間社会の不思議

私は小学生まで、誤魔化したり嘘をついたり全くできない不器用な子供でした。

それで当然のことながら中学ではイジメに遭いました。

 

家庭環境による影響も多いでしょう。

10歳頃までには多くの子供が、相手への発言を控えたり自分には興味がなくても相手に同調したりするいわゆる協調性が養われるのですが、それは一朝一夕で身に付くことではありません。

 

よって中高生時の自分は人間嫌いのほぼ自閉症で、音楽に逃避するようになりました。

それだけでは賃金を得ることができない、かといって就職をすれば苦手な人間関係に疲弊して心が病んでしまい、若いうちは何をやっても長くは続けられませんでした。

 

世の中にはこのような人が必ず一定数はいるはずです。

誰もが小さな嘘さえつかなくても皆が楽しく暮らせる人間社会の実現を夢見たわけですが、それにはスピリチュアルな価値観が不可欠です。

人には本当にそれぞれの個性があります。

それなのに近年は画一的な基準で人を評価する社会のしくみだったから、今の地球は無理な生き方を強いられている人々で溢れかえっているのです。

 

皆がもっと自由に幸せや喜びを感じる社会。

他の星ではもちろん、実はかつての地球でもそうだったのだという確信が私にはあります。

 

肉体での生存だけに執着しないことが重要です。

怖れとは人間を制御するためだけに植え付けられている感情なのであって、そもそも人とは非物質のスピリットなのですから。

2022年07月30日

何が流行りか

私はこれまで何年もfacebookに投稿をしてきましたが、若い世代からは「私はfacebookをやりません」と実際に言われたりもしました。

そこで投稿記事の一部をホームページのブログに移してみたところ、本当に「いつもブログを楽しみに読んでいます」との声をいただくようになりました。

自分が高校生頃、ベータかVHSかの二択の時代があったことを思い出しました。

時代と共に流行は変わるのですから、自分のスタイルもそれに適宜順応させないといけないのは何歳になっても同じことですね。

 

飲食店とかでも私はタブレットでオーダーすることには違和感があるのですが、便利さと効率ばかりを重視していたのでは人間味がなくて殺伐とした社会が広がって行く怖さのようなものを感じてしまうからでしょうか。

私もネット番組に出演してはいますが、こんな風潮だからこそ殺伐とした社会に潤いを与えられるようなトークを展開するよう心がけます。

「スピリチュアルTV」をご覧くださっている皆さん、いつもありがとうございます。

次回の生放送は8/2(火)の10:00です。

後からユーチューブで検索して観ていただくことも大歓迎です。

 

 

2022年07月15日

物事は中立

『どこに意識をフォーカスするのか』

 

全てに特徴があります。

どの部分に意識をフォーカスするのかによって、その特徴は長所にも欠点にもなります。

 

自分が誰かに指摘された特徴を、それが欠点だとみなしてコンプレックスとなっている場合があります。

誰かに褒められた特徴を、それが長所であるとみなして伸ばす人もいます。

自分の同じ特徴であっても、それが長所であると捉える誰かと欠点だと捉える誰かがいます。

誰かの自分に対する指摘を重要視するも軽視するも、その相手やその時々で異なるでしょう。

 

物事の価値は常に中立です。

そこにどんな意味付けをするのかも自分次第です。

 

幸せも不幸も、豊かさも乏しさも、楽しみも悲しみも、定義しているのはいつでも自分自身です。

自分に価値があるかないかも、自分が決めています。

人生とは、誰にとってもそこに気付くゲームなのです。

 

 

2022年07月13日

人は肉体ではない

何百回でも何千回でも言います。

人は肉体ではありません。
スピリットの一部が肉体に宿っている存在形態を日本では「人間」と呼んでいます。
残りのスピリットは肉体からすれば「ハイアーセルフ」「非物質ガイド(守護霊)」「過去生」等々呼称は色々とありますが、具体的な細かい呼称がなければこれまで総じて「神」としていた傾向があったのです。
自分以外の存在を信じ込まされて、それを「神」と呼んでいるのが宗教です。
自分以外の非物質存在もいますが、それは「指導霊」「グループソウル」「菩薩」等になりますでしょうか。
宇宙人は自分の場合も自分以外の場合もあります。
学校では決して教えてくれないし、宗教や神秘学の古典などを漁ればそのエッセンスが散りばめられてはいますが、どれにもそれぞれのフィルターがかかっているため私も整理するまでに20年はかかりました。
近年は地球に囚われていない情報源からもそれらが入手できるようになったので、理解が格段と容易になってきています。
私の講演会には個別のタイトルがあっても、基本的にはこれらの考え方を普及させたくて開催しているものです。
一度そこに気付かれたお客様は、異なるタイトルを次々と購入してくださっています。
誠にありがとうございます!
 
 

 

2022年07月11日

シンプルライフ

「パワレルワールド・夢の世界」とは、自分がたまに認識しているくらいなら「この世界」との区別がつけられます。

 

ところが、近頃の夢での私は親しい仲間と何かと充実しています。

夢から覚めてみると、その仲間はこの世界に存在していなかったことに気付かされます。

すると、この世界こそが不自由さを体験する貴重な夢の中の一つだという感覚が自然と芽生えてきます。

誰もが自分の軸をどこに置くかによって夢か現実かを定義しているのですが、選択する世界の数は常に呆れるほどあるのです。

 

夢見る人であり続けるのか、夢のような現実を実際に生きる人となるのか、夢すら見ない人になるのか…

 

とにかく、それは自分の発する波動で決まってくるのです。

実は自分以外の誰にも決められないのですが、誰かが決めてくれると考えている人がこの世ゲームを複雑にしているだけ。

宇宙のしくみはいたってシンプルなのですが、思考がそれを複雑にする…

特定の人物や組織が大衆を操作するため、そのように洗脳するのがマスコミの役割だったのです。

 

自ら情報を取捨選択し、テレビ新聞や大勢から影響されない若い世代がこの調子で増え続ければ、地球人の暮らしぶりも周りの星と同じく愛に溢れたシンプルなものとなるでしょう。

2022年07月09日

もう陰謀ではない

大衆によいことをしているフリをして大衆を騙して搾取してきた人々。
 
その目論見を暴くような何かを総じて「陰謀論」としていたのでしょう。
 
しかし近年では、その目論見を見抜く人も増えてきました。
よってもう陰謀ではない。
 
「また騙して操ろうとしている誰かがいる」とバレているのですからね(笑)
 
「今度はどんな演出をしているのか?」なんて楽しんでいるのが一番です。
 
自分が感情的になってしまうのは向こうの術中にはまっている証拠です。
 
そんなことよりも、新しい地球文明をどのようにするのかに意識を向けましょう!
 
2022年07月08日

光と闇

これまでの惑星地球での闇の暗躍ぶりは、知る人ぞ知る事実。
 
それに反する光の活躍を待望しながらも、肩透かしをくらった経験が重なってしまい「またか~」とガッカリした気持ちになっている人も多いことでしょう。
 
でも地球の闇の存在は本当に追いやられています。
 
闇の影響を受けてきた残党が近年もまだ細々と暗躍してきましたが、ここ数日は一般大衆にも認識できる形で世界中一挙に変化が出はじめました。
 
闇に支配された地球とは本当にオサラバなのです!
もう報道に騙される選択をするのは止めましょう。
報道こそが闇の代表なのですから(笑)
 
2022年07月07日

身体の記憶

私は6年前の脳幹出血で全身麻痺となってからは、立ったり歩いたり話したりのリハビリを継続してきました。
 
それでも頻繁に足をつったりするため、危険と判断して水に浸かったことはありませんでした。
 
しかし昨年からは軽いラジオ体操もどきの運動もゆっくりなら転ばずにできるようになったので、昨日は倒れてから初めてプールに浸かってみました。
 
 
 
近所の中学校に室内温水プールがあり、夕方からは一般公開されていたのです。
 
 
いきなり泳ぐのではなく、まずは水の中を散歩してきました。
生まれ育った土地柄から、私は海でも川でもプールでもよく泳いで子供時代を過ごしていました。
 
 
半世紀前は管理体制に文句をつける人もいなかったせいか、今思えば皆が自己責任で自由に暮らしていたのですね。
 
 
すると、その頃の健康な自分の肉体感覚が蘇ってきました。
 
陸上では当然のことながら重力に縛られるから、歩くのはもちろん座っていても横になっても今の私には常に身体がしんどいわけです。
 
ところが水中では浮力のはたらきで重力が激減するため、3次元にいることを忘れてしまう身体の軽さを久しぶりに経験しました。
 
 
15年前頃には自分が夜にスポーツクラブでよく泳いでいた記憶もフラッシュバックされました。
 
 
健康な肉体の細胞の記憶が甦れば、一旦は損なった健康をこれから取り戻すことも容易になるでしょう。
 
 
それこそ「イメージトレーニング」ですね!
 
記憶とは脳だけの機能でありません。
 
全身の各細胞とも連動して記憶は封じ込まれているのですが、現在の医療ではそれが解明されていないだけなのです。
 
頭で考えるだけよりも行動を起こした方が早いということには、そんな理由もあるのです。
 
経験から学ぶ方が頭で覚えるよりも断然効率的。
 
だから、受験勉強ばかりしている子供よりもよく遊んでいる子供の方が人生の学びが大きいのです。
 
 
今の私は眼や手が自由に使えなくて文字を使った座学は今のところできません。
 
そのことが返ってありきたりな講座みたいになることを回避しているのですから、特徴を欠点とするも利点とするも捉え方次第だということなのですね。
 
2022年07月05日

古代の叡智 動画配信

どうして古代に叡智があるのか?とお思いの方もいらっしゃるでしょう。
 
地球の一年には四季があるように、実は地球文明の栄枯盛衰にもサイクルがあります。
 
地球文明が栄えていた時期の物質の痕跡は乏しくても、実は今でもそれらは特定の形式で語り継がれていて、地球外から情報を得ている人もいます。
 
現代では一般的に隠されている、肉体とスピリットの関係を中心にした人と宇宙の叡知を解説した講演会の動画です。
 
プライバシーを配慮して質疑応答部分をカット編集しましたが、それでも動画は100分以上で見ごたえ充分の内容ですよ!
 
詳細はこちら
 
2022年07月04日

変化を受け入れる

今朝のスピリチュアルTVは「変化を受け入れる」。
 
今の地球は猛烈な変化の時期に入っていますから、変化を悪しきものとして拒んでいる人はこれから益々窮地に追い込まれることとなるでしょう。
 
変化をよきこととして捉えられる人ならば、今の地球は最高にワクワクの時期です(笑)
 
 
変化を怖れている方の参考になるようにこんなテーマで話してみました。
 
 
 
毎月、第一第三火曜日の10:00~に生放送していますが、本日はイレギュラーで月曜の放送でした。
 
 
よって次回の放送は19日(火)の10:00です。
 
 
生放送でコメントをくれると放送中にお返事が出来る場合もありますから、そこがユーチューブ再生とは異なる要素かと思います!
 
 
 
もちろんお仕事等の都合もおありでしょうから、ユーチューブであっても楽しんでご覧ください。
 
 

2022年07月03日

講演会【古代の叡智】は無事終了しました

昨日は、猛暑の中を新幹線移動でお越しになられた方もいらっしゃり、とても濃い内容のお話となりました。
 
三次元での肉体生活には直結しないと思われがちなタイトル【古代の叡智】ですが、ユーチューブで私の話を何種類も聴いた上で「直接話を聴きたい!」と感じてご参加される方を確認できまして、私にとっても意義深い講演会となりました。
 
学校や職場をはじめ、人にとっての真に大切な叡智には触れないようにしている教育が蔓延る今の人間社会の中でも、古代では当たり前だった人と宇宙の叡智について語る需要があるということを改めて認識しました。
 
 
 
今後も、私は発信の形式にこだわらず叡智を拡散する活動を継続するつもりです。
 
 
 
そのことを既にご理解くださっている方々、誠にありがとうございます!
 
 
 
マチュピチュの画像のようです
 
2022年07月02日

本日15:30 講演会【古代の叡智】

今朝は曇っていたせいか、久々に暑さが少し緩んでいて嬉しかったですね。
 
 
ここ連日の猛暑ですから外出の予定は控えている方が多いでしょうし、健康上それが実際に賢明かとも思われます。
 
 
会場はもちろんエアコン完備でお待ちしています。
 
 
外出を躊躇されていた方でも「参加してよかった~」と思えるお話をする準備はできています。
 
 
 
本日15:30~ 皆さまのお越しをお待ちしています。
 
 
講演会の詳細はこちら
 
 
2022年07月01日

文明のサイクル

精神衛生を保つのも難しい猛暑が続いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
 
より大きなテーマに向かっていれば、今問題視している事柄は相対的に小さな問題となるでしょう。
 
 
朝が来れば夜も来ます。そして必ずまた朝がきます。
夏が来れば冬も来ます。そして再び春になって夏になります。
 
 
その変化を認識できるから、昼夜や四季があることを皆が知っています。
 
 
実は文明の盛衰にも地球の法則があります。
 
 
それは約13,000年周期なので(その半分の約6,500年と倍の約26,000年も節目となりますが…)原則として数十年しか生きない肉体人間にはなかなか認識できません。
 
 
でもスピリットは生き通しですから、自分が本来は異次元の非物質生命であることを認識できれば千年万年単位の変化も理解できるようになります。
 
 
明日の講演会【古代の叡智】は、ぜひとも皆さんにその感覚を養ってもらいたく開催します。
 
 
参加には何も特別な準備はいりません。
 
皆さまのお越しをお待ちしています。
 
 
 
講演会の詳細はこちら
2022年06月30日

変容

私のここ数年間はリハビリを継続することで歩くことが出来ています。
 
起床直後の私は数歩進むことも難しいのですが、重力に身体を慣らす訓練を日々継続することで駅や目的地までの移動を可能にしているわけです。
 
つまりは常にギリギリの体調ですから、環境の変化には否が応でも敏感。
 
ここ連日は冗談みたいな暑さですから、誰もが体調を崩さぬよう対策を打っていることでしょう。
 
私は昨日も夕方に1時間程歩いたのですが、昨日は「暑さ」以外の要因で肉体が変化を強要されたらしく、起きていられずなんと22時には横になりました。
 
 
そして、自分が異文明にて生活している夢をたっぷりと見ました。
 
 
太陽光線に変化が出たのか、温度や湿度とは無関係な宇宙線や地球の波動的変化なのか…
 
とにかく前例のない何かが起こっていると私は確信します。
 
原因が何かと過去を遡って探っても徒労に終わるでしょう。
 
今の地球は前例のない変化を迎えているのですから…
 
肉体の変化はもちろんですが、皆がスピリットの変化を促されているのです。
 
古代から今の時代にかけて、肉体とスピリットの関係が変遷してきたということです。
 
そして再び変容を迎える!
 
詳しくは明後日7/2(土)の講演会【古代の叡智】にて解説いたします。
 
ピンときた方のご参加をお待ちしています。
 
講演会の詳細はこちら
 
2022年06月28日

周波数の異なる世界

別次元でもパラレルワールドでも別時代でも別宇宙でも、全ては周波数が異なっているだけです。
 
これは音楽に喩えると解り易いです。
 
クラッシック・ジャズ・レゲエ・ラップ・ロック…
音楽という括りは同じでも、ここまで異なるともう別世界ですよね。
 
同じ曲でも転調というものがあります。
 
曲の途中から転調すればムードも変わります。
 
オリジナルと異なるキーで歌う… 皆さんカラオケでもお馴染みでしょう。
 
慣れてしまえば、それほど気になりませんよね。
 
同じ楽曲でアレンジが異なる場合もあります。
 
ドラムセットやギターパートをキーボードに変えるくらいなら気付かない人もいるでしょうが、ヴォーカルが鍵盤になれば違和感も出てくるでしょう。
 
パラレルワールドとは、そんな違いだと思ってください。
 
極小部分が異なる世界もあるし、大胆に異なるパラレル人生も無限にあります。
 
何か外的な要因でパラレルワールドを乗り替えるのではなく、自分が周波数を変えることで選択する世界が変わるのです。
 
例えば自分が作・編曲なりバンド活動をするとします。
どんな音楽をどんな楽器編成でやるのかは自分が決めるのです。
 
仮に「このようにしてください」と言われても、そのまま従うのか別の提案をするのかは自分次第です。
 
そのことも含めて、誰もがとにかく自分の選んだ周波数を経験しているのです。
 
ちょっとした違いのパラレル世界移行も、人生の大変換も、常に自分の周波数で決まっているのです。
 
 
それに気付くまでの若いうちは「誰のせいで…何のせいで…」と考えてしまうのです。
 
要するに周りの環境を変えようとするのではなく、自分の周波数を変えれば、今とは周りの環境がまるで異なる世界に移行する!
 
それが時間と次元をも超える宇宙のルールなのでした。
地図とテキストの画像のようです
 
2022年06月27日

直線の時間はないが…

講演会では常に「高次元になるほど直線的な時間はない」と私は話しています。
 
しかし、過去から未来に向かって一方向に時間が流れていると実感している三次元で生きているのですから「そう言われても…」と感じるのが普通でしょう(笑)
 
 
そこで、アレンジをした表現をするならば「時間とは直線ではなく円環状に流れている」だったら、少しは解り易いのでは?
私は明らかに今の文明ではない世界を、定期的に夢や瞑想で体験するのですが、そこでの私は車輪も翼もない乗り物によく搭乗します。
 
 
その様子を「アトランティス時代の記憶かなぁ」と長年思っていたのですが、近頃は意識体験後に振り返って「未来を体験しているのかもしれない…」とも感じるようになったのです。
 
 
十年百年期間では時間を直線に感じられますが、千年万年期間ともなると過去も未来も繋がっている…つまりは時間の流れが円環状なのか?
 
 
「アトランティス時代の終焉に立ち合ったスピリットが、今も三次元に生きている」という話も、この捉え方によってトンデモ話ではないごく自然な話となってくるわけです。
 
 
いずれにしても、三次元ゲームを成立させているのは【時間】という要素であることに変わりはありません!
 
 
詳しくは7/2(土)の講演会でお話しします。
 
2022年06月26日

変化を楽しむ

地球とは母です。
誰もが胎児の時には母親から必要な栄養と酸素を、それも子宮の羊水の中という特別な環境を与えてもらうプロセスを経て地上に出てきます。
 
地球は水の惑星ですから、人間もまずは水中で育まれるわけです。
 
子供から身体が成長して大人になっても、母なる地球に育まれていることには変わりません。
 
海で育まれた生物を食し、陸の植物が育む果物と野菜を食し、それらを食して育まれた鳥や動物さえも人間が食しているのです。
 
しかし今の人間は、その母なる地球の海と大地を汚染し続けており、自らを育んできた地球の機能すらも損なわせてしまうような勢いです。
 
それを疑問に感じる人々が、すでに立ち上がって生き方を転換させはじめているのです。
 
自分以外の誰かが何とかしてくれるというのは幻想です。
自分から変わる人々の累積からでしか、地球の文明は変わらないのです。
 
これからは変化を怖れる人が窮地に追いやられ、変化を楽しむ人が台頭する社会となるでしょう。
 
今は地球という星ごと変化をしているのですから、その変化に順応できる人間が地球と共に変化を遂げる… これはとても自然なことなのです。
 
テキストの画像のようです
 
 
2022年06月23日

歴史は繰り返す

人類が新たに創造する何かによって自然を制御することが進化だ、そう考える人がいます。
 
その一方で、創られた存在である人類が完璧な宇宙をコントロールしようとするのではなく、宇宙の完璧さに気付いた上で地球という星との調和を取り戻すことこそが進化だと捉える人がいます。
 
同じ星の中でのこの分離は、1万数千年前にも実際に起きたことです。
 
そして、結果的にその文明は消滅してしまいました。
 
それをやり直すために、同じスピリットが今この世界に肉体で出てきています。
 
そのことを思い出す人間をもっと増やすこと。
 
私のしている講演など諸々の活動は、そんなきっかけを作りたいからです。
 
7/2(土)の講演会【古代の叡智】には、そんな背景があります。
 
何かを感じる方のご参加をお待ちしております。
 
 
 
講演会の詳細はこちら
 
アウトドアの画像のようです
2022年06月22日

問題視

人の意識とはとても力がありますから、何かを問題視すればそれが実際に問題となります。
 
量子力学においても、これは科学的なお話です。
 
心配すればするほど、その心配事は実現するというわけです。
逆に、「何を夢見てるんだ!」なんて具合で誰かからバカにされると、大抵の人は夢を見なくなります。
 
それでもめげずに忍耐強く夢を見続けられる人だけが、夢を実現するのです。
 
何を夢見て何を心配して何を実現させるのかはその人の自由ですが、何を問題視するのかは人によって傾向があります。
 
それが意味するところは…
 
問題視をした場合、それを聞き入れた人の問題創出の手助けすることにもなってしまうということです。
 
誰もが、子供時代に親や教師から否定された何かを封印して大人になっています。
 
そこを紐解くことで心が解放された実例を、私はたくさん知っています。
 
親身になって会話をするだけでも、相手がどんどん別人へと変わって行くのです。
 
 
 
 
電話での個人セッションもしております。
 
詳細はこちら
 
2022年06月22日

昨日のスピリチュアルTV

たまたま夏至とも重なる放送となりましたが『石も生きている』というお題にしてみました。
 
実質的には、小学校でも習った【アニミズム】という言葉の意味を解説するような話となりました。
 
楽しんでご視聴ください!
 

2022年06月21日

講演会【古代の叡智】ご案内

私たちは、小学生頃から現代人が進化の最先端であるかのような教育を受けます。
 
でもそれは教育ではなくて洗脳です。
 
知的生命がまるで地球だけに存在しているかのごとく教える…それも洗脳です。
 
7月2日土曜日の講演会【古代の叡智】にて、石井が宇宙と地球の本当の歴史を踏まえたお話をします。 
 
この講演を聴けば、古代叡智とはどういうことなのかの理解が進むでしょう。
 
古代人は、現代人にはない叡智を有していたのです。
現代人がなぜこうなったのかの解説もします。
 
詳細はこちら
2022年06月20日

動画配信【人間関係】

これまでの人間関係の話とは、ほとんどが三次元での肉体生活を生きやすくするためのノウハウでした。
 
しかしアセンション時代に入った今だからこそ、私は肉体の生死を越えた非物質の人(ハイアーセルフ・守護霊)をも含めた関係をテーマにして講演をしてみたのです。
 
すると、おかげさまで一月以上が
経過した今でもお申し込みがございます。
 
肉体が自分自身の一部分でしかないと自覚することは人生に豊かさや力強さを与えますから、自信を持ってみなさまへのご視聴をお薦めします!
 
 
 
詳細はこちら
2022年06月19日

慣れることの意味

比較とは、それが何であっても対象があってすることです。
ですから、慣れるということは比較対象が変わるという意味です。
 
例えばある時点で何かを不快に感じるならば、それは快適な何かと比較をしているからです。
 
更に不快な何かが常にあったとすれば、そのことは大して不快なことでもなくなるというわけ(笑)
 
私は6年前に脳幹出血で倒れて全身が麻痺をしてしまったので、それからは手や足が少しずつでも思い通りに動くだけで大きな喜びとなっています。
 
一度はまともに話せなくなったので、自分の話したい内容の大筋が聞き手に通じるだけでも「よし」とできます。
 
以前ならば自分の話の内容を相手が「誤解している」やら「意味を取り違えている」等で感じていた不満も、自然と笑って済ませるようになりました。
 
なぜこの話をするのか…
 
本日は暑かったからです。
 
元来の私は暑さに弱い体質だったので、以前ならば今日みたいな日に感じるのは「今年もイヤな季節になったな~」でした。
 
しかし、ほぼ動かないくせに全身が痛くて痺れるという凄惨な経験をここ何年間も味わったため、本日は「痛みも痺れも少なく、疲れるだけでゆっくり歩けている!」という喜びが前面に出てきて暑さはそれほど苦にならなかったのです。
 
それよりも、歩く練習をしていた時期の視界があまりにもデタラメだったことを思い出し「今では人や車の数がちゃんとカウントできる!」と感じていたくらい(笑)
 
よって、すぐに不満や愚痴が出てくる人とは日常が恵まれた環境にある証拠なのですね~
 
愚痴を聞かされたとしても、実はそれが微笑ましい状況であるとするならば?
車と道路の画像のようです
2022年06月18日

すべてが生きている

6年前に私が倒れた後にいらっしゃったとあるご夫婦が「旅行先で見かけた石仏から石井さんの波動を感じた」と話してくれたことがありました。
 
視ることも歩くことも難しかったその頃の私は「私がそれを見る日は来ないであろう…」だったのですが、5年後にそれが実現しました。
 
どんな神社にも決してない仏のフォルムと古代遺跡のような不思議な刻印。
 
1600年代の作で、なんでも芸術家の岡本太郎さんがこれを絶賛していたそうです。
 
神社仏閣には興味のない私ですが確かにこれには惹かれるものがあり、これは「石も生きている」ということを伝えるために作られた石仏であると直感しました。
 
独創的な人にはオススメのこれは「万治の石仏」というネーミングでした。
 
相手が動物や植物だけでなく、石と対話する人間も実在していますからね!
1人、立っているとアウトドアの画像のようです
2022年06月18日

生き方を選ぶ

地方で旧世紀の価値観に毒されてしまった十代の自分の感性では、緑や田畑が広がっている土地は単に「田舎」だとしか感じませんでした。
 
コンクリートに囲まれるような生活に憧れるようなセンスをいつの間にか刷り込まれていたのです。
 
自分の生れた頃には家の周りにも田畑が多く、魚や昆虫やカエルやサリガニを捕まえて遊んでいた小学生だった自分が、室内で過ごすことが文化的な生活だと思い込む高校生になっていたのです。
 
高校卒業で上京を検討するにあたって東京見学に来たのですが、「ここはとても生物が住む環境ではない!」と強く感じたことを思い出します。
 
しかし東京一極集中の時代、音楽教室や楽器販売を除いて田舎で音楽を職業にするなんてとても無理に感じられました。
 
旧世紀は東京に地方から人間が集まってきていましたが、今は東京育ちの人も含めて東京脱出欲求が加速しています。
 
政治に依存していても何も変わりませんが、一人一人が決断し行動すれば自ずと変わるのです。
 
コロナ騒ぎで人が集まることを問題視してきた近年では特に顕著です。
 
「何をして稼ぐか」よりも、「人生をどう生きるか」を重要視する風潮はもう止まらないでしょう。
山、自然、雲と草の画像のようです
2022年06月18日

当たり前に感謝する

十代の頃、私は自分の生まれ育った町に辟易していました。
その地域の文化や人間タイプに自分が馴染めなかったからです。
 
ところが、町を離れてみて初めて自分を育んでくれた自然の豊かさに気付いたのでした。
 
都会での生活者が憩いを求めてわざわざ旅行するような自然環境を、自分は当然のように享受して思春期までを過ごしていたわけです。
 
私は過去世の記憶からか湖が特に好きで、先日はそこが出身者だというお方のご厚意で長年気になっていた某所に初めて行ってきました。
 
すると、自分が子供時代からよく釣りに通っていて後年は瞑想をしに通っていた元実家近所の湖が、実は他県の有名な湖と比べても遜色ない環境であることを再認識しました。
 
自然環境が人間の性分を左右しているなんてことを十歳代にはまるで掌握できなかったため、保守的な人間の多い出身地を私は常に不満に感じていたのです。
 
動植物・昆虫・魚・野や川や海や風、母なる地球によって自分がどれだけのスピリチュアリティを育んでもらっていたのかを、十代までは当然のことのように思って感謝すら抱いていなかったのでした。
 
当たり前でなくなって初めて気付くのは健康でも同じです。
失うということは、それが何であっても「あるのが当然ではない」ということに気付けて感謝できるのですから、失うことが人生を更に豊かにするきっかけにもなるのです。
 
一度は何かを失っても、むしろそれによって得るものすらある。
 
そこに着目すると、人生が思い通りにならないこともそれが人生ステップアップの機会なのかもしれません!
湖、雲と自然の画像のようです
2022年06月14日

幸せとはこだわりを手放すこと

「こうだったら幸せなのになぁ」
「あれさえ無ければ人生楽しいのに…」
 
多くがそんな風に考えるものです。
独りだけでできることならば、年数をかければそれも叶う可能性が高まります。
 
ところが何かを進展させようとすれば、この世界では必ず人とのかかわりが発生します。
 
そこで人を操ることを望みがちなのですが、自分以外の人間にはそれぞれの意思や願望というものがあります。
 
よって「もっとああだったら」「もう少しこうだったら」との思いが益々募るわけです(笑)
 
これは他ならぬ自分の経験ですが、私は若い頃にギターの演奏が大好きでした。
 
でもバンド活動をするとなるとヴォーカルでもベースでもキーボードでも、いきなり自分の思うようなプレイヤーと組むなんてことはまずありません。
 
こだわりがあるうちは、一人で演奏しているだけで何の発展性も生まれないのです。
 
一事が万事ですから、これは何をするのでも同じこと。
 
こだわりを捨てることでしか、自分のこだわり実現に近付く方法はないのです。
 
つまりは「これがあるから幸せでない」と定義しているうちは幸せにはならない。
 
「欲を言えばあれこれあるけど気にしない」という姿勢で受け入れて進む人だけが、少しずつでも着実に幸せを手にして行くのです。
 
完璧主義が最も完璧を遠ざけ、細かい事を気にしない人が理想にどんどん近付く…
 
皮肉ですが真実です。
だから人生は面白い!
テキストの画像のようです
 
 
2022年06月13日

豊かさは本当に有限か?

学校教育では、勉強でもスポーツでも必ず順位を決めます。
私も十代前半までは、それを仕方のないこととして受け入れてきました。
しかし高校生頃からはそんな社会システムに疑問を感じるようになり、一定の基準で評価されるような人生からは自分から離れる決意を固めました。
よって私は大学には進学せず、ボーナスが出るようなまとも勤続年数もないままあらゆる職種を遍歴しました。
経済苦も伴いましたが、一度の人生で多種の価値観や人の多様性を学べたことは実に大きな財産となっています。
そして、誰もが今回はどんな価値観でどんな生き方、死に方をしようとも、それはご当人の自由だと思います。
人間にとって最も重要な価値観、それは肉体以上にスピリットを意識することです。
数百年前から地球では「人間が猿から進化した」などというデタラメを子供時代から洗脳しています。
その成果もあって、嘆かわしいことに「自分たちは動物が偶然進化しただけの存在だ」と思っている人間が実際に多くいます。
肉体は、手術で改造したり遺伝子操作すらできます。
しかしそれでも肉体死は避けられないし避ける必要もありません。
なぜならスピリット自体は人間には無くすことも創ることもできないのですから。
「スピリットは不滅である」ということを万人に思い出してもらうこと。
今これ以上に価値を感じることはないし、私のような不自由な肉体でもある程度はそれが出来るのですから、私はこれをライフスタイルとしているのです。
肉体健康状態や経済状況に恐れを感じるならば、それはスピリットに意識が向いていない証拠です。
宇宙でも地球でも、本当は無尽蔵に誰もが幸せで豊かになれるのです。
「限りあるものを奪い取っている」という概念は、これまでの地球ゲーム独特のルールに洗脳されていただけだったのです!
水域、自然と大空の画像のようです
 

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