2019年09月05日
叶わなくても良い
私は小学生の頃から「人の本質は非物質だ」とか言っていたわけではありません。(笑)
人並に車やロボットのオモチャを欲しがっていたし、楽器やスポーツ用品を親にねだったりしていた普通に物欲のある子供でした。しかし小学生では小遣いもしれているしバイトもできませんから、自然とカネを必要としない遊びに特化していったように思います。
十代後半からは、バイトをしたりどこかの従業員になったり起業や経営をしたりで、カネを稼ぐという行為に時間やエネルギーを費やしたし、色んな欲求を順次叶えてきました。子供ではどうすることもできなかった事を、大人になってから実現させたのです。
金持ちに憧れたり羨ましがったことはありません。「特別なことでもないし、時期が来たら自分も多少は稼ごう」と、子供心に思ったまでです。
カネ儲けでも恋愛や結婚でも何でも、憧れたり羨ましがったりしている時点で「自分にはその能力が無い」と定義しているようなものです。逆の言い方ですと「自分が実現させないような事に憧れたり羨ましく感じる」のですね。
芸術関連等では「自分は一定の能力にどうしても届かせることができない」という場面も多々あるでしょう。
しかし他の大凡のことならば、そんな特別な能力を要するものではありません。自分自身でハードルを上げて自己評価を低く見積もることで努力や工夫を放棄しているのです。
人の性質として「望み」は叶ってしまうとそれはどうでもよくなって別の目的や他に興味を持たざるを得なくなるものです。
ですから言いにくい事ですが、多くの人が夢や希望を持ち続けていたいが故に、何かと叶わせないように工夫している部分があるのだと私は思っています。
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