お知らせ

2017年05月05日

連休はテーマパークなどの行楽地に子連れで出かける人も多いことでしょう。そこに関連して思い出すことがあったので書いてみたくなりました。

 

私が子供の頃、家族連れで賑わう遊園地などの固定施設はもちろん、近所の子供が集まる臨時の催し物などでも「お化け屋敷」が定番でした。

 

後になって考えればまさに「子供だまし」的な設営が多かったわけですが(笑)必ず入るのを楽しみにしていました。

「恐怖」というよりも「面白さ」を感じてワクワクしていた記憶があります。

 

今思えば70年代はそんなブームだったのか、幼稚園や小学校から帰ってTVを付ければ「お化け・妖怪・人造人間・超能力・魔王・魔女・悪魔」などがキーワードとなる番組を毎日のように放送していました。

 

夢での異次元旅行が日常的だったとしても、肉体で通う学校や近所にはごく普通の人間の姿ばかり(笑)。

好奇心を満たしてくれるような何かを物質世界にも大きく期待していたのだと思います。

大人になってから冷静に考えれば、肉眼で視えないはずの何かが常に見えていたり空気が振動していなくても常に音声が聞こえたりする人は、大抵が苦しんだ挙句周りにさとられて「幻視・幻聴」という精神異常のレッテルを貼られてしまうもの。

「平凡な人間しかいなくてつまらないなぁ」なんて感じながら育ったくらいの方が、健全な少年期を送るのには適切な環境だったのです。

そんな経緯から、私は思春期には非物質世界のことを「自分で見たい・聞きたい」という積極的な欲求は皆無になりました。何も慌てて死の世界に憧れなくたって、そこへは遅くとも数十年以内には「体験し放題」となるわけですからね(笑)。

 

ところが「見せられる・聞かされる」ことを拒むことは、なかなかできません。

必ずしも皆さんがイメージする手法が採られるわけではありませんから「気のせい・記憶違い」などで片付けられてしまうケースがほとんどですが、それらは誰にでも起きている事です。典型的な私の実例をひとつ挙げてみましょう。

 

もう十年以上前のことですが、末期ガンで入院していた母はご多分に漏れず放射線を浴びまくって投薬されまくって肉体死を待つばかりでした。元々睡眠中の夢の世界が大の楽しみだった母は、健康だった60歳頃から既に「老いてまでは長生きしたくない」と常々言っていました。そこから数年後、最期は辛かったみたいでしたがある意味願いが叶ったのです。

 

その頃の私は起業でバタバタして事務所兼一人住居の状態となっていたある日、深夜3時頃に人の気配がしたので身体を起こしました。

すると私がいつも座っている事務椅子の前に母がしっかりと二本の足で立ち、心配そうに無言でこちらを覗き込んでいたのです。エントランスオートロックも部屋の鍵も何の役にも立たない(笑)!私は何度もまばたきをしたり首を振ったりしましたが、母の姿は数十秒間そのままでした。

 

物理法則の常識を超えていたとしても、それが幻ではないことを確認した私は再び横になって瞼を閉じ、その現象の意味を考えたのでした。

 

「俗に言う『枕元に立つ』ってヤツかな。だとすると?いずれにせよ明るくなってから連絡を取るしか…」そして日中病院に行くと、相変わらず寝たきりですが母は呼吸をしています。深夜に独り外出できるはずもありません。忍術用語で言ったら「分身の術」を使った(笑)。

 

もう会話も出来ない容態なのに、そうまでして長男に伝えたいメッセージがあったわけです。

 

母が気持ちよく他界することを邪魔しているであろうこの世の気がかりを解消すべく、私はそれまでの人生で最も大きな行動を起こしました。

 

そこには更に数点の大きな変化が伴いました。

 

数ヵ月後、私が実際に目にした母の死に顔はとても穏やかでした。

これが、むかしむかしの物語だとしますと、冒頭の「お化け屋敷」によく出てくるネタにもなりそうですね(笑)。

 

私がこの件で学んだこと。

 

肉体にどんなハンディがあろうと、物理的に何の障害があろうと、もっと言えば肉体があろうとなかろうと、メッセージを送る方法はいろいろあるのです。

 

どんな形であれ伝えられたら無視しないで、できる範囲で対処することが大切です。周りを説得する必要もありません。それを「非科学的」だとか「作り話」だとか「夢」だ「幻」だと、言いたい人には言わせておけばいいのです。

私が昨年、脳幹出血で重体となった後に肉体意識が戻った時点では、視る事も起き上がる事も食べる事も話す事もほとんどできなかったのです。

 

「これで死ななかったのは奇跡です」などと医師に言われても、猛烈なしびれと痛みに襲われている私には何の慰めにもなりません。

 

それでも決して絶望的にはならず、毎日欠かさず健常な肉体に戻す訓練を積んできました。

半年以上を経た今、一見身体に問題のなさそうな人にまでは戻れています。

マニュアル化できるハウツーものではないので説明するのが簡単ではないのですが、それらを可能にしている、根底となる考え方をお伝えしています。