お知らせ

2022年09月03日

魂の喜び

肉体の人間は、魂の欲求をすぐには実行できません。
例えば登山。
 
肉体が多少はしんどい思いをするから精神的な喜びや達成感も味わえるのです。
 
剣道でも書道でも、どんな道であろうが長期の訓練を経なければ習得できないものだからこそ精神的な達成感を味わえるのです。
 
ところが利便性を求める社会では、階段よりもエスカレーターやエレベーター、徒歩よりも乗り物を使うというような選択をしてしまうのが一般的となってしまい、達成感を味わう機会も奪われているのです。
 
自分も気付けばそうなっていました。
 
それが6年前に一度は歩くこともできない全身麻痺となったおかげで、今では横断歩道が赤になる前に渡り切るだけでも達成感を得られています(笑)
 
 
2年前は僅かな段差でも立ち止まっていたのが、今では手すりのある階段ならば多少は登れます。
 
かなり強制的ではありましたが、肉体がどんなにしんどくてもそこに喜びを見出せるようなったのです。
 
私の動画配信を視聴して、感想文をメールしてくださるありがたいお客様がいらっしゃいます。
 
労働はできない今の私の身体であっても、座って話すだけならできるからそのような活動をしているわけですが、そこに応援の言葉が添えられていると私の魂が喜んでいるのを感じます。
 
金銭報酬を得る目的で仕事をしていれば、報酬額がやりがいとなります。かつての私もそうでした。
 
 
しかし魂が喜ぶことは金銭とは無関係です。
 
肉体が健康で経済的に問題がなくても、心が病んでいれば幸せは感じられないのです。
 
私は、倒れて全身麻痺となるまではギターを弾いていました。
「とてもできない」と感じていたプレイを練習の成果として数年後にできるようになる。
 
仮に途中でギブアップをしても、再挑戦して達成できればそこには精神的な喜びがあったのです。
 
世間的な評価も実は無関係です。
 
スピリットの望みを叶えることが肉体人生です。
 
その望みは、決して誰かから与えられるものではありません。
 
どんなにお金や権力がある人でも、あなたにそれを与えることはできません。
 
だから誰かと自分を比較することは無意味なこと。
望んでいることが全員異なるのですから当然です。
 
 
何かを自分の望みだと思い込まされ、スピリットの欲求に蓋をしていたのがこれまでの人間社会でした。
 
これから個人差はあって当然、むしろよいことです。
 
皆が同じものを求める不自然さを演出するのではなく、異なる人間それぞれが組み合わされてバランスするから融合なのです。
 
政治でも宗教でも、これまでは画一的な価値観で統一させるという手法でした。融合と言うよりは統合ですね。
 
そこに属するか別のところに属するか、さもなければどこにも属さないはぐれ者となるか…
 
よって多くの人が無理をしてどこかに属していたのでしょう。
まとまっていたようで実はそうではない。だから人間社会は常に歪を抱えていたのです。
 
 
これからは皆が素直に自分の求める生き方をする時代でしょう。
 
 
そのためにまずは自分と向き合う必要があります。
 
事故や病気は、その大きなきっかけを作る異次元の自分からの働きかけ。
 
きっかけを与えられたこの世界の私も、そのきっかけを皆に与えるための活動をしています。
 
地球を変えることは、ひとりひとりの意識が変わることでしか成し得ない。
 
なぜなら、強制されても変わったフリをするだけだから(笑)
私の講演やセッションが、皆さんにとってのそんなきっかけとなることが私の魂の喜びです。