お知らせ

2019年11月02日

非物質として人を認識する

首里城の火災映像を観た時、私は阪神淡路大震災のニュース映像を思い出しました。自分も生まれ育った街を離れ上京して間もない頃だったので、色々な思いが巡った記憶があります。関係が薄い場所でさえもそうなのですから、自分に馴染みのある場所が焼失したらどれだけ心が影響を受けることでしょう。

 

ここからが本題です。繰り返し書いている通り、人とは本質が非物質の知的生命体です。物質の動物でしたら自分自身の肉体が燃えなければ難無しとして片付く話であっても、自分の思い出に染み付いている建物や場所が焼失した場合でも自分自身の一部が被害を受けたかのように傷つくのです。それもそのはず、焼失したものが非物質として自分の一部に組み込まれていたからです。

 

この世でも想念が物質化しているようなものですね。だから仮に肉体の健康状態に問題があったとしても、非物質である内面の心が健常ならば肉体も健康に戻りやすいですし、物質の肉体だけ健康だったとしても、心や精神が病んでいれば身体も同調して病気となるのです。継続して心配していれば物質の身体も心配していた通りになるということですね。

 

肉体を物質機能としてしか捉えていない西洋医学には欠落している観点ですが、千年単位の昔から東洋医学では非物質エネルギー(気)の流れを重視して人間の身体を診ていたため、現代人も改めてそこに着目し始めているのです。

 

人間という存在への認識の非物質化は、こんな唯物主義文明下でも着実に進んでいます。

 

健康問題も経済問題も、非物質の問題として扱うことが妥当なのです。