2021年07月26日
選ぶ肉体
昨日は、私が5年前に肉体死をしてまた別の霊で肉体に戻ってきた話を書きました。
どうして新生児ではなく中古、しかも損傷が激しい重度障害の肉体にわざわざ再び宿ったのか…
もちろんこれには意図がありますので説明します。
私は10代の頃から生死について考えて話すことが大好きでしたが、相手が自分より高齢になるほど話を聞いてもらえずに悔しい思いをしました。
魂年齢ではない肉体年齢にしか判断基準がなければ、子供や若造が言う事に耳を傾けたりはしないのです。
だから、中年の肉体が丁度よかったというのがまず一つあります。
身体に障害を抱えていた自分の人生を幾つか確認したのですが、どれでも人に囲まれて知性を発揮した人生を送っていました。
前回の私の人生、40年前は異常に身体能力が高い子供でした。
スポーツテストの記録が特段優れているからと、陸上部への入部を強制させられた苦い思い出があります。
少し後年だったら金銭・名誉欲を充たしたのかもしれませんが、徴兵をされたみたいで10歳前後の子供には不運でしかありませんでした。
成長してからも、身体を使って器用に出来る事が多ければ迷いが生じやすいだけ。
物質としては数十年後に焼却処分されるだけだと判っているのに、どうしても肉体に依存した生き方を選択肢に含めてしまうのです。
今のようにノソノソ歩いてゆっくり話すことが精一杯なら、もう下手な野望を抱かずに済みます(笑)
明らかな弱者ならば助けてもらえやすいという人間社会全般の傾向もあります。
というわけで今回、私は積極的に不便な肉体を選択しました。
この世の身体の中で意識が戻った際に、自分がひたすら痛くて絶賛不便な肉体となっていることを自覚して「こういうことだったのか…」と数年間をリハビリに費やしながら黙秘して過ごしました。
皆さんも忘れてしまっただけで、自分でその肉体を選んできています。
この世とあの世との関係性について、少し理解が進みましたでしょうか?