お知らせ

2022年08月21日

誤解が普通

何事についても、深く理解するなんてことはかなりの年月を経なければあり得ないことです。
 
特に人間は、すべてを曝け出して生きている人なんて原則いません。
 
 
よって長年に亘って関わらなければ互いの人間性をよく理解できていないのが普通です。
 
もしも自分が誤解されることに敏感ならば、そんな自分も常に誰かを誤解していることや、誤解されるような事を自分が言ったりやったりもしてしまっているという自覚がなければいけないと思うのです。
 
 
これを言ってしまうのも酷ですが、当面は好きも嫌いも誤解で成り立っているのですから…
 
「こんな人であってほしい」と願っていたがそうではなかった場合や「こんな組織だろう」とのつもりで所属したら実態は異なっていた場合、元々そのような理想を投影していたのは自分だったことを人は忘れがちなのです。
 
 
 
相手の人や組織がどうこうではなく、自分がそのように思い込んでいたのというのが大部分なのです。
 
 
かといって「誰に対してもどこにも対しても期待はしない」というような態度となってしまうと、今度は冷たい人だとの印象を与えてしまって支障が出てきます。
 
 
自分を好人物に演出する必要も今の私には全くないのですが、そこのバランスを取ることが難しくて長年行ったり来たりしていました。
 
 
でも今の心境は、不器用でも堂々と正直に生きよう!という気持ちです。
 
初めに好人物と誤解されて後から反発を買うよりも、「最初は変な人かと思ったけどそうでもなかった」となれば上等ですから(笑)