2020年10月07日
親子の愛
親と子の愛について考察してみると、「愛」が性交渉の代名詞ともなっているくらいの現代社会において、若い頃に親子の愛について理解することはまずほとんどないはず。
なぜなら自分が親や子供の死を体験していないうちは、親や子供がいても当たり前の感覚が強いから。
世間一般で孫が可愛いとされるのは、誰でも孫ができる頃には親をはじめとする近しい人の肉体死を経験するので、肉体で生存していることのありがたみを感じ、相手がまだ当分は生存することを前提とした将来展望に期待が持てるのです。
とりわけ自分自身が肉体死を迎えることを想像させる病気や事故に遭うことで、その想いにより一層の拍車がかかるのでしょう。
「お互いが生きて関われることは特別に貴重なことである」との認識が芽生えてくるのです。
身近な人の死から学ぶことは非常に大きいのですが、周りの人の肉体死を称賛しているような誤解は誰もが受けたくないでしょうから(笑)、これはあまり語られることのない深い真実。
相手が誰であっても、自分とその人が肉体を有して関わっていられるのは間違いなく期間限定。
それだけでも貴重なのです。
飢えを経験すれば食に感謝し、病を経れば健康に感謝するのと同じように、人の存在も失ってはじめてありがたみを感じる…
それが普通の人間というものなのかもしれません。