2021年06月14日
親子
億年スパンで見れば、人間の誰もが以前は鉱物・植物・動物の順で経験をしてきました。
人間には食欲や性欲を充たす事を最重要課題としている人がいます。
それは少し前まで動物を経験していたのなら当然の欲求です。
一方、同じ人間でも食や性にはあまり関心が無く、価値あると感じるものの為に肉体生命を投げ出す人もいます。
殉教・殉死とはそういう意味です。
善し悪しの問題ではなく、この世に出てきた意義がそれぞれ異なる存在が、同じ「人間」として生きているのです。
「人間とは何か」
その答えも人によってそれぞれです。
私が高校生の頃、父親にこの質問をしたら「動物だ」と即答されました。
DNAを分けてもらう親としてこの人間を選んだだけで、魂的にはまるで別人だったのです。
私は幼稚園時からその事を夢で示唆されてきたのですが、初めて意味を理解できたのが10代後半だったわけです。
肉体が親子であっても解り合えない。
魂はまるで別人ならばそれも当然のこと。
親子をはじめ、人間関係問題の根本はここにあります。
この世では、様々な人間がいることを許容する他はないのです。