お知らせ

2021年05月03日

肉体死は失敗でも成功でもない

私は過去、自分が大勢を殺戮した人生を何度か体験しました。
 
もちろん自分が殺されたことも一度や二度ではありません。
 
その感覚からも、中高生の頃には同級生や教員に対しても頻繁に殺意を覚えました。
 
それでも今回出てきたのは現代日本という時代と場所であることを考慮するようになり、30歳頃までは肉体を軽視する魂傾向の修正に努めて自殺願望を抑制してきました。
 
自分にはどんなにくだらないと思えても、くだらないそれが存在することに価値を見出す訓練とでも言いましょうか。
 
大勢が肉体死を迎える天災や人災が起きた際に「神はなんて酷い事を…」みたいに思う人もいるでしょう。
 
一方、不浄なこの世から人間を去らせてあげるテロ行為を神聖な行為だと見なす人も実在しますから、生贄や殉教は大昔からありました。
 
街ごと火山灰に埋もれた有名な土地もあるし、10年前には日本でも万単位の人口が津波に呑まれて他界しました。
 
人間の肉体生命だけが尊いわけでは決してありません。
 
ただ肉体死を迎える以外の方法で人が他界するという経験が、現在のこの世へ出てきた最大の意義であることは確実です。
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