お知らせ

2019年08月12日

生まれてきた理由

人間の子供は生まれてから数年は実に手がかかります。大抵の父親は働きざかりですから、妻なり誰かに世話をまかせて「気付けば○歳にもなっていた」といったケースが多いでしょう。

 

ところが私の場合は息子の誕生直前に自分が脳幹出血で倒れ、一緒になって立ったり歩いたりの訓練をしていたくらいですから、かなり多くの時間を共に過ごせたわけです。昨日でその記念日から3年が経過したのですが、指の感覚を多少取り戻せてからはオムツ交換などもできるようになって育児を多少手伝えるようになりました。

 

倒れて半年くらいは自分が赤ちゃんみたいなもので、妻には負荷をかけていました。今、区切りがついて改めて思うことを記してみます。

 

自分がどんな目的でこの世に出てきたのかを、じっくり考えることすらなくこの世を去って行く人は多いでしょう。ところが、もうすぐ50歳という年齢だからこそしみじみと感じることができる事なのかもしれませんが、誰もが自分の子育てをしながらそれを意識しているはずなのです。

 

私もこれまで子供がいなくても大半の時期は「自分は何故この世に出てきたのか?」という自問自答を積み重ねてきて、おぼろげながらにも人生の指針を固めてきました。その事すらしないで惰性だけで人生を送っている人が今の文明社会では多いようですね。

 

ところが50年近く前の自分の姿にそっくりな息子と日々接していて、自分がこの世に肉体を有して出てきた経緯を明確に掴めたのです。この世で自分が生きる方向性に確信が持てるようになったということですね。

 

それが「人とは本質的に非物質の知的生命体である」ということを、この世の皆に認識してもらうことなのです。

 

この世が真の意味で知的な存在で構成されるように!