お知らせ

2017年05月23日

植物に学ぶ

「植物は凄い!」しみじみそう感じるようになったのは、私が高校生になってから。

小学校でアサガオなどの成長を観察記録していた憶えがありますが、小さくて食事をしなくてもちゃんと日々変化して花を咲かせる自然の不思議を実感できたものの、おそらく少年の皆がそうであるように、観察しているその場での動きが速くて面白い昆虫や魚や鳥や動物の方に常に関心が向いていました。

生まれ育ったのが自然の多い田舎でしたから、家の周りにも多少は草木が生い茂っているのが普通です。山も川も湖も海も近く、私はいろんな生物の営みを観察して自然から多くを学んで育ちました。

そして様々な生物を飼育してきて気付いたのです。身近に置いてもほどなく衰弱したり死んでしまう、そもそも人間の身近に置くことすら無理のある生物が多い中、自分が生れた時にはそこにあった植物が最も逞しくて強く、人間をはじめとする周りの生物に恩恵をもたらし続けているという事実に!

人間よりもはるかに偉大であろう…その樹木の繁る森を、人間の頭の毛を剃るようにして次々とハゲ山にしている人類を蔑みたい気持ちにもなりましたが、自分も木造の家に住んでいるし木製の楽器や家具も大好きだったのです。動物愛護で皮や肉を避ける生き方ならまだできますが、植物を一切食べないし活用しないという生き方は叶わないでしょう(笑)。何でも節度の問題なのです。

さて本題は、その植物に関するエネルギーです。動きはとてもゆったりとしているのに、どうしてあんなに大きく太く長く生きて行けて当たり前なんでしょう。人類が手を入れたりとかで環境が激変しなければ、樹齢数百数千年どころか数万年単位だってあるだろう、というのが私の考えです。学校で教わった「光合成・水・地中の養分」だけで説明できるはずもない圧倒的なエネルギー…それは非物質だからです。

工業製品となってからでも長年感じられる木材の生命力に比べたら、平均的現代人に係わるエネルギーの非効率さといったら呆れるのを通り越して感心しちゃうほど(笑)。大量生産大量消費を目的に仕込まれた社会システムだからとはいえ、こんなにエネルギー効率を落としてまで順応できる生命体は人間を除いて他にいないでしょう。良くも悪くも、どのようにでも大きく変われるのが人類なのですね。

しかしそんな現在でもエネルギー量が枯渇寸前ではなく、そのエネルギーを外に向けようがないため内に向けている人たちが「ニート・ひきこもり」として規格外の扱いを受けていることが多いのです。あなたの家庭ではないにしても、周りにそのようなケースを見受けることが多いのではないでしょうか。来月は、そのような「人生におけるエネルギーの使い方」について【ひきもり講演】と題して平日6/14(水)と週末6/25(日)、一回ずつお話します。お問い合わせも、お気軽にどうぞ。