2022年09月15日
旅行をする意義
これまでの私は旅行嫌いでした。
とは言っても、意識世界では中毒と言っていいほどの旅をしていました。
水槽を眺めていても音楽を聴いていても読書をしていても、わざわざ肉体の移動をしなくたって常時旅行気分を味わっていたのです。
ところが6年前に脳幹出血により全身麻痺に陥り、一度は歩行もできない肉体となってしまいました。
肉眼のピントも合わせられなくなりました。
視たり歩いたりといった健常者に近い肉体機能が少しずつ取り戻せてきた近年になってはじめて、肉体を移動させて物理次元の変化を楽しめることも素晴らしいと感じられるようになったのです。
まさに失って初めてわかるありがたみですね。
霊眼や心眼ではなく、肉眼で景色を堪能できる人間の能力のありがたさも実感しているわけです。
肉体が自由に動かない5年ほどは意識世界で楽しむ他はありませんでした。
強制的に瞑想の達人(笑)
人は皆が本来は自由な高次元意識(魂)だったのに、どうして肉体という制限だらけで重力のある三次元世界に出てきたのかを思い出させてくれました。
苦しみもあるけれど喜びもあるという三次元世界を味わいたいのです。
ずっと自由で苦しみのない世界にいたら、幸せ喜び楽しみ等も感じられなくなってしまう。
要するに、ずっとあの世にいたら退屈してしまうからこの世に出てくるのです。
この世界が辛くて苦しくて悲しいときは、自分がそれを望んで人間をやっていることを思い出しましょう。
快適さ楽しみ喜びをより味わうため、その逆も経験するのが三次元の醍醐味です。
ト-タルで面白い人生を送るためには、片方だけでは不足なのです。
自分が羨ましく感じる輝く人がいたとしても、その人の闇の部分を自分が知らないだけです。
闇だけを見て気の毒に思う人がいても、光の部分を見ていないだけです。
一回の人生だけではわからなくても、何百回何千回の人生を観ればバランスがとれているものです。
そのために、皆が人生の青写真を持ってこの世に出てくるのです。
学べばわかりますが、アストロロジーやホロスコープ(占星術)にはそれが表れているから面白いのです。