お知らせ

2019年09月23日

探究心

幼少時の思い出で印象深い事が誰にでもあるでしょう。

私は小学校に上がってすぐプラモデルというものの存在を知って何日も母に猛烈にねだり、小遣いをもらって喜び勇んで出掛けたことがありました。当時の500円札を「失くしてはいけないから」とボロいバスクリンの空き箱に入れて抱えて走って行ったのです。凄い勢いで腕を振っていたのでお店の近くで空き箱をどこかに投げ飛ばしてしまい、もう暗くなっていたので見つけることもできずに泣いて帰ったのでした。

 翌朝、1キロほど離れた自宅前の側溝を覗くとバスクリンの箱が流れてきました。途中に地下道もあるので店の近くからいわゆるドブを流れてくることは考えにくく、中身には湿った500円札が!
その頃の私には妖精という概念がまだなかったので「人の思いを察して働いてくれる何かが存在するのだな」と強く思ったのです。母の演出かとも思ったので確認したのですが、母もかなり不思議そうにしていました。

その後にも大人に話せばバカにされそうな経験を幾つか重ねたので「世の中には人では理解できない物事が沢山あるんだな」と幼心にも確信しました。

 

子供の頃に「大人でも理解できない事はいくらでもある」という事に気付けたことは、探究心の芽を摘まなくて済んだ大きな要因ですね。