2022年06月19日
慣れることの意味
比較とは、それが何であっても対象があってすることです。
ですから、慣れるということは比較対象が変わるという意味です。
例えばある時点で何かを不快に感じるならば、それは快適な何かと比較をしているからです。
更に不快な何かが常にあったとすれば、そのことは大して不快なことでもなくなるというわけ(笑)
私は6年前に脳幹出血で倒れて全身が麻痺をしてしまったので、それからは手や足が少しずつでも思い通りに動くだけで大きな喜びとなっています。
一度はまともに話せなくなったので、自分の話したい内容の大筋が聞き手に通じるだけでも「よし」とできます。
以前ならば自分の話の内容を相手が「誤解している」やら「意味を取り違えている」等で感じていた不満も、自然と笑って済ませるようになりました。
なぜこの話をするのか…
本日は暑かったからです。
元来の私は暑さに弱い体質だったので、以前ならば今日みたいな日に感じるのは「今年もイヤな季節になったな~」でした。
しかし、ほぼ動かないくせに全身が痛くて痺れるという凄惨な経験をここ何年間も味わったため、本日は「痛みも痺れも少なく、疲れるだけでゆっくり歩けている!」という喜びが前面に出てきて暑さはそれほど苦にならなかったのです。
それよりも、歩く練習をしていた時期の視界があまりにもデタラメだったことを思い出し「今では人や車の数がちゃんとカウントできる!」と感じていたくらい(笑)
よって、すぐに不満や愚痴が出てくる人とは日常が恵まれた環境にある証拠なのですね~
愚痴を聞かされたとしても、実はそれが微笑ましい状況であるとするならば?