お知らせ

2022年06月18日

当たり前に感謝する

十代の頃、私は自分の生まれ育った町に辟易していました。
その地域の文化や人間タイプに自分が馴染めなかったからです。
 
ところが、町を離れてみて初めて自分を育んでくれた自然の豊かさに気付いたのでした。
 
都会での生活者が憩いを求めてわざわざ旅行するような自然環境を、自分は当然のように享受して思春期までを過ごしていたわけです。
 
私は過去世の記憶からか湖が特に好きで、先日はそこが出身者だというお方のご厚意で長年気になっていた某所に初めて行ってきました。
 
すると、自分が子供時代からよく釣りに通っていて後年は瞑想をしに通っていた元実家近所の湖が、実は他県の有名な湖と比べても遜色ない環境であることを再認識しました。
 
自然環境が人間の性分を左右しているなんてことを十歳代にはまるで掌握できなかったため、保守的な人間の多い出身地を私は常に不満に感じていたのです。
 
動植物・昆虫・魚・野や川や海や風、母なる地球によって自分がどれだけのスピリチュアリティを育んでもらっていたのかを、十代までは当然のことのように思って感謝すら抱いていなかったのでした。
 
当たり前でなくなって初めて気付くのは健康でも同じです。
失うということは、それが何であっても「あるのが当然ではない」ということに気付けて感謝できるのですから、失うことが人生を更に豊かにするきっかけにもなるのです。
 
一度は何かを失っても、むしろそれによって得るものすらある。
 
そこに着目すると、人生が思い通りにならないこともそれが人生ステップアップの機会なのかもしれません!
湖、雲と自然の画像のようです