地球人の起源
私の肉体が生死を彷徨っている間、異次元にて活発な意識活動(その渦中にいる私には疑いようのないリアル体験でしたが)をしていたことを前述しました。
複数の時代や地域で同時展開していた私の人生の中のひとつに、21世紀地球文明からしたら未来と感じられる社会にも私は暮らしていました。
あくまでも認識できた複数にわたる人生ヴァージョンのひとつでしかないのですが、今回はそのひとつの中の更に一部を説明してみようと思います。
そこでは誰も飲食や排泄をしていません。
その代わり定期的に、巨大なスーパーにも病院にも見えるような所に行って液体をチャージします。
色とりどりのカートリッジのような物を並べて「今回はこれとそれの組み合わせにする」という感じでチョイスします。それぞれの液体には用途や効能らしきことが謳われているのですが、一時的にはどれを選択しても問題ないようでした。
今風に言えば各メーカーが競ってその商品?食品?エナジー液?をPRしていて、私が「その組み合わせはよろしくないでしょ」と感じたカートリッジの組み合わせを注入した人が調子良さそうになった様子を見て、その意外さに私が驚いているシーンもありました。口から摂取していないのは確実でしたが点滴や注射をしていた記憶もなく、その注入方法は自然すぎて意識していなかったという感じです。
支払いのようなこともしていませんでした。まるでマシンのようですよね?人工知能車が定期的に無料ガソリンスタンドに寄るようなものでしょうか…笑
沢山ある異次元記憶の中から、なぜ私がこれについて触れたのかといいますと、今回の後遺症で最も辛いものに複視という症状があり、不便さもさることながらその不思議さに我ながら呆れているからです。
左右の眼球(レンズ)が捉えた視覚情報を脳が統合調整できないため、視界が常に二重になっているのです。
つまり制御できないまま右目と左目が同時に独立して機能しているということなのですが、人や車が多い場所ではどれが本物か判らず危険なのです。
片目ならば二重映像にはならないのですが、やっと歩けるようになった程度でラジオ体操なんて難しくてとても無理!という赤ちゃん状態である今の私にとって、片目での移動や作業も平衡感や距離感がつかめないためかなり厳しいのです。
かといって常時泥酔しているかのような視界は頭痛や嘔吐につながりますから、両眼の瞼を開いたままでもいかに片目ずつの視覚に意識を向けられるか!という変なトレーニングもしています(笑)
何が呆れるほど不思議なのかといいますと、私が仮に映画「スターウォーズ」に出てくるC-3POなら、頭部に強い衝撃が加わった結果このような故障を引き起こすという事は解せるのですが、はたして生身の人間の肉体とは何なのでしょう。
このような障害に陥る自然生物が他にもいるのでしょうか?
全身のシビレや痛みに加えた肉体諸感覚の鈍さも手伝って、自分の身体が異物のように感じられるのです。
運転していた自分の乗物で多箇所同時に不具合が発生し、辛うじて完全停止を免れ最低限の機能が残された…そんな比喩になりましょうか。
バイオテクノロジーの暴走は、研究者がその種の誤解に及んでしまうのも仕方がないと思えてしまう機械的数学的特性が肉体生物にはあるからなのでしょう。
学校で教えられる「種の起源」や「進化論」に対して、私が直感的に違和感を覚えたのは事実でしたし、今でも疑わしく思っています。
だからといって、某神様なり某宇宙人が地球人類を創造したというような特定の説を支持しているわけでもありません。
「気にしなくてもきっと死ねばわかることだろう、しかもそう遠くない時期に」なんて考えて気軽に流すようにしていたのですが、突如不便な身体になったのをきっかけに否が応でも生きながら考えさせられているのが近況です(笑)。
何者がどのように創造したのかは別にして、「三次元肉体地球人は被創造物であっても、人の本質は非物質(意識)である!」というところまでは確信に至っているのが今の私です。残りの余生で「肉体を創造したのは○○である!」…というところまで探究は進むのでしょうか?
それにしても、くれぐれも注意しなければならないのは「人の本質が肉体(物質)である」と勘違いしないことです。
現状の日本で、その辺りをどう考えるのかは個人の自由なのですけど、「人間は非物質存在などではなく単なる物質である」と定義している人に、「そのように考えて定義しているアナタという存在の本質が脳などの肉片だと、どうして信じられるのですか?」と逆に問うてみたいものです。
私にとって、その思想こそが奇抜すぎですから~(笑)。