お知らせ

2016年06月04日

何かを否定したい気持ちの正体

5/14の記事にて、己と向き合って「真に自分を理解すること」の難しさを書きました。

 

先週末のイベント中にも、たまたまこれに通じる質問が来場者から挙がったため、私も改めて感じるところがあって類似の内容で追記します。

 

長らく続いた資本主義的な主流価値観、「勝つためには何をどうする?」といった考えでの「競争」を善しとしてきた社会に適応してきたほとんどの人々は、合法である範囲内で「いかに利益を確保するのか」こそが人生においての最重要課題です。

 

しかしそこには、結果的に「敗者」や「社会的弱者」を輩出し続けるという背景も織り込み済みです。

 

そのような自覚が微かにでもありながら生産性を追い求めることを余儀なくされている大多数の人々は、自分がそのシステムに加担している罪悪感や虚無感を浮上させないため、自己を正当化したり気付かないフリをしなければならない諸々が社会生活を続けるほどに積もっていきます。

 

つまり、自分に蓋をして誤魔化しているものが多いと、そこに抵触する対象は人物であれ言葉であれ事象であれ…対象を否定もしくは回避することで、無意識的に自己の正当性を維持するのです。

 

「興味が無い」というのは全く別の話です。

 

周りに合わせて興味があるフリをすることも、これまた内面に歪みを蓄積させてしまいます。そもそも興味関心のない事柄に、わざわざ「否定」というエネルギーを注ぐ必要はないのです。

 

よって私が皆さんにお伝えしたいことは、否定したい物事が顕れたときこそ自己と向き合うチャンスだということ。

 

自分の内に有しないものは外に見えても反応のしようがないからです。

 

経営コンサルタントとして大勢の人と接してきた経験からも、私はこれに関して確信に近いものを持っています。

 

会社や上司に対し否定的な傾向が強い人ほど、最も活躍する人に豹変する可能性が大きいのです。

 

関心がなければ、否定感情も肯定感情も生まれはしないからです。無関心な人に対してあれこれ試みるという作業は、それこそ「糠に釘」。

 

難易度最上級です(笑)

 

 

アナタが自然と強く否定したくなるのは、どんな事柄や状況でしょう。実は、そこにアナタ自身の変革の鍵があるのですよ!