他人は実在するのか
突然ですが、自分以外の人とは存在するのでしょうか?
何を言い出すのか!と思う人が多いであろうことは承知の上での投げかけです。
私は子供の頃から、自分以外の人をゲームの中に組み込まれたキャラクターみたいな感覚で観ていました。幼稚園に上がるかどうかの頃、よく夢で見た記憶が鮮明にあるのですが、私は形の無い存在に家から連れ出されてパパ・ママ(当時はそう呼んでいた)と一緒に住む家から遠ざかって行くのです。そして「あの人達はパパ・ママという役割を演じているだけの存在なのだ」みたいなことを言語ではなく、でも明確にテレパシー的なもので私に伝えてくるのです。
「じゃ僕は誰の子なの?」的な疑問が大きかったのも手伝って、誰にもその事を話さずに成人しました。成人した頃から感じ始めたことは「あれは『実は別の父母がいる』という意味ではなく、この世に人間という種の動物で出てくるためには物理的に両親というものが必要であってその役割を担ってくれた人達であり、非物質的には親でも何でもないよ、という意味だったのだ!」
その後も会社勤め等を経験しましたが「上司とかサラリーマンにそんな話をするのもなぁ」と躊躇し続け、自分がコンサルタントとして独立開業してからも、お客様の経営者等にはそんな話を切り出せないまま今に至っています。
30歳頃に映画「マトリックス」を観たとき、「やっぱりそうか、そのように感じているのは私だけではないのだ!」ってな安堵感を得たものです。興行成績も無視できませんから娯楽作品として受け容れられるようにアクションや制作手法が話題になっていました。しかし着目すべきはストーリー・脚本です。
現実だと思わされている世界とは実はコンピューターで創作されている世界で、それに気付いてしまった人達だけで現実を取り戻そうとしている・・・
人間社会を操作しているのがコンピューターだったり、それと闘うという構図はエンターテイメント作品ですから仕方がないとして、「これが現実だ」と思っていることが実はそうではないという核心部分は的を得ている作品だと感じます。
私は3年前の脳幹出血によって、この世の肉体は仮死状態のままいろんな世界を体験してきました。それぞれの時空間で関わった人々はその場では確実に存在していたように思われましたが、この世界での意識が戻ってみればそれらの人々はこの世界には存在していません。何が現実なのかという問いを掲げ続けて約50年この世を生きてきて、「全部が現実だとも、どこにも現実などないとも言える」そんな体験を味わったのです。
ですから強いて言葉にするのなら、自分が現実であると感じている世界が現実なのですね。
あなたにとって他人は存在していますか?
あなたにとっての現実とはどんなものですか?
皆さんはいかがお感じで??