2021年05月26日
人を水に喩える
地球のこの世の人は物質の肉体に収まっています。
たまに溶けて「水」となりますが、基本的に人間は「氷」だというのが社会的な認識です。
他の星では知的生命体が「氷」であるケースは稀である。
それを私は繰り返し述べているのです。
氷とは特殊な状態。
ところがそんなこの世の地球人でも肉体死を迎えると水になります。
生まれてくる前の状態に戻るからです。
他界してすぐは、多くの人がこの世の物質世界に準じた状態で生活します。
家に住んで街もちゃんとあり、普通に食事をしている人もいます。
この世の人も、他界した人の墓に飲み物や食べ物を供えたりしますよね。
性的興味からこの世の人にイタズラをする人すらいます。
他界して充分に慣れてくると「気体」となりますが、気体にも様々な状態があります。
この世で言うところの「高次元にも段階がある」というお話です。
エンジン以前に蒸気機関が発明されたように、固体の「氷」では不便なだけだったのが「水」となれば活用範囲が格段に広がり、気体ともなれば凄まじいパワーとなり得るわけです。
今のこの世では氷を溶けさせないことが最大のビジネスになっています。
すなわち医療・健康産業です。
現代人は、姨捨山とか昔の風習を「なんて酷い社会風習だったのだろう」なんて感じるのでしょう。
天変地異でも飢餓でも戦争でも、人がこの世を去ることは失敗でもなんでもありません。
むしろそれは「お祝いごと」です。
「氷であり続けたい!」
そうもがいている無知な現代人全般が、私にはとてもお気の毒です(笑)
